磯崎新弔辞集が面白い
腹ペコの帰りの電車で磯崎新『挽歌集―建築があった時代へ』白水社2014をペラペラめくる。これは磯崎新が生涯に送った弔辞集である。こういう本がかつてあったのだろうか?磯崎ほどのスーパースターだからこそ本になるほど弔辞を送ってきたのだろう。連なる名前に驚く。音楽家、哲学者、芸術家、、、、、それてしもこのサブタイトルはなんだろうか?「建築があった時代へ」というこのサブタイトル。「今は無い建築」への郷愁がただよっている。そしてここで言う「建築」とは磯崎が作るべく奔走していたメタ建築のことであろうか?
そういうふうにして中を見て熱が入っている弔辞が二つあると感じられた。ひとつは丹下健三もう一つは篠原一男である。丹下はもちろん磯崎の掛け替えのない師匠である。そして篠原はこれも掛け替えのない同士なのであろうか?そして篠原は磯崎とともにメタな建築(篠原は芸術だったが)を目指した日本ではおそらく唯一の建築家だったのではなかろうか。「篠原一男が逝ってしまうことによって、私は思考の定点を失った気がする。私だけではない。日本の現代建築にとっての定点を私たちは失ったのだ」という最後の言葉は本音だろう。
ヴァキューム棒、効くー
朝一でジムに行き、40分歩いた。と言ってもただ歩くのではなく、傾斜角をつけられるランニングマシンで8度の傾斜でかなりのスピードで歩いたので300Kcal消費した。帰宅後、遅めのランチを配偶者と四ツ谷駅のポールに食べに行った帰りにポールの隣の成城石井で餃子を買った。というのも今朝のテレビでLILICOが餃子を酢と胡椒で食べていたのを見て是非この食べ方をしてみたかったから。新宿通りを帰宅途中大工道具などを売っている店でヴァキューム棒を買う。風呂場の排水が詰まって流れないのである。洗い場がいつもプール状態。帰宅後早速使ってみた、10回くらい渾身の力で水を溜めながら押し引きすると、排水管からゴミが溢れ出たかと思ったらスーっと流れた。感動。
磯崎新インタビューズ
日埜直彦 さんが磯崎新に10年間(2003~2013)かけて行ったインタビューが本になった(日埜直彦、磯崎新『』磯崎新interviewsLIXIL出版2014)。磯崎新が建築を始めたろから2000年までの貴重な記録である。その上インタビューなのに注が丁寧に入っているのには恐れ入る。これだけのものはそう簡単にできないよなあ。
そのインタビューの最後が21世紀のアーキテクトというタイトルで2014年に行われている。そして次のようなグローバルな世界の現状が語られる。
・40年後には社会をリードするものがテクノクラシーからメディアクラシーに変わり、政治も経済もメディアのフィルターによって決まる。
・また現代美術はアーティストが作っているのではなく、MOMAや世界中の財団、コレクションなどのインスティテューションが何かを組立そこでアーティストを売ろうとしている。
・モダニズムは表象が根拠によって説明できなければ承認されなかったけれど、現在はブランドが注目され、それを推進するスター・システムが逆に注目される。アイドルがこれに替わる。
磯崎の予想は放っておけばそうなりそうなのだが、文化はそこまでリキッドに(昨日のバウマンの用語を使うなら)なって大丈夫だろうか?
リキッド化した世界の文化
ジグムント・バウマンの新刊伊藤茂訳『リキッド化する世界の文化論』青土社(2011)2014はグローバル時代の文化解釈としてはとても分かりやすい。初期資本主義はソリッドモダンの時代でネーションステートが確立しており、そのネーションステートの秩序を維持するツールとして文化があったのだという。それはブルデューが言うように社会階層に対応した文化というものがあり、富裕層はハイカルチャーを楽しみ、低所得者にはそれに対応するカルチャーがあるというあの話である。社会階層=社会秩序が階層化した文化と合体することで磐石な社会を形成していたということだ。ところが後期資本主義=リキッドモダーンと著者が呼ぶ時代に突入した。世界はグローバル化し、一見終焉と見えた消費世界はますます消費社会化し、グローバル化するファスト、フード、ファストファッションが人々のマネーを奪取するために、瞬間的に商品を変化させている。加えて人々の移動は第三の民族移動の時代を迎え急激に世界を駆け巡っている。ここではネーションステートの境界線は溶解し文化がネーションステートの秩序維持のツールである必然性を失うのである。つまりもはや文化はブルデューが分析したような「場」を形成することもなく、人々は自分の社会的階層と何の関係もなく雑食的に全てを貪り食う状況となるのだという。加えて文化は上記ファストフードやファションと並行関係を持ちながらファストカルチャー化しているというわけだ。バウマンのいう状況に日本が陥っているかというと、にわかに賛成する気はなれないが、おそらく彼の住むイギリスのような日本よりはるかに階級的な社会では実際そうしたリキッドな状況が起こっているのかもしれない。ふむふむ。
月曜日は長いへとへと
長い月曜日を乗り越えるとホット一息。とは言え帰宅すると散乱した本の中にぐるり囲まれた部屋で、次なる思考に頭を切り替えるのだが、お腹が減って続かない。ご飯食べよう。
権力がピラミッドを作ったのではなかった
昼から翻訳勉強会。今日は12時から5時まで。夜NHKのティオティワカンのピラミッドのドキュメントを見る。ピラミッド頂点の真下に十字形のトンネルがありそこに様々な埋蔵物があるのだそうだ。
以前オアハカのピラミッドを見たときも、一昨年マヤのピラミッドを見たときもトンネルのようなものはなかったが。
マヤのピラミッドも実に大きかったがあれは一度にできたのではなく、増築に増築を重ねてお大きくなったとのこと。ティオティワカンのそれも数百年をかけてあの大きさになったと推測されている。そして最初のピラミッドは雨季と乾季の太陽の出る方向を示すもので神殿ではなかった。大きな権力が巨大な構造物を作ったのではないというのが画期的な説である。