OFDA+2Aの時期はずれの坂町新年会
やっと2月の終わりになって新年会ができました。そもそも去年の忘年会の時に1月の日時を決めたのだがその後誰かが駄目になり何度か日時を変更してやっと今日である。新年会というにはあまりに日が適当ではないのだがまあとにかく。宮さんがクライアントから頂いた90年代のヴィンテージワインと肉を焼いて野菜を持ってあけましておめでとうございます。
やっと2月の終わりになって新年会ができました。そもそも去年の忘年会の時に1月の日時を決めたのだがその後誰かが駄目になり何度か日時を変更してやっと今日である。新年会というにはあまりに日が適当ではないのだがまあとにかく。宮さんがクライアントから頂いた90年代のヴィンテージワインと肉を焼いて野菜を持ってあけましておめでとうございます。
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稲葉剛『貧困の現場から社会を変える』堀内出版2016を読む日本の餓死者数は95年あたりまでは年間20人そこから急激に増え2003年にピークを迎え90人を突破すると記されている。4日に一人餓死者が出たことになる。ちょうどその頃親父が書いた本の序文に隅田川あたりを散歩してはホームレスと話をし、彼らがリストラされた労働者であることが多く、「労働者はゴミか?」と警鐘を鳴らしていた。彼らは一歩間違うと餓死していたことがうかがえる。そしてそれから10年経ち日本は一向に貧困者が減少しているようには見えない。一度落ちた人たちが這い上がるルートが閉ざされているのである。政治の問題でもあるが社会の視線の問題でもある。
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だいたい半年で一冊のノートが埋まって次のノートに切り替わる。このノートは自作のカレンダーが最後の30ページを占めており、残りはなんとなく勘でページを割ってタグを付けている。ちなみにこの69番目のノートは、最初の2ページに、様々なパスワードが書かれている。そしてその後からポストイット型の黄色や赤の丸いタグを付けて以下のように分類している。
1,univ 2,文 3,office 4,ネパール、ダッカ 5,memo 6,workhop 7,international conference 8.出版 9,lecture 10,建築の条件 11,言葉と建築 そしてなんでも書いてしまう。講義ノート、学生レポートへの感想、主任会議のメモ、外国での打ち合わせ、外国でのレクチャーのメモ、、、スケッチは別にあるのでこちらには書かない。でもスケッチブックが手元になければここに書いてしまう。ついに70冊目。ノートもスケッチブックも通し番号なので35年経ったわけではない。働き始めて未だ30年くらいである。
エスパス ルイヴィトンでダンフレィヴィンの展覧会が行われている。60年代にミニマリズムをsソル・ルウィット、ドナルド・ジャッドたちと牽引した。既製品の蛍光灯に何の細工もせずに並べるだけで、なんの思いも込めず、状況と見るものとの関係のなかから導かれる物のみに依拠した表現である。このクールネスが時代を超えるのかもしれない。
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表参道から天王洲へ足を運びデッィビッドボーイの軌跡を見る。この人音楽だけでなく絵もとんでもなくうまい。三島由紀夫の肖像画などプロの絵である。
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やっと二部は今日で一区切りのヴァーティカルレビューを行った。2年生後期課題、3年生後期課題、卒業設計を一堂に会しての講評会である。後期の非常勤講師が11名集まり実に充実した講評会。昨日都市大の卒計を見てきたが、理科大二部もいい勝負である。学生の票を1点、先生の票を5点で集計して最終的に一番理解を得られたのはこの案である。面と線と題して無数の弱々しいたて部材で構成した建築である。これは高橋堅さんが考案したスタジオで建築エレメントを再考するというもの。この課題は奥が深く建築の面白みを引き出すいい課題だった。それゆえのこの案が皆の心をつかんだと言える。鳥海さんには今後とも素晴らしい案を考えていってほしい。
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永江朗『小さな出版社のつくり方』猿江商會2016というこの本、えっ今時出版社?ついでに小さい?と虚を突かれる。さらに電子書籍を売るのでもなければ、ベストセラー作家を扱うのでもない。つまり一儲けしようという魂胆はこれっぽっちもない。一人か二人でしかも出版社を途中退社か定年退社した人たちがこれからは自分の本当につくりたい本だけ作ろうとして作った出版社なのである。11紹介された出版社のホームページを見ると実に手にとって読みたくなるような本ばかりが並んでいる。一冊たりとも適当に作った本がない。羽鳥書店など、目録に装丁者も著者とならんで列記されているとか。作った人の愛を感じるではないですか。
卒業や修了の季節になるとさてこの学生たちがどういう風にこれから生きていくのだろうかとちょっとは考える。建築の世界はデザインをしようとすればするほど働く条件は過酷になる。これは労働環境という視点で考えると改善するべきこと思う一方、例えば建築デザインが大学の研究のようなものであると考えるとそれを純粋に労働として捉えるのも難しいと思う。例えば寺田虎彦はこう言った。
「頭のいいに人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人しなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである」建築家というのはどこかこの科学者のようなものである。建築を恋人としなければ建築から真心は送られてこないもののようだ。
建築を恋人にした瞬間に建築は労働ではないことになり、それは苦しいものから楽しいものになるはずである。日本の世の中にそうした楽しさを享受できる場所がどれほどあるかわからないが、建築を恋人にできる人はそういう場所をみつけて建築を楽しんでほしいと切に願う。しかしもちろん楽しさを得るために苦しさは表裏一体で付きまとうことを忘れてはいけない。
My Kenkyushitsu is the place preserving the variety of living things. 11members of Master course students who presented their thesis projects yesterday consists of 4 from 2nd division of TUS, 3 from other Universities, 2 of post-professional course, 1from 1st division of TUS, 1 from abroad. Varieties as matter of course have both advantages and disadvantages. Because they have different academic backgrounds, one single language could not always be useful.
Although it should be I who control those various members keeping their variety intact, it is sometimes very difficult to do that. I have tried to pull up the bottom and pull up the top simultaneously. But actually you cannot do that at the same time. Because they are different things.
修論発表会終了。11人なんとか発表できて幸いだったけれど、内容はちょっと不満。そういうことは自分以外の人も気づく訳でいろいろとクレームもつく。全部のクレームに納得しているわけではないけれどまあ7割正しいので返す言葉もない。我が研究室は生物多様性保護地域なのでよく言えばヴァラエティに富み悪く言えば統制がとれない。多様性を維持しながら統制をとるのが僕の役目なのだろうがなかなか難しい。ボトムアップとトップアップを同時にするのは言うは易し行うは難し。