東南大学のプライド
![]()
今日はアジア建築センターの開所式ということで一応日本代表としてスピーチをした。いったいアジア建築センターとは何なのか?ここに集まったのはわたしとインドのスニハル、MITのラディ・シーガル以外はみな中国人である。ということは中国建築センターではないのか?と思いたくもなる。中国人の新聞記者にインタビューされたので、そのようなことをやんわりと言った。こんごあなたはこのセンターにどのような貢献をするかと聞かれたので、アジアのアイデンティティーを欧米に訴えるだけではなく、アジアと欧米が何を共有できるのかを考えたいと述べた。またプレゼンではαスペースと題して、いかに建築、都市における公共性が大事かという話をして先日ベレンと見て回った建築を紹介した。これらの建物には実は全てアルファースペースが入っているのである。最後にパインギャラリーを見せて終えたのだが、このレクチャーはとても評判が良く。終わったらみなからとても刺激的で面白い話で勉強になったと言ってきた。MITのラディは主体ではないもの(α)が一番大事なものになるという逆転が素敵であると。リーはスタイルを追っていないところがいいねと言っていた。短時間のスピーチは焦点がはっきりしていることが大事であるということがよくわかった。勉強になった。いい気分で東南大学を後にした。
それにしても、昨日のシンポジウムと言い、今日のアジア建築センターといい東南大学の建築ファカルティは自分たちが中国建築を背負って立つという恐ろしいほどのプライドがある。中国一古い大学という誇りからだろう。東南という大学名の字はなんと王羲之が書いたのだそうだ。
南京の朝
![]()
![]()
![]()
南京の朝はおそらく−4度くらいだろう。6時前だけれどすでに屋台が出ていて食事をしている人々がいる。オートバイや原付が歩道と車道を無茶苦茶に走る。自転車道が整備されていないけれど公共自転車があるのには驚いた。それなりに世界標準へ近づこうとしている。東京みたいである。
SOMのスカイスクレーバーが屹立している。
中国風のミドルライズは中国のトップエリート校である南京大学。昨日ここの学生が僕の研究室の研究生になりたいと日本語で言いに来たのには驚いた。
朝朝食をリーシンチャオととっていると僕のhouse houseの黒に興味があるという。いろいろ話しているとマークウィグリーはホワイトネスという本を書いているので読んで見たらと言われた。面白そうである。
タフなシンポジウム
![]()
写真手前からマーク・キャンベル(us)、ビアトリス・コロミーナ(us)、マーク・ウィグリー(
us)、ワンシュー(中)、クリスチャン•スミ(スイス)、スネハル・シャー(インド)
東南大学でやるこの建築理論シンポジウムはなかなかタフである。というのも出席者はビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリーをはじめほとんどが理論家か歴史家で。彼らの操る言語やそのレトリックは建築家のぼくらとはその文脈が異なる。建築家で出席しているスイス人のクリスチャンと僕らとてもアウエィだねとその悲哀をシェアしている。その上他言語なので頭が痛い。こんなことならいっそうこういう場所に来るのをやめるか、一生このハンディキャップを負いながらくらいつくか???やめるのは簡単だけれどそれでは面白くない。ぼくのポリシーとして建築はこういうところから成り立っていると思いたい。だからくらいつくしかない。
しかし、愚痴のようになってしまうが、、ここ中国で日本人は僕一人。大勢の中国人と大勢のアメリカ人と大勢のイギリス人でこのシンポジウムの議論の骨格が作られてしまっている。日本の僕の話を彼らはとても興味深く聞くものの、やはり舞台は中国である。どうしてそういう枠組みにアジアでは日本人だけがしかも一人だけ呼ばれるのかがやや意味不明(インド人のスネハルは明日の会議のために来ており今日はオブザーバーなのである)。
これをもっとグローバルな枠組みで行い、かつグローバルな同時通訳がつけばだいぶ違う。ワンシューは中国語で話し通訳付きでやっているから楽である。羨ましい。つまりは日本でこういう会議を開くのが手っ取り早いわけなのだが、、、
上海坂本展
![]()
![]()
![]()
10時のANAで上海。迎えの車で現代美術館に坂本先生の展覧会を見に行く。美術館で東南大学の准教授に就任した郭さんとお会いする。食事をしてから展覧会を拝見する。去年はここで篠原先生の展覧会があったがそれに勝るとも劣らない素晴らしもの。未だ着工していないこの美術館に完成予定の図書館の模型が素晴らしい。この写真はオープンな閉架書庫。ぜひ完成したものを見てみたい。代田の町家の原寸のモックアップは素晴らしい。坂本建築はスケールにある。このモックアップで空間を味わってほしい。代田の町家のコートには入ったことがなかった気がするがモックアップだと入れる。日曜日ということもあるのだろうが見に来ている人が多いのには驚く。
見終わって6時の新幹線で南京に移動。夕食でビアトリス・コロミーナやマーク・ウィグリーらにお会いする。明日が楽しみである。
作られつつ生まれつつ

前田愛『近代読者の成立』岩波1993を読んでいたらいつの間にか朝だった。観衆、聴衆、読者はどれもキノコのように生えてきたのではない。作られつつ生まれつつなのである。
人を生かす
![]()
センター試験の監督で大学に詰めているのだが、予備なので待機中。というわけで明日からの中国出張の準備をしたり、読書したり。小布施に古谷さんの設計でできた1000平米の図書館がある。その館長さんが書いた本『はなぼんわくわく演出マネジメント』分屋2013を読んだ。この館長さんはその昔はテレビ局で映像作っていた人。そう言えば夏にお会いしたいわきでまちづくりをしている小松さんもテレビ局に勤めていた。マスコミの人たち特有のコミュニケーション力がまちづくりに生かされているのを感じる。彼らは人に会い人と話し、そして人から何かを引き出す力がある。まちづくりって実は人を生かすということなのだということがかれら二人の言葉から感じられる。
男女差別を無くすためには
![]()
日本の基幹産業に勤めている知り合いの女性が現在介護休暇を取っている。彼女は5年前には育休をとっていたそうだ。育休が2年、介護休暇ももうすぐ2年。それぞれ100%ではないが給与も支払われていた。40代の彼女は今年復職するらしく、その給与もかなり高い。
日本では1985年に男女均等法が施行され1991年に育児休業制度が法制化され、97年に介護休業が追加された。この時期、私は設計事務所を辞める頃でその頃事務所で頑張っていた女性は皆未婚だし、私と同年代で大企業の総合職についた女性の友人で子供のいる人は稀である。その理由は育休が法制化されたとしても、男性の働き方に歯止めが効いておらず、女性の制限された働き方では勝負にならないからである。これが欧米と決定的に異なることである。EUでは男女ともに残業をいれて週48時間が労働時間の上限と法制化されているのである。そういう状況では育休も、子供のための早退や遅刻が無理なく受け止められるのである。
というわけで、日本では女性が社会に出るには女を捨てて、男に張り合い、がむしゃらに働くしかないのか?と諦観したいたところだったので、知り合いの女性の話に驚いたわけである。
しかしこんなことは日本の基幹産業であるこの会社だからできることである。これは会社の方針というようなものではなく国全体の価値観の持ち方に関わることである。まずはデフォルトとしての働き方を変えなければいけない。そのためには国が目指す目標から変えなければいけないのではないだろうか?GDP最優先の国づくりをしている間は働き方のデフォルトが変わるはずがない。
トリプルダンボール
![]()
このトリプルボードはたかが紙だけれどかなりの強度。以前外国に模型を運ぶ時に特注でこのトリプルボードの箱をオーダーメイドしたのがきっかけで使うようになった。ピンナップボードとしてもハニカムのダンボールより強度があって軽いと思う。表面もかなりの硬度である。使える。タカムラ産業http://e-takamura.co.jp/