カトリカでレクチャー
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プリッツカー賞を受賞したアラベナやスミルハンを送り出したチリ、カトリカ大学でArchitecture as Frame and Reframeについて話をする機会をいただいた。学部長から老齢の教授から若い学生まで聞きに来てくれる方の幅が広いのには本当に頭が下がる。質問も多く話が深く広がりとても楽しいレクチャーだった。
カトリカ大学のキャンパス
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⚫カトリカ大学建築学部のメインの建物は200年前のスパニッシュコロニアル
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⚫スパニッシュコロニアルを抜けるとコートヤードがあり逆側にアラベナの増築が建つ。
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⚫レンガを模型材料として使用しエスキス中
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⚫2層の図書館
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⚫️建築専用の図書館
アラベナやスミルハンが卒業したカトリカ大学を案内してもらいディレクター始め多くの先生とお話しができた。
キャンパスは200年前のスパニッシュコロニアルの邸宅を買い取ってそれに増築をしながら今日となっている。落ち着いたコートヤードに続いてアラベナが設計したモダンな建物が続きコンペでできた木構造のミドルライズなど実に多様な建物群でできている。このキャンパスは僕がいままで見た世界の建築大学の中でも1、2を争う環境である。羨ましい。
建築学部は独立した学部でデザイン(グラフィック、テキスタイル、ファッション)、アーバンデザイン、建築の3つの軸で構成されている(正確な学部名はla Facultad de Arquitectura, Diseno y Estudios Urbanosである)学生は1000人強、教員は常勤、非常勤合わせて60人程度だそうだ。
学生の作業を見せてもらった、レンガを使って空間エスキスをしている。たまさかそれをやっていたのはポルトガルのリスボン工科大学の学生で1年間の交換留学で来ているとのこと。アラベナ効果もありカトリカの名声は世界に広がっているようだ。
ついにウニ
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カトリカ大学で教えるディエゴ・グラスに今日は1日サンディアゴを案内してもらう。彼が彼の事務所と大学と学生とで再生、修復、改善を計画している墓地を見せてもらう。ラテンアメリカ1の巨大な墓地で入口から奥に向かって埋葬される人々の社会階層が上から下へと変化する。もちろん敷地の大きさもそこに置かれるオブジェクトも巨大な霊廟からただの十字架まで変化する。社会の縮図が展開する。昼にエッフェルの設計した魚市場で食事をしてついにかの有名なウニにありついた。日本で買ったら(食べたら)5分の1で2000円くらいするような代物が1500円弱だった。シーフードのスープはイカタコ満載で大満足である。午後ディエゴの事務所でパートナーの建築家と会う。ふたりともフランス人である。ディエゴのお家も拝見したがまたまた世界の建築家の豊かさに参る。32歳で150平米の家は実に広い。
チリに来るとワインの量に驚く
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リマとサンチアゴはただ南下している様に見えて時差が2時間もある。だいぶ西に移動していることになら。これで完全に東京の軽度としては裏にきた。今東京は朝の7時半。
去年ブエノスアイレスからサンチアゴにきた時は密度の薄いスカスカの街に来たと感じたけれどリマからやってくると都会的で洗練された街に見えてくる。今日は移動日で時差があるせいかホテルに着いたらもう夕方。朝ジョギングができなかったので走るついでに買いものをする。さすがチリ。スーパーにおいてあるワインの数が半端ない。ホテルは去年と同じオルリー。予約がいっぱいとかでとてもスーペリアルダブルを提供してくれた。ありがたい。
リマのスラム
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ラテンアメリカの国でスラムのない国はない。リマも例外ではない。リマのダウンタウンは3種類の場所で構成されている。所謂ダウンタウンと、インディオが多く住むリマックという場所と、黒人の多く住む場所である。そしてその外側には巨大なスラムがありそのスラムを抜けたあたりにPreviがある。スラムはルイスと一緒だからかもしれないが、アルゼンチンやブラジルのそれほど荒廃している感じはないし、それほど密度が上がっていない。その理由はある時期からリマへの人口流入を規制しているからなのだそうだ。ブラジル同様、スラムは都市周辺の丘に張り付く様に形成されている。そしてその丘を登るスラム内専用三輪タクシーがあるがこういう急階段もある。
スラムの建物はアルゼンチンでもんブラジルでもコンクリートとレンガで統一されているので山岳都市のような民家集落の様にも見える。こうなる理由は単に経済性と限られた材料によるのではなく、スラム住民の働いている場所が中流階級の工事現場でありそこでの建築ヴォキャブラリーが滴り落ちてくるからだとルイスは説明していた。
リマの世界的ソーシャルハウジング
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⚫ジェームズ・スターリン(平面はL字が成長するように計画)
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⚫クリストファー・アレクサンダー(リニアなウォールシステム)
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⚫アルド・ファン・アイク(六花形のコーナーが特徴)
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⚫菊竹、黒川、槇(かなり増築されているがエンドのここは少し原型が残る)
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⚫チャールズ・コレア(原型が見えないほど増築されている)
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⚫アトリエファイブ(スケールが他より小さく人間的。なぜか増築が少ない)
1966年にペルー大統領フェルナンド・ベラウンデ・テリーの要請でイギリスの建築家ピーター・ランドが考案した実験的ローコストソーシャルハウジングのプロジェクトがリマにある。それはPREVI(Proyecto Experimental de Vivienda)と呼ばれ日本からもメタボリストアーキテクツ(菊竹、黒川、槇)のチームが参加したことで知られている。
プロジェクトは1500ユニットを作る国際コンペとなり、13の海外建築家、13のペルーの建築家が選ばれた。選ばれた海外建築家には上記日本の建築家に加え、アルド・ヴァン・アイク、クリストファー・アレクザンダー、アトリエファイブ、チャールズ・コレア、ジェームズ・スターリング、などが含まれていた。敷地にはローコストを狙い、建設材料の生産、加工場が作られている。それぞれのユニットは住人による増築が可能なように考えられ、当初はほとんど1〜2階だった建物は現在は少なくとも3〜4階建てとなっている。まるでスラムのようである。ほとんどの建物がすでに完全に住民の生きられた家に成長している。アラベナが提案していたことはすでにここで行われていた。上の写真を見てもそれぞれの差を見極めるのが難しいほどヴァナキュライズされている。
そろそろ勘違いを改めないと
大学の競争資金というものがある。一生懸命やっている大学には金を出そうという国の施策である。しかしこれは政治的である。国が伸ばそうと思う産業、国交、思想に力を入れる研究教育にはお金がでるのである。去年アルゼンチンで駐アルゼンチン日本大使とお話ししたら首相がラテンアメリカに来てもブエノスアイレスには来なかったそうだ。そうなるといくらアルゼンチンとの共同研究なって言ってもそもそもそういう助成の枠組が生まれ無い。今日ルイスにその話しをしたらペルーも同じだと。彼はアフリカの研究をしているがペルー政府はそんなことには見向きもし無い。政府はみなアメリカを向いている。だからルイスがアフリカの研究と言っても「はあ??」という話しになるそうだ。しかしそんなことをずっとしていると世界はいつまでもアーキペラーゴであるる。日本はアメリカと西欧だけが世界だと勘違いし続けるのである。
Lima
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メールでもらったLuisの電話番号の数字が一つ足りなくて繋がらない。あせってチリのディエゴにメールしたらもの3分で答えをくれた。無事つながり彼とあって昼をとってからダウンタウンのコロニアルスタイルを案内してもらう。Luisはカトリカ大学の先生であり、アーバニストであり、現在フランス語で都市のセグレゲーションのPh.D論文を書いている。話を聞くとほとんどそれは社会学である。
リマはその昔はラテンアメリカ全体の首都だったからだろうか、コロニアルスタイルの意味が他のラテンアメリカ諸国とはだいぶ違う。さらにスパニッシュはほぼ混血化しておりコロニアルへの愛着が強い。なんといっても驚きは多くのラテンアメリカ諸国ではコロニアルスタイルが20世紀初頭毛嫌いされたにも関わらず。40年代に行われたリマでもっとも大きなプラザ周りの国の建物のコンペで勝利した建築スタイルがモダニズムではなく、コロニアルスタイルだったということである。もちろんこのプラザ以外にもプレコロニアルスタイルが見受けられる。コロニアルスタイルの特徴は2階に付けられた木造のバルコニーである。このバルコニーが付けられた理由は以下のとおり。
ペルーでは建築の1階は多くアドビーで作られるのだが、地震の多いこの国では2階は軽くするために木軸となるケースが多く、そうすると日の強いこの国では夏の暑さ、冬の寒さにアドビーでは弱くなるのでダブルスキンにするのだという。もちろん他にも町とのコミュニケーションをとるなどの用途は様々あったという。
リマは人口1000マン都市であり、旧市街の人の量はラッシュアワーの新宿よりすごい。ルイスにカメラはしまっておいたほうがいいよといわれそうだなと納得するような喧騒である。