WS in UP
1週間とはいえ、月曜日はクルチェット邸に行って、火曜日にはUSUMAを見て、水曜日はクリシュナ文化センターに行き数少ない時間しかないワークショップを文化が違い、建築が違い、言葉が違う人たちとワークショプをやることの大変さに日本の学生はフラストレーションを感じている。結構妥協したと思っている。一方アルゼンチンの学生は全くそう思っていない。彼らは心から日本の学生と共同したことを喜んでいる。言いたいこと言ってやりたいことやったと思っている。その上日本人の勤勉さと器用さを学べたことに感謝している。る。この感想の差がすでに日本文化を表しているのだという気もする。多勢に無勢という感もあるが、この差を無くすように努力しないと、それじゃあまるで日本の外交と同じである。一体どうしたらこれを解消できるのだろうか?いつか国外で、あるいは国外の人と仕事をすることが必ずやあるかもしれない君たちの課題である。
ベッカーの文化センターが驚きの空間
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午前中ロベルトの親友であるダニエル・ベッカーがコンペで勝ち7年の歳月をかけて完成し数ヶ月前にオープンしたクリシュナー文化センターを学生とともに視察に行く。昔の郵便局を改装してさらに新しい部分を加えた総面積15万平米でポンピドーセンターと同じ規模。とにかくでかい。周囲の古いファサードを残してこの規模をつくるので古いファサードの内側に重機をクレーンでつり込んで内側にRCのフレームを作りファサードを支えその内側に新しいシアターを置き、その上部に美術館がつり込まれるという前代未聞の構造である。
午後ビスマンと昼食をとり大学に行く。6時半からレクチャー。タイトルはコネクションズ。今日の通訳はプロの方。45分で終わらせるためにかなり駆け足。
アルゼンチンでesmaはマスト
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昨日の30度近い暑さから、今日は一転して一桁の寒さ。その上雨が強い。連日の寒暖差で皆参っている。僕はただ寒いのが辛い。その午前中にESMA 行く。ロベルトがコンペで勝ってやっと実現にこぎつけたプロジェクトである。軍事政権化にレジスタンスを拷問にかけて牢屋に閉じ込めていた建物をその姿で保存してその中に建物に触らず展示することを余儀なくされた建物である。ラテンアメリカの国々ではすべての場所で起こったアメリカが裏で工作した軍事政権のむごたらしさを展示している。
歴史に向き合う正しい姿勢が胸を打つ。コンペで勝ったロベルトに聞くとこれに関係する25の機関のうち、5つの機関はこの建物を作ることに反対したそうだ。軍と近い関係にある機関である。一緒に見ていたグアテマラのルイスはグアテマラにもこの施設が欲しいと言っていた。ラテンアメリカの国は例外なく対キューバ包囲網を形成するために軍事政権となり、国が荒れ果てたのである。だから彼らにとってアメリカは辛い存在である。
午後日本大使館にロベルト一緒に大使を訪ねる。アルゼンチンにとって日本の津波はスラムという説明に大使はとても感動していた。夜にエスキスチェックに大学に戻りつい興奮気味に話してしまった。明日が楽しみである。夕食はフェデリコとともにパレルモのステーキ屋に行く。3月にエクアドルでパビリオンを実際に作るワークショップをやろうということになる。できるかな?
ついにVILLA20に入った
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アルゼンチンのスラムはVILLAという名で呼ばれる。ブエノスアイレスには30近くのVILLAがあり、それぞれ数千人から数万人の人が住む。今日の朝われわれのワークショプの対象であるVILLA20に日本チーム12人、ある全チーム30人がバスをチャーターして向かった。市の中心から約30分で到着。市の職員の方の説明を聞き実際にこのVILLAの中を大体一周した。VILLAの中は想像以上に劣悪な生活環境だった。大体のことは東京でやったWSで知っていたが、排水が悪くて水たまりが多く不衛生。そこにでかい犬が山ほどいて糞があちらこちらにほっとかれている。糞を踏まずに歩くのは不可能なくらいである。もともと平屋だった建物が流入す人の増加で2階、3階、4階、5階と積み上がりさらに小さな路地にオーバーハングしてしまいには全く光の入らない路地ができたりする。建物はすべてセルフビルドでほぼ統一的なデザイン。コンクリートの柱梁にレンガのインフィルである。これが最も安い施工法ということで自然と統一感のあるものになっているのが不思議である。残念ながら撮影は危険なのでできなかったが、見ると聞くとでは大違いとはこのことだった。予想外といえば、住んでいる住人は実に人懐こく合う人合う人「オラ」と声をかかけてくるのには驚いた。一緒に行ったロベルトはこんなことは市内では起こらない。VILLAの人間は作法を知らず危険だという先入観は破られた。彼らはもはや普通の人より礼儀正しい。と言っていた。
このスラムのエッジを改良して、周辺の一般街区と接続してスラムを社会化するのがこのWSの課題。大学に戻り最初のコンセプト作りを7つのチームにごとに行う。議論は夜まで続く。
ラ・プラタ大学にて
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今日は例によってブエノスアイレス近郊のラ・プラタに学生と一緒に行きコルビュジエのクルチェット邸を見学。なんというかとんでもなく寒くなってびっくりだし凍えそう(昨日は暖かかったので油断した)。見学後昼食をとってからラ・プラタ大学に向かいレクチャーを行う。なんと、英語からスペイン語への通訳ついたし全体を40分で終わらして質問入れて1時間というのでこれは焦った。150枚くらいスライドを用意して1時間半話そうと思っていたので一気に話すことを縮めざるを得なくなった。オーディーは満員で230人入ったそうである。海外で講演会すると本当に大体の場合多くの方来てくれるのでよほどきちんと準備してくれているのだなあと感謝の気持ちでいっぱいである。
終わったとに一人の学生がやってきて僕の作品が篠原一男と同じクオリティを持っているというので驚いた。僕が篠原一男に習っていたと言ったら驚き感激していた。そういうところが感じられるのか?レクチャー後でかいスタジオで即席講評会を行い。3年生の作品を見せてもらった。若い教師陣と話記念撮影。
ちなみにラ・プラタ大学は建築学科としてはアルゼンチン1だそうで南米ランキングで7番目だそうだ。そんなレベル高いところにお呼びいただき身に余る光栄。ちなみに南米ランキング1位はサンパウロ大学だそうだ。
さあスペイン語しか通用しないよ
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ジョギングして部屋に戻り、学生たちが集まってきた。地球の裏側のワークショップに10人来たのは嬉しいことである。英語もままならぬ学生に混じって一週間のワークショップをやろうと思う精神に拍手を送りたい。どうなるかわからないなんていう話をここですることも無意味だろう。どんなに優秀な大学でもそれは無理な話。とにかくほとんどスペイン語しか通用しないのだから。
街の触感
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2年ぶりのブエノスアイレスに到着。ロベルトが空港に迎えに来てくれた。今回の宿は大学の近くに自分で予約したのだが着いてみたら、その昔大学が用意してくれて塚本・貝島夫妻と過ごしたアパートメントホテルの真ん前だった。なんとも土地勘が希薄である。すでに到着しいる学生、今日着いた学生たちとランチを食べる。チョリソーを食べようと思ったつもりが、スペイン語だけのメニューに翻弄されて、とんでもないステーキが現れた。午後はホテルで一休みして、昔懐かしいこの辺りをジョギングしていたら迷子になった。いや焦る。それでも少しは勉強しているスペイン語が役に立ってなんとか帰れた。それにしても道が悪いのは相変わらず。走ってわかる街の触感。
