もっとゲーリーを
12月にエンリクが来た時ザハの国立競技場の話からスターアーキテクト問題に移り、ビルバオの話になった。彼はビルバオをどう思うかと聞くので僕はビルバオであの建物を見て感動したと言うと、彼もビルバオの街はあの建物で復活したと言った。しかしと僕は続けて、世界中であれを作り続けるのはどうかと思うと言うと、その通りと同意した。しかしこの間読んだglobal architectなる本に書いてあるとおり、スターアーキテクトに頼むクライアントはスターのブランドイメージが欲しいのであって、デザインを変えることは容易ではないと書いてあった。そうだよなあと思いつつ本当だろうかと疑心暗鬼だったのだが、今日ジェンクスが10年くらい前に書いた本(Charles Jencks Iconic building Rizzoli 2005)を読んでいてやっぱそうなんだというインタビューが載っていた。それはジェンクスがゲーリーに行ったインタビューである。
CJ:フランク、アイコンの作り方が変わったよね・・・
FG:ビルバオから僕は「フランク・ゲーリービル」を作るために仕事を頼まれるようになった。彼らは「フランク・ゲーリー」を欲しいと言うんだよ。打ち合わせでデザインを置くとクライアントはこう言う「うーーんこれはゲーリービルではない」・・・・
もっとゲーリーっぽくというわけである。これはゲーリーだけではないだろうなあ、、、、、ザッハもリベスキンドもアイゼンマンもであろう。
外国向け年賀状
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去年末は理由はよく分からないが例年に比べてとても忙しく、ついに年賀状を作る暇が無かった。いつもは12月の1週目くらいにできているのだが、、というわけで去年末に腹をくくり年賀状はこちらからは出さない。来た年賀状に返信するだけと決めた。そして正月三が日以降にはもう来るまいと踏んで、3日に年賀状をつくり一度に返信してさあ終わったと思っていた。しかしそうは問屋が卸さない。今日6日になってもまだ年賀状は少しずつ届く。しょうがなくちょぼちょぼ返信しているのだが、外国からもご丁寧にカードが届く。そういうのは日本語の賀状を訳してメールに添付して返信している。しかしせっかく作ったのに10通くらいしか出さないのももったいないので、ブログにあげることにした。たまたま見た方にHappy New Year!!である。
数学者の文章は論理的
重い腰を上げて篠原先生のアフォリズム集の英訳を始めた。最強のメンバーで臨むこの翻訳チームのなかで最弱小の私はページ数を最も少なくしてもらったが、そうは言っても和訳と違って英訳は大変である。そう思って始めたが、たしかに大変は大変なのだが、実に篠原先生の文章は主語述語が明快で英語にするのに困ることは何も無い。とりあえず本日の文においては。これが最後までそうかどうかは分からないが、数学者の文章はやはり論理的ということか?
繊細の精神とは
パスカルは『パンセ』の中で人間には繊細の精神と幾何学の精神があると言っている。これを聞くと数学者パスカルの考えは数学者篠原一男の精神を見事に言い表しているように感ずる。篠原の空間はまさに大胆な幾何学と繊細な空気感を両立させるところに生まれているように思う。
話は飛ぶが、あの紙の会社である竹尾が原研哉編『SUBTLEサトル:かすかな、ほんのわずかの』竹尾2014という本を作った。その中でパスカルのこの話は原研哉と数学者森田真生の間で話題となっている。たしかに紙をデザインするということはまさにこの二つの神経の交錯するところに生まれると思う。この本に登場する作品を見ているとよくわかる。どちらかに神経が偏ってもいい作品はできないのだろうと思う。さて建築はというと??繊細さを単に質料的なとしてしまうと話は歪曲されてしまうので、これはあくまで幾何学精神と繊細精神と考えておきたい。
繊細とは何か、壊れやすい、虚弱な、力弱い、、、、言葉はいろいろ出てくるのだが、言葉にしてしまうとどうにもしらけてしまうので、今日の作品集のなかで一番繊細に見えた葛西薫の作品を記録として残しておきたい。これはマット紙の上に小さな宝石をおいてその上に和紙を被せた作品である。
建築理論を語る難しさ
東京大学建築学専攻編『これからの建築理論』東大出版会2014によれば東大の建築学科では建築学専攻に4つの軸を作っているという。それはデジタル、サスティナブル、メディア、そしてシンクタンクだそうだ。どこにでもありそうなテーマではあるが、早速行動に移し、本まで作っている行動力が素晴らしい。とまあそのお膳立てはともかく、本の内容はいささか散漫ではある。隈研吾司会の原、槇、磯崎鼎談は目玉なのだろうが、まあお話はまったく噛み合わない。それは彼ら自身言うようにその昔はまだしも、30年くらい前から3者の間に会話も何も無いという状況なのである。それはそうだ80年代のポストモダンとは皆が好き勝手を語る時期なのだから。
こういう本を読むと、建築理論を語ることの難しさを改めて感ずるのだが、もう少し議論の範囲を絞れば噛み合うのだろう。その手の現代建築理論を系統だてた参考書(洋書)に沿って、その中のどこを扱うかを定める必要があるだろう。もちろんそのどこをテーマとするかを決めるのが難しいかもしれないが。僕なら現象学とその限界などが面白いと思うが。
反グローバリズムの克服とは脱グローバリズムに繋がる
年の初めに少し自分の意見を客観視しようと思い、自分と逆の意見と一見思える本に手を伸ばす。今書いている文章で批判しようとしているものがいくつかあるが、その逆の立場からの意見として八代尚宏『反グローバリズムの克服――世界の経済政策に学ぶ』新潮選書2014を先ずは読んでみた。さて読んでみると反対すべきこともあるが賛同できることも多々あることに気づく。そもそも僕は反グローバリズムではなく脱グローバリズムなのだと自らの立場を改めて考えた。つまりグローバル全てを悪だと思っているわけではないし、グローバリズムと密接に絡むネオリベラリズムの主張である競争を何でもかんでも不要と考えているわけではない。国際性なき地方主義に未来はないと思っているし、全てに平等を主張する怠惰は回避しなければならないと思っている。そうした視点からすると、八代氏が指摘するように中途半場な政府介入が破綻仕掛けた金融機関を救済し、それによって民間はそれを見越して行動し、より高いリスクの商品を生み出すインセンティブ(誘因)となるというような指摘はその通りだと思う。こういう人がグローバリズムを是々非々で記してくれると良いと思うのだが。
資本主義は不平等を解消できるか?
日記を振り返ってみると2001年の正月から年の初めは両親と兄家族と初詣をして食事をとるようになった。そしていつのころからか、年の瀬に青山に皆で宿泊して初詣をして食事をするようになった。この週間は兄家族が海外に居る時も正月だけは帰国して続き、3年前に母が他界してからは、初詣の前に墓参りをして吉祥寺でフグを食べるようになった。15年続く年始の行事になった。となっているので年始はどこにもいかないで家にいる。そもそもこの頃の旅行は値段が高いという問題もある。
今年は陸郎はデンマーク、太平はオーストラリアにいるので欠席。オヤジは杖をつかずに歩けるようになり驚きである。頭脳も明晰である。朝刊にでていたトマ ピケティ『21世紀の資本』の話は既に知っており資本主義が不平等を解消できるかと投げかけたら、それは難しいだろうと返された。
そういえば夜タモリがテレビで同じようなことを言っていた、資本主義でも共産主義でもなく、その間のような主義が世の中の問題をより多く解決することを期待する、、というような、、、
1年の反省
1年の終わりに今年の反省。
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1月に国際交流基金の援助を得て、アルゼンチンの建築家二人を招き理科大でワークショップをした。またセルバンテス文化センターでバルセロナの建築家も加わり日本・アルゼンチン・スペインの3か国の展覧会、シンポジウム、レクチャーを行った。彼らを連れて極寒の京都に行けたのは楽しい思い出。その後二人の建築家が所属するアルゼンチンのパレルモ大学と大学間協定を結ぶことができた。
●国際交流基金の助成は今後とも継続的にもらうようにやることを考えていきたい。一度やり方が分かったものは継続するのがお得な気がする。
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3月末にセントルイスのワシントン大学での篠原一男展に呼ばれシンポジウムに参加した。スチュワート先生や塚本さんも一緒。また現地ではキースクローラックにも会えた。そして何といってもサーリネンのゲートを見ることができたのはこの旅の収穫。
●久々のアメリカだったがネイティブ英語のシンポジウムは本当に冷や汗もの。もっと英語勉強しよう。
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5月に同世代の建築家15名くらいと台湾の竹中工務店による客家センターや伊東さんの台中オペラの工事現場などを見に行った。弾丸ツアーだったけれど修学旅行のようでたまにこういう旅もいいものだと思った。
●億劫がらず出かけていくことが大事。フットワークは軽く。
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6月に上海の篠原一男展の最終日を見に行けた。上海現代美術館の館長さんともお話できて篠原はこの美術館で最初の建築家の展覧会だと説明された。自国の建築家をさておき日本の建築家を展示するのに驚いた。
●中国との関係は継続的に長い目で行うべし。
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8月にバルセロナ、アムステルダム、コペンハーゲンと自転車都市の視察を行った。どの都市でもとにかく自転車に乗り、彼らの自転車をベースとした街を体感した。道の整備を数十年かけて行ってきて初めて成り立つのだと痛感。東京も遅ればせながらそこに取り組まないといけない。コペンハーゲンではロイアルアカデミーでまたオルボーに足を延ばしウッツォンセンターでに自作についてレクチャーをした。フレームとしての建築を多くの人が理解してくれるようになった。
●自分の考えを人に伝える努力を惜しまず、継続していくと伝え方もうまくなるし、そのコツも分かるようになる。何よりも建築家は人に理解してもらえてなんぼのものである。
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12月にはバルセロナから建築家エンリクが来日して理科大でワークショップを行った。テーマは祭り。考えた企画を実際に神楽坂で行った。実行日当日だけ雨が降り天に見放されたが多くの方が来てくれた。建築家の職能について教えさせられるWSだった。
●建築家の職能と祭りとのつながりが最初は僕もよくわからなかった。しかしエンリク曰く都市は多くの人が自由に使える場所であり、その認識を持つために祭りは有効。街の自由(公共性)なくして楽しい都市は実現できないということを体で学んだ。
今年は外国との交流が多い1年だった。残念ながら竣工した建物がないのだが、秋ごろに3つの建物が立て続けに着工した。来年春から夏にかけて3つとも竣工する。また翻訳中の本は夏を目途に、グラフィックの本は秋を目途に、建築の条件は冬を目途に出版できればと思っている。3つの建築と3冊の本。それ以外に6月にバルセロナにワークショップをしに、年末にはまたどなたか海外から建築家を呼んでワークショップを行えればと思っている。
やるべきこと、やった方がいいだろうなあと思うことは年々増えている。なのでいつかパンクするだろうとびびっている。生活スタイルを調整したり、時間を有効に使う方法を考えたりしながら、体力、精神力もよく考えながらいい仕事をなるべく多くしていければと思っている。
作る設定の柔軟性
昨日は恒例の忘年会、塚本夫婦、奥山さん、石田さん、小川さん、ヨコミゾさん、柳沢さん、東さん、萩原さん、木島さん、もうこの会は何年続いているのだろうか?長く続いているのは楽しいから。今日はやっとこの連日の忘年会から解放され、家の掃除をして、溜まった書類に目を通したり、原稿書き足したり、のんびり過ごした。先日エンリクに勧められて買ったA+Uの12月号のタイトルはexperiments建築の実験であり、その領域の拡張というようなテーマである。建築がファッション同様現在その領域を拡張しているのは言うまでもない。我々が建築家であって単なるエンジニアではないのはこういう拡張性を柔軟に持ちうる点なのである。一方で建築家が建築を作るということもおそらく未来永劫なくならない。つまり作る領域を柔軟に設定できることが常に求められているということだろう。