ごつくて粗
千葉の大屋根のクライアントは企業を早期にお辞めになって陶芸をしている。陶芸家になりたかった私としてはこういう人生を歩みたいなという欲にも少しかられてしまう。そのクライアントから先日頂いたこの器はなんであろうか?
蚊取り線香置きである。うちの事務所は風通しを考えて結構開けっ放しにしていることが多いので蚊も多い。なので蚊取り線香置きを作ってくれたのである。ところが頂いた頃には酷暑でドアなど開けられる状態ではなく、つまり蚊もおらず、しばらくお役御免となって今はデスクの上に置かれている。頂いてからしばらく見ている間にこの不思議な器がなんとなく好きになってきた、あまり手をかけず自然な感じで、ぼてっとしていて、ごつくて粗なところが、いいのである。
La Plataでのレクチャーポスターが届く
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ル・コルビュジエが南米で唯一実現した住宅がブエノスアイレス近郊の町ラ・プラタにある。その町にあるラ・プラタ大学の建築学部でアルゼンチンに着いた次の日にレクチャーをすることになった。というのもワークショップを行うパレルモ大学のディーンであるダニエル・シルベルファーデンがこの大学でも教授をすることになりこちらでもレクチャーをして欲しいと頼まれたから。一昨年ビエンナーレに招待された時もアルゼンチンで3回ブラジルで1回レクチャーをした。国が変われば同じコンテンツでもいいと思うのだが、さすがに同じ国の中で(同じ市の中で)行うレクチャー内容は同じだと少々気がひける。なのでPalermo UniversityではConnections、La PlataUniversityではWindowsという話をする予定。今年はサンチアゴでもレクチャーするがここでは同じ話とさせていただく予定。
君はエリック・ホッフアーを知っているか
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エリック・ホッファーが60年代に書いたエッセィを柄谷行人が翻訳した本がある。初版は70年台だが最近(2015)ちくま学芸文庫から出版された。
まだ私が小学生のころ父親が科学というものは理論を実験して検証するものだと言って理科の仮説と実験の話をした。そしてそれは自然科学だけではなく、社会科学もそうであり、経済や法律などにも理論と実験検証があるのであり、自分のしていることは社会科学における実験と検証なのだと言って労働運動の意味について説明してくれた。親父は実は理論をやりたかったのだろう、つまりは大学に残り学者に進みたかったのだろうが金がなくて働くことになったのだと思う。
さてホッファーという人は社会科学者として理論と実践を同時並行的に行ったまれな人である。それはとんでもないエネルギーを蓄えた人であったに違いない。サンフランシスコ港で沖仲仕として労働者のリーダーとして労務者仲間に様々な本を読ませる一方でカリフォルニア大学バークレー校の教授を務めていたのである。そしてインテリ批判をした。実践の伴わない理論の薄さを批判した。僕にはそのことの意味がなんとなくわかる。大学にはそういう輩が少なからずいるように感ずる。論文偏重主義である。ペーパーを生産すれば学者の義務は果たされているかの錯覚がまかり通っているようにも思う。もちろん実践だけ行うならアカデミックセクターにいる必要はないのだが両方やることが真のインテリであろうと思う。
その意味ではホッファーは我々のモデルのような人物なのである。
建築は体力だとつくづく思う
人間は体を基礎にしてその上に意思があり、感情があっててっぺんに知性がある。いくら知性があっても感情が乱れると知性は使い物にならない。そのための意思は健全な肉体に宿る。全くそう思う。体を常に良い調子に保つことがなんと言っても僕にとっては重要である。そのためには肉体を鍛えるルーチンな毎日を規則正しく送ることが大切だと思っている。軽井沢で施主検収の行き帰りで斎藤孝の本を読んでいたら同じようなこと言っていた。まあみな思うことは同じなのである。肉体が弱っている人は時たま冴えた発想はできても持続力が無い。また肉体が鍛えられていても意思が薄弱な人は感情をコントロールでき無い。そこまで準備されてやっと知性が活かされる。
この建物の最初の打ち合わせをしてから3年。建築は持続力だと思う。体力と意思がなければできるものでは無い。
ドイツ留学する二人の送別会
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茨城町小学校再生計画の打ち合わせをしてから、ドイツに留学する二人の送別会を研究室で行う。一人は今秋からミュンヘン近くの大学のランドスケープ学科にもう一人はこの秋からはドイツでインターンシップを行い来秋から留学を計画中。これで今年度坂牛研からは5人が海外に羽ばたくことになる。結構なことである。
ノーベル経済学賞はノーベル賞ではない
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新宿で学生が出品したアート作品を見てから病院へ。会える時に親父に会っておかねば。気がつくと口もきけなくなっていたというのがお袋の時の後悔である。しかし病室に入るとすやすやと眠っており仕方なく本を開く。藤井聡『〈凡庸〉という悪魔—21世紀の全体主義』晶文社2015を読む。驚きの新事実。ノーベル経済学賞の正式名称はアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞でこれはノーベル賞ではないのである。
なぜノーベルが金儲け理論に賞を与えるのかが不思議だったのだがこれで合点がいった。この賞は経済の自由化を目指し、国家介入を排除するために金融機関が勝手に新自由主義経済学者の地位をあげてプロパガンダするためのものなのである。
目が覚めた親父にそのことを話すと頷いていた。金曜日なので「デモに行ってくると言う」と「我が息子のその心意気が嬉しい」とにこにこしていた。国会前は人まだ閑散としており、首相官邸前に行って少々様子見。阿佐ヶ谷で友人と会う。
本当かい?
夕方末広町での打ち合わせの後御茶ノ水まで歩き親父が入院している三楽病院に面会に行く。部屋に入るなりとても元気に話し始めた。一昨日の疲れ果てた姿とは大違いで驚いたし少しほっとした。
先日ポツダム宣言を英語で読んだ話をしたら勢いはなしは親父が玉音放送を聞いた時の話となった。「何言ってんだか正直言ってよくわからなかった。勝ったんだか負けたんだか???」どこで聞いていたのかとくと郷里の青森だという。あれ??その時親父は20歳。大学は行ってなかったの?と聞くと「大空襲で大学は閉じていたという」そうなんだ。焼けちゃったの?と聞くと焼け野原の中に東大はポツンと残っていたという。ここだけ戦後の教育のために意図的に残して空襲したのかと聞くとそうではない。連合軍は東大を占領した時の本部にしようと計画していたとのこと。ところがマッカーサーが来た時当時の東大総長南原が頼み込み東大を大学として生かしてもらったのだそうだ。銀杏並木は焼け野原の中のオアシスだったのだそうだ。「よかったね大学に行けて」と行ったら「本当に良かった」と頷いていた。大学がオアシスだと思えるって幸せだ。
親父も90
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一昨日親父が家の前で転んで動けなくなったというメールを同居している兄よりもらった。すると次の日その容態が悪くお茶の水の病院に入院したというメールが来た。すぐに兄に電話をして病院に行こうかと問うとその必要はないが明日にでも見舞いに来て元気付けて欲しいと言われた。90にもなると生きる気力があるか否かが大きな問題である。本日大学の用事を終えて病院に夕方行くと個室に移っていて兄が部屋にいた。親父は薄眼を開けているのだがこちらに気づいているのかどうかよく分から無い。「卓だよ」と大きな声を出して顔を近づけると「おお卓か」といつもの返事が返ってきたのでほっとした。しかしその後ほとんど何も話さ無い。兄が帰った後も話はし無いがしばらくこの部屋にいて同じ空気を吸おうと思い本を読み始めた。鶴見俊輔『文章心得帖』ちくま学芸文庫2013。読み始めたら親父のことなど忘れて没頭した。この手の文章指南の本をかなり読んでいるがだいたい得るところが少ない。しかしのこの本はプラクティカルである。
使えると思ったことは三つある。一つは紋切り型を排除せよ。そして紋切り型を避ける方法その1形容詞を使わず動詞で語れ。その2形容詞の最上級は避けよ。その3漢語の名詞には注意せよ。二つ目は文章を書くことは選ぶこと。書きたいことは山ほどあるが何を書か無いかがポイントである。そして3つ目は書きたいことの束をそれぞれとても小さな紙に書いてみること。大きな紙に書くと不要なことを含んでしまうからだそうだ。
なるほどと思うことばかり、これは明日から実行できそうである。そして実にこのことは建築にも言えそうである。極端な形(最上級)を使わ無い。人の動きを考えよ。やりたいことを減らす。などである。もしかすると文章を書くことと建築の設計をすることはかなり近いことなのである。それが証拠に設計のうまい人はだいたい文章もうまいものである。などと考えているうちに面会時間をとうに過ぎているのに気がついた。では「親父よまた明後日」。