せっかくの篠田桃紅が
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竹中工務店の展覧会が世田谷美術館でやっている。招待状をいただいた。どうせなら竹中設計施工の美術館でやればいいのにと思うのだがないのかな?それにしてもこの題字せっかくの篠田桃紅があまり目立たない。ピンクの半券が強すぎる。
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竹中工務店の展覧会が世田谷美術館でやっている。招待状をいただいた。どうせなら竹中設計施工の美術館でやればいいのにと思うのだがないのかな?それにしてもこの題字せっかくの篠田桃紅があまり目立たない。ピンクの半券が強すぎる。
エンリック論文の仮説としてユニークなところは篠原一男が一般に言われる前期後期の二つの性格(前期(A):秩序、抽象vs後期(B):秩序破壊、野生)が初期から同居しておりそれを調停する中でどちらかが強く出てきた結果として4つの様式を捉えたところにある。その仮説を裏付ける例として彼は白の家と地の家が同時に作られたにもかかわらず白の家は秩序、抽象の系(A)にあり地の家が無秩序、野生の系(B)にあることを例示する。そして(A)の系は第二の様式である亀裂の空間へ至りそこで終わる。一方(B)の系は第三の様式である野生、裸系の空間を通り第四の様式へとつながるのである。
このように二つの性格が同居する対象として建築家を捉えたのはチャールズ・ジェンクスがル・コルビュジエをアポロとデュオニソスと捉えてその初期のラショードフォンのデザインを説明したように前例のあることである。前例があるからといってエンリックの仮説の価値が減じられるわけではないが、人間の性格として二重であること特異なことではなくむしろ自然であると言えるだろう。
建築家を含めて表現者は表現の一貫性を貫きたく一つの性格(A)に固執するが、往往にしてそれに反する性格(B)が無意識の中に隠れており、時としてそれが噴出するのが常ではなかろうか?様々な表現者にこの考えを適用して分析したわけではないので推量の域を出ないがそれほど間違っているとは思わない。
I have finished what I was tasked with at UPC. It is a great load off my mind.
Then after the dinner last night Enric suggested me that we have an international conference about architectural theory and design paying homage to Architect Kazuo Shinohara, for his high professional work instituting the Chair Kazuo Shinohara. This discussion may start with what Kazuo Shinohara still propose in the present. Then I think this could make us to think more profoundly and find out the new value of architecture for the future.
Proposers are Enric from Barcelona, Ernst from Vienna, me, and some from Tokyo Tech, some from shanghai, those are the core members and some believers like Christian Kerez from Swizland and others from all over the world.
I think I would like to held the meeting which has the same quality as the one in south east university in Nanjing annually. I hope we will continuously held that international meeting to make another movement for all over the world.
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エンリックのドクター論文審査会の日である。10時半にUPCに向かい、11時から5人の審査委員だけがアドミニストレーションの部屋に通され事務員に評価方法の説明を受け審査用紙を受け取る。審査員は全部で5人座長が僕でUPC 教授のXAVIER VANCELLS GUERIN他3名。ルールではUPCの教授が1人以上2名以下いなければいけない。そして審査会会場に場所を移しまるで裁判をするかのように壇上に一人対5人で座り、エンリックのプレゼンが始まる。約1時間素晴らしプレゼンだった。それに対して5人の審査員から15分くらいずつの感想と質問が示されそれに対してそれぞれ答えて2時ころ大体のダイアローグが終わり聴衆とエンリックは退出し5人の審査員で審議が行われた。もちろんパスなのだが、4段階のグレードがつけられ5人満場一致で最高点のexcellentがあたえられた。さらにその上の評価がプラスされ(これはまだシークレットなのだが)たところで聴衆とエンリックを部屋に戻し、私から合否の報告とグレードと最終講評を述べて終わった。それなりに僕としては準備と話す事でエネルギーを使った仕事だけれど、とてもいい経験だったし、何よりも私たちの恩師の内容が国外でドクター論文として合格した事にちょっと痺れた。
昼食後エンリックのオフィスで私のディスコンティニュィティについてのレクチャーをした。来てくれたのは先ほどのジュリーメンバーの建築家たちである。皆興味深そうに聞いてくれたし、多くの質問をもらい大きなレクチャーでは味わえないインティミットな会話ができてよかった。
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昼ジョセップ・フェルナンドの事務所を訪れ最近の仕事を見せてもらう。アルゼンチンの大学のコンペのファイナリストに残っており明日ブエノスアイレスに行くためのパワポや夏に作る仮設の木造のインスタレーションを見せてもらう。とても興味深い。茜の家のフォトブックを差し上げる。彼は日本に来た時に五十嵐淳の建物を見たそうだがそれと似たものがあると言っていた。五十嵐さんも篠原が好きだから何処か似るのかもしれない。フォトブックの代わりに彼の作品が載っている本にサインをもらう。
夕方エンリックの事務所に行き明日の彼のプレゼンのためのアドバイスやら質問やらをする。やはり少し話して聞いてみると彼の言いたいことがよくわかってきた。やはりなかなか深い考察が張り巡らされていて面白い。最後の完成版のコピーにサインをもらう。
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昨晩はフェルナンド父のオフィスを訪ねその後イタリアンのヌーベルクイジーンパーティーにご一緒した。今朝はその二人の息子ソルとフェルナンドと朝食。本当に仲の良いこの家族に僕が最初にあったのは今から3年前の1月。セルバンテスインスティチュートで僕が企画した展覧会のオープ二ングの時だった。セルバンテスの館長アントニオが3人を僕に紹介してくれた。兄貴は文系で親父さんのゼネコンを手伝っていて、弟のフェルナンドは建築を学んでいてそのうち日本で働きたいと言っていた。
それがその後実際に日本に来る段になり彼を日建においてもらった。そうしたらその後バルサのコンペがあり、フェルナンド父の活躍もあり、ことここに及んだというわけである。
まったく人生わからんものだけれどsuch is lifeと今日朝飯を食いながら3人で人生の偶然に驚いたわけである。
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UPC(カタルーニャ工科大学)建築学科の建物はラッショナルだが無機質ではない。様々な発見を導く工夫が見られる。この階段の作り方も実にうまい。地下へ吸い込まれるようである。
そこで10のpublic housingというタイトルの展覧会が行なわれている。エンリックの作品も展示されている。そこで10の建築家によるレクチャーとラウンドテーブルが行なわれる。そこに招かれ学部長、副学部長、などなどのプロフェッサーに紹介していただいた。パブリックハウジングとは公が作るハウジングだが、収入によって家賃補助が出る。バルセロナ市内で50平米でも学生なら300ユーロで借りられる。東京ではどうだろう?若い人が本当にクリエイティブに働ける町は住環境からだと思う。ヨーロッパのパブリックハウジングを真似るなら今ある団地や、その他の(学校など)をコンヴァージョンすることだと思う。
The lecture of mine that is supposed to be held on this Thursday on UPC has been canceled for admistrational reasons. I feel sometimes the office workers in University all over the world including Japan are so cold and not very much helpful. Though it is a pity, I`ll do it in my friend`s architectural office tomorrow. I would like to discuss my recent works and thinking under the global intelligence.
By the way this is the third time when my lecture was canceled. The first one happened 4years ago in Shanghai. Canceling all the events including lecture related with or done by Japanese were directed by Chinese government for political reason, but the professor of Tonjing univ. was so kind to offer me an opportunity to give a kind of private lecture on campus.
The second one happened at Santiago Chile last year, at that time I could not be there because of the strike of the airport staffs. It could not be helped.
So it means that this cancellation of my lecture has been the first one during these past ten years.