ブラジル建築
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夕方からブラジル大使館で大使に新建築内藤さんがインタビューするのでお付き合いしてお話を聞かせていただいた。とても興味深い。ロシャとリナとニーマイヤーの関係とか、彼らのパブリックスペースへの取り組みとか、オリンピックのおかげでてできた8年越しのインフラの改善、そして日本が学ぶべきはテンポラリーな施設建築だというあたり。
その後展覧会「現代ブラジル建築模型展」の打ち合わせ。この展覧会が始まる16日の次の日17日18時から展覧会会場である寺田倉庫で(仮称)リオから東京へ−建築がつなぐオリンピックと都市計画」というシンポジウムを行い、ブラジルスピーカー2名日本からは槇文彦、石川幹子氏が登壇予定。私はモデレーターを務める。是非ご来場を。
person
カトリカ大は大学ランキングではペルーで一桁だがラテンアメリカで二桁、世界では三桁である。それは理科大も同じである。留学していたUCLAは世界ランキングでは一桁、東工大は二桁。その差はその数字が示すほどはないが僕らがやっているようなWS活動もこうしたランキングに差を生み出す要素である。だから国はそれを奨励し、国に奨励された大学もこういう活動を評価する。でも僕らはランキングをあげるためにこうした活動をしているわけではない。必要だと思っているからやっているにすぎない。
学生や教員の研究・教育にとって大切なことはこうした活動を行う信念と行動力である。そしてそれを可能にするのは人格である。本当は教員を評価するものは人格である。しかるに大学が定める評価基準は数字である。客観的だからである。仕方ないと思いつつも煮え切らない。
というようなことを常々思っている時にルイスが最後に学生にこう言った。It is very happy to have Taku here in Lima who is good architect, good teacher and good person と言ってくれた。建築家として、教師として、そして人間として受け取られることは尊く嬉しいことである。
感謝
建築家と建築の話をすることはもちろんあるけれどなかなか夜を徹してとか数日連続でということは難しい。それに自らの主張をきちんと説明するにはそれ相応の時間がかかるし、相手がそれを真面目に聞いてくれないと無駄に終わる。
海外でワークショップをやると受け入れてくれた教授はだいたいこの条件を満たすことになる。まずはこちらのレクチャーを主催してくれるのでその内容を真面目に聞いてくれる。真面目に聞かないとその後の質問ができないからである。その理解のもとにワークショップが始まりそして数日間(少なくとも4日間くらい)は朝から晩までほぼ三食を(朝は一緒じゃないことが多いから二食)共にする。夜はアルコールも入るので口調も軽やかになる。基本は建築の話をしているが、いつしか政治、経済、家族などと全人格的な付き合いにならざるを得ない。こうなるとお互いの理解はディープになる。その結果波長があうと(だいたい合うのだが)この人間関係は極めて緊密なものになる(らざるを得ない)。ぼくにはおそらくそういう緊密で結果的に気が置けない友人が世界に片手以上はいる。これは本当に不思議なことだがそういう風になってしまっのである。いい人を探したともいえるけれど偶然いい人に巡り合ったとも言える。感謝している(相手に)。
ペルーWS打ち上げ
卒業設計のエスキースを外国の人間がやることの意味はあるのだろうかという不安はあったが、こちらとしてはペルーの学生が行う卒計に触れてみたいという興味でやってきた。そして僕らとは違う設計への取り組みと僕らとは違う設計の課題があるということがわかった。そんなことは想像すればすぐわかることなのだが直面して実感することである。生産のための技術なんて東京では卒計の課題としてはあまり考えられないことだし、不思議な粘土で中傷的な模型をきっとぼくらは作らないだろうと思って眺めていた。
彼らの大学は素晴らしいキャンパスと施設を備えていた。ペルー1の大学で育つ彼らがラテンアメリカの建築をしょって立っていってほしいと切に思う。そしてここに来た理科大の学生が多くのことを学んだであろうことを信じている。
オルターナティブの検討
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羽田を出た時に一案のスケッチを送ってその模型写真をロサンゼルスで見たがその後こちらからスケッチを二つ送り、日本で5つの案が生まれ今日の時点で8つの案の模型写真が届いている。ほぼ毎日送られる写真をじーっと睨んでいるのだが、さすがに写真だけからだと実感できないこともあるし図面をプリントアウトできれば横目で図面を睨みながら模型写真を見ることもできるのだろうがそれもできないのでひたすら図面をあたまに思い浮かべながら模型写真を眺める。いいトレーニングである。
空間をフレーミングする構造壁の入れ方を変えて壁の向こう側さらにその向こう側がどれほど感じられるかを試している。狭さとの戦いでもある。