東京ガーデンテラス紀尾井町

赤坂プリンスが壊されて巨大ビルができた。東京ガーデンテラス紀尾井町という名がついている。オフィスの上にプリンス系の最上級ブランドのホテルが乗っている。窓の透明度のせいか、天井伏のせいかオフィスの照明が煌々と外に溢れ出している。基準階面積が巨大なせいか建物のプロポーションがあまり良くない。

赤坂プリンスが壊されて巨大ビルができた。東京ガーデンテラス紀尾井町という名がついている。オフィスの上にプリンス系の最上級ブランドのホテルが乗っている。窓の透明度のせいか、天井伏のせいかオフィスの照明が煌々と外に溢れ出している。基準階面積が巨大なせいか建物のプロポーションがあまり良くない。
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本日3時半にチリの友人ディエゴゴグラスが来日した。我が家で食事をする予定で僕もその準備をしていた。今朝山道君も来られるかと聞いたらイベントがあるけれど来られるということだった。7時にでディエゴが到着し、8時に山道君が来た。帰る頃になると皆元気が出るのだがもう12時。では金曜日に続きを。
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娘とスカイプで話をしていたら娘の友達がそばにいて少し話をした。メガネが似ているねと言うと、これはファッショナブルな形だと言って褒めてくれた。電話の後でメガネのトレンドをネットで調べて見てみた。http://www.vintandyork.com/content/best-mens-eyeglasses-2016/
2016年の形の流行りは
・ oversize(大型)
・ round John Lenon(丸型)
・ Club master brow line (眉毛強調)
・ Square (四角)
・ Bold Thic (大胆に厚く)
・ Titanium metal (チタニウム)
・ Flat top(上部が水平)
・ Wayfarer (比較的四角い)
・ Aviator(飛行機乗りがしているような)
これも一種のstyleでstyleにどういう名前をつけるのかはとても興味深い。僕のメガネはRayBan Rb 2180vf というラウンドタイプ(丸型)で上記ジョンレノン型の変形である。
フレーム色のトレンドは3つあって鼈甲、透明、黒である。僕のは鼈甲柄が混じった黒である。全体的に大きくて太い作りが最近の流行りのようである。
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義父の十三回忌の法要を高輪覚林寺で行った。酒好きでタバコ好き、書も絵も上手く、庶民の味方の会計士だった。僕もだいぶお世話になった。最後の数年を一緒に暮らした。肺がんで長い闘病生活もなく他界した。
僕が日建設計をやめようと思った時に背中を押してくれたのはこの人だった。独立は男のロマンであると言ってくれた。しかるに人生は一回きりで自分の好きなこと以外をしてはいけないと息子を教育していた自分の父親は今の世界経済を予測して建築家に仕事はなくなるから独立はやめろと長文の手紙を送ってよこした。やれやれと思ったが、息子はそんな親父をシカトしてさっさと日建をやめた。仕事量は少ないがより価値ある仕事が続けられていると満足である。人生とはそういう科学的予測とはかけ離れた人間の意志で切り開かれていくのであるとその時思った。そしてそれは義父の言った通りロマンによって支えられた。ロマンがあれば前へ進めるし無いなら進まない。
「生成」と「存在」の問題を考えていたらドゥルーズにたどり着いた。ドゥルーズがどう考えているかはとりあえず置いておく。自分はどうありたいのかを考えてみるなら、固定した「存在」より常に新しく「生成」されていたい。「存在」は細胞分裂が終わったはく製のようなもので「生成」していることが生きている証である。自分は常に変化していると思いたい。別の言い方をするなら成長していたい。
そこで日常の自分の生活を考えてみよう。自分は教員であり建築家である。一体そこで自分はどういう教員と建築家を生きているのだろうか?
人が職につく時は自分にあった職を探すものである。そのためにその職に必要な技術を身につけ作法を学ぶ。しかしその職に求められている作法や知性に100%合致した本性を持つ人間はいない。よって職が求めるペルソナを演じなければならない。そして仕事が終わるとそのペルソナを脱いで自分に戻るのが普通である。しかしユングが言うように医師や裁判官や教師は自分の仕事への自尊心がとても強く、仕事中の仮面が素顔に「食い込み」外せなくなるのだという。
つまりこうなった人は自分に戻れないのである。そしてペルソナという存在に入れ替わりペルソナという「存在」になってしまうのである。そうして固定した「存在」になるともはや「生成」は求めることも難しい。僕の周りにもこうしてペルソナに乗っ取られてしまった人が結構いる。可哀想なのだが本人はもうペルソナになってしまっているので気づいてないところがまた可哀想である。
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2年前にアルゼンチンのパレルモ大学に依頼されて寄稿した。それはシルベルファーデン、ビスマン、ロベルトたちが作っていたディテールの専門誌である。技術をフィーチャーしたきれいなブックで「内の家」のディテールとその考え方を英語で送った。スペイン語に翻訳されてきれいにレイアウトして出版された。
その本がアルゼンチン建築家協会の賞をとり寄稿に感謝しますというメールが今朝届いた。寄稿者にもこうしてお礼を送ってくれるのは嬉しいことである。アルゼンチンは中国と違って寄稿すれば必ず出来上がりを送ってくれるしこういう情報も伝えてくれる。このあたりが社会の成熟度の差である。
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『メディアとしてのコンクリート』の次に何を訳すかということで半年近くいろいろな本を収集してはメールでやりとしてやっと決まったのがMark Wigley のWhite Walls, Designer Dresses –The Fashioning of Modern Architecture MIT Press 1995である。少し古い本であるが、モダニズムの本であるから古くてもあまり問題ではない。この本を最初に教えてくれたのはヴァージニア大学のShiqiao Li という中国人のプロフェッサーである。かれは清華大学を卒業してAAで学んだ秀才である。1月のシンポジウムでひときわ鋭いことをいう人だった。その彼が僕のレクチャーで見せた「内の家」の黒い居間の黒を賞賛し、逆にモダニズムの白の話しになり、そういえば同じシンポジウムに出席している Mark Wigleyがモダニズムの白について書いているよと教えてくれたのである。Mark にそのことを訪ねてどんな本かを聞く時間はなかったのだが、建築とファッションの関係にも言及されていてこれまでの単なる過去との断絶というような単純な論理ではなさそうなところが魅力的である。400ページ近い本でその分量に最初から圧倒され気味だが戦力を補強した。シンガポールにいるスチュワート研の岩下君と僕の研究室のゼミに参加してくれていたICUの岸君である。これはパワフル。頑張って2年半くらいで終わらせたいところである。