SHINOHARA CHAIR国際建築理論会議
塩崎君と来年のSHINOHARA CHAIR国際建築理論会議の打ち合わせを行った。話が結構大きくなってきたが1週間をめどに二日のワークショップ、小さな展覧会と3日連続のレクチャーシンポジウム。テーマは篠原が4つの様式で建築を作り変えていった軌跡を振り返り「様式」はどうかと検討中。ゲストは様式を結構の様式という視点で語る人、様式を個人の様式として語る人、そして様式を時代の様式として語る人この3人である。開催は来年度末
塩崎君と来年のSHINOHARA CHAIR国際建築理論会議の打ち合わせを行った。話が結構大きくなってきたが1週間をめどに二日のワークショップ、小さな展覧会と3日連続のレクチャーシンポジウム。テーマは篠原が4つの様式で建築を作り変えていった軌跡を振り返り「様式」はどうかと検討中。ゲストは様式を結構の様式という視点で語る人、様式を個人の様式として語る人、そして様式を時代の様式として語る人この3人である。開催は来年度末
![]()
来月講演をするサンチアゴカトリカ大学のディエゴから講演日以外の視察スケジュールがメールされてきた。リマのルイス、アスンシオンのセバスチャンからも丁寧なメールがきてホテルもお勧めをもらって予約完了。ひとまず安心である。
去年アルゼンチンワークショップが終わってさあサンチアゴという日にサンチアゴ空港がストライキ。次の日の夜にやっとサンチアゴ到着。その日予定されていたレクチャーはキャンセル。さらにディエゴとスミルハン設計のレストランで会い、さあ食事という時にあの地震がやってきた。彼は当時妊娠していた奥さんのことを気遣い食事をせずに速攻で自宅に帰ったのである。レクチャーもできず、ディエゴとも話もできずじまいであった。そして数ヶ月後無事男の子Juanが生まれ、今年はそのJuanに会い、そしてレクチャーとクリティークをする予定である。昨年のリベンジ、、、
![]()
急激な腰痛もなんのその、八潮市のマスターアーキテクトの仕事で大開発予定地を見てその計画にアドバイス。2時間ほどかけて二つの敷地を見たあと八潮駅から北千住経由で霞ヶ関へ。久しぶりに新建築に行ったらお盆休みなのか担当の藤田さん以外はあまり人がいなかった。帰りがけに新しく新建築編集長になる予定の内藤さんがどこからともなく現れたので挨拶をした。ヨルダンの学生に理科大の建築学科の授業が日本語で行われていることをメールしたら、先ずは日本語の勉強をするために研究生で来たいとメールをしてきた。まあそういうだろういなあと思うとともに、早く英語の授業しないと本当に日本の大学は立ち行かなくなるだろうなあと思う。オーフスやヴェネチアのようにあるいは東大の土木は10年前からそうらしいけれどさっさと全授業を英語でやるべきだろうね。
![]()
岸井成格、佐高信『偽りの保守・安倍晋三の正体』講談社2016を読んだのは、岸井が数年前に渡部昇一などが中心となった安倍晋三親衛隊から名指し攻撃を受けたことを覚えていたからである。岸井は安保法制反対と脱原発を明確に言う、新聞界の中では珍しい人間だ。
しかしこの本を読んでその岸井が保守本流を信条としていること、佐高とは慶応の同級生でもともと意見が対立していたこと、同級生には他に小泉、小沢がいたことなどびっくりするような話がいろいろある。岸井が今や反体制に見えるのは岸井が変わったのではなく、タカ派傍流が保守本流を食い潰したことによるのだという。保守本流はもちろん私の信ずるところではないが、今や彼らのいうことも相対的にはリーゾナブルに聞こえるほど傍流に乗っ取られた自民党は異常事態に至っているのである。
![]()
先日西荻の古本屋で村上春樹の『雨天炎天』という本を買った。この古本屋は内の家に行くときはいつもちょっと覗く紀行本、旅行本だけを扱う本屋である。この本は1990年に出ているから25年あまり前の本である。二冊分冊になっていて一冊がturkey チャイと兵隊と羊—21日間トルコ一周、もう一冊がgreece アトス−神様のリアル・ワールドというタイトルが付いている。
オスマントルコ帝国の本を読んでいたので買ったのだが、やはり歴史本より紀行本の方がその場所の風土や人が鮮明になって楽しいものである。とりわけトルコの東アナトリアという東部のあまり日本人などはいかないあたりの話は面白い。トルコは5つの場所に分かれるというがその中でも著者が最も面白い場所だという地域である。そしてその東アナトリアにあるヴァン湖にはここ特有の猫がいてこの猫は左右の目の色が異なり加えて泳ぎが上手なのだそうだ。早速ネットで調べてみると日本ではターキッシュヴァンと呼ばれているのだそうだ。村上はこの猫に会いたくてホテルのレセプションニストに連れられて行った絨毯屋(そこの店で飼っていると言われて)で見事絨毯を買うはめになったそうだ。この地には絨毯屋がとりわけたくさんあり絨毯屋は必ずこのヴァン猫を招き猫のごとく飼っているのだそうだ。
大使館推薦で私のところで勉強したいというヨルダンの留学希望者からメールが来た。こういうメールをもらうことがちょくちょくあるので一度メールを整理してみると、今年だけでも1月に中国南京大学、4月にサウジアラビアのタント大学、5月にグアテマラのルイスのお兄さんから、7月にロシアの太平洋国立大学から、そして今日8月にヨルダンのヨルダン大学から。というわけで今年に入って5通も来ている。それも中国以外はすべて大使館試験を受けて文科省の奨学金で来たいとのこと。これは、国際化にむけて文科省の宣伝が盛んになったのか、受け入れ人数を増やしているのか、坂牛の名前が世界中に広まっているのか何れかであるがメールが来る国をみると坂牛の知名度にはあまり関係なく、文科省の枠が広まっているものと思われる。
いただいたメールの書類には一応目を通しているが、必ずしもすべての人が来るとは限らないし、大使館での試験に落ちるかもしれないし、入ってもその後大学を決めるのは文科省だからこちらに来ないかもしれないのですべてを全力でフォローするわけでもない。しかし一応こちらに来てから授業についてこられるかどうかをチェックする意味で出身大学のクォリティは調べている。
すると今回のヨルダン大学は早稲田や慶応よりは一応世界ランキングでは高く、ヨルダンではトップの大学のようである。加えてこの人はすでに大使館の最初のセレクションに通っている。こういう人はかなり確度が高いと思われるので少し本気でフォローしようと思う。
ポートフォリオをみると作風はデコンからモダンまで様々あり、アルゴリズミックな影響はかなり高いようである。
![]()
平均月収2万5千円の今後共和国で週末にブランドもののスーツでお洒落して紳士に変身してエンターテイナーともなるお洒落集団がコンゴ共和国にはいる。そんな話を近くの飲み屋のマスターが言っていたのを覚えていたのでこんな本を買って読んでみた。影嶋裕一『Whato is Sapeur 貧しくも世界一エレガントなコンゴの男たち』祥伝社2015。著者はNHKのディレクターでテレビ番組を書籍化したもののようである。富裕層が経済力にものを言わせて高い服を見せびらかすのは古来よくある話だが、サプール(フランス語でお洒落集団)で面白いのは普通の庶民が半年の給料をすべて服にかけて週末に見せ合うというところである。そして近所の人々はそういうサプールを自分たちの代表であるかのように敬い、慕い、応援している。まるで祭りの町会代表のようでもある。違うのは外国製高級紳士服で身を包むところである。グローバリゼーションとローカリティが不思議に融合しているのである。
![]()
配偶者にポンピドーセンター傑作展を見に行こうと誘われ、祝日を利用し足を運んだ。傑作展とは一体どういう展覧会かと思っていくと、ポンピドーにある作品を1906年から1977年まで(つまりポンピドーができるまで)、1年に1作品を選んで展示してあるという展覧会だった。カタログのイントロダクションにコンセプトや難しいストーリーなど何もないポンピドーカラオケだと書いてある。確かにこれだけノーテンキな展覧会を見るのは初めてである。まあコンセプトは置くとして、全部で71作品のうち39作品は作家の名前が初耳だった。フランスだけでも、しかも20世紀に限ったとしてこんなに知らない作家がいるのである。驚き、そして少々反省した。ビッグネーム以外にも時代を築く作品はあるものだと、、、、
![]()
帝国読書、林佳世子『オスマン帝国500年の平和』講談社学術文庫2016を読んでウィーンで感じたオスマントルコの包囲網を南側から感じることができた。ウィーンでは少し前まで対オスマントルコ防衛の法律があったと聞くからハプスブルク家とオスマンとの対立は相当なものがあったのだろう。オスマンは最終的には大帝国にはなったもののハプスブルクとサファヴィーに挟まれて右往左往していた時期もある。
さて建築の話になると15世紀にイスタンブールをヴィザンツから奪いモスクを建てるのにヴィザンツの教会を転用したのである。そのおかげでアヤソフィアなどがそのまま残っている。そうした柔軟な姿勢が多様な宗教文化を許容する国を生んだのだろうか?帝国としてはこういう多様種許容型はそう多くはないのではなかろうか。そういう目で見ると面白い帝国である。