中国へのお土産は絞りのバッグ
10時に国立新美術館で配偶者の書を見る。ついでに地下のミュージアムショップで中国へのお土産を探す。絞りの小さなバッグが銀パックにラップされて1800円。5つほど購入。一体中国で何人の先生にお会いするのかよく分からないが5つあれば間に合うだろう。事務所に一度戻ってから1時半に神楽坂でコンペの打ち合わせ。3時から輪読ゼミ。今日は『動物化するポストモダン』4時半から1時間設計。6時から製図。うーん今日は長い。
理科大闘争
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先日理科大理工OBで附属の先輩でもある鈴木さんと会った時に理科大闘争の話を聞いた。そして宮内康さんの『風景を撃て―大学一九七〇-七五』相模書房1976がその理科大闘争を記したものだと教えていただいた。この本はその特徴的な題名とかっこいい装丁でその昔から気になっていた本だが中身がそういうものだとは全く知らなかった。加えて宮内康さんが理科大理工の講師だとは意外なことであった。早速古本サイトで購入して読んでみた。そもそも反体制の血がある私はこういう本を読むと血沸き肉踊ってしまうのだが、しかし時代はだいぶ変わっている。そういう時代の差を冷静に見つめ直して考えてみたが、やはり理科大の歴史の一こまを活写した文章として感動的な書である。そして実に大学教育に対する真摯な態度に背筋をただされる。加えて理科大の歴史を知るには必須の書であると感じた。
コンペの打ち合わせしていたら、、、抽象画になった
午前中事務所で雑用。午後来季の学科予算書を作って事務と相談。なんとか完成。来週の教室会議に間にあった。ホッ。夕方から研究室でコンペの初回打ち合わせ。要項を読みながら動線やゾーニングを描いていたら色が足りなくなってそれも描き重ねていたら不思議な抽象画となった。コンペに限らずだけれど一人でエスキスしていても色を変えて違う階を同じ平面上に描くのでこういう絵になってしまう。4時間やっていたら少しは条件が分かってきた。敷地に僕を含めて3人が行ったことあるというのは結構驚き。
プレディプロマ中間発表
午前中事務所で某プロジェクトの面積縮小のための寸法変更の打ち合わせ。このプロジェクトは施工者を紹介されていて基本設計が終わったところで図面を見てもらった。当初予想の坪単価では困難と言われ、しからば面積絞るかと言う展開となったわけである。ただ縮めるなら簡単なのだが一応910モデュールで(歩留りよくするために)小さくするとなると少々面倒くさい。
昼から神楽坂で主任会議。会議後大学院を外部受験する関西の学生と会いポートフォリオの説明を受ける。未だ完成していないので試験までにもっとブラッシュアップするように指示。6時からプレディプロマの中間発表。30人の作品が部屋3辺に貼られる。計画歴史系の助教、准教授、教授計10人全員集合でなかなか充実した講評が行われた。プレディプロマのしかも中間発表なので今のところリサーチのヴィジュアルプレゼンである。リサーチのきっかけとして今年はプログラム、コンテクスト、エンジニアリングのどれかに着目して漸次必要なアイテムを付加するように指導した。今年は30のプレゼンそれぞれ見どころがある。後半に向けていい作品を期待したい。
スティーグリッツのピクチャレスクとは?
●アルフレッド・スティーグリッツ「驟雨」
修論ゼミでピクチャレスクをテーマとする学生がいる。僕にとってこの言葉は学生時代に『建築の世紀末』を読んで以来うまく理解できない難物であり未だにその芯を掴めない。先日読んだ『アメリカンリアリズムの系譜』では写真的絵画と絵画的写真の話が出てきてその嚆矢として写真の分野ではアルフレッド・スティーグリッツが挙げられ彼のピクトリアリズム写真がピクチャレスクと評される。ここでのピクチャレスクの意味は「既に慣れ親しんだものではあるが構図が正しく、詩的で、変わらぬ価値が表現されている」ものと説明される。この説明自体すでに18世紀19世紀ピクチャレスク概念とはずれていて分かりづらい。ただピクチャレスク理論家のウィリアム・ギルピンが称揚する風景とスティーグリッツが切り取る風景には共通点があると言う。それは双方とも「既にあるなんらかのイメージに呼び寄せられて切り取られたもの」。つまり先行するなんらかの「オリジナル」の「コピー」としての表現だと言うのである。それは単なる自然ではなく単なる都市の一コマではなく。周到に計画され計算された構図であり、光であり、ものの組み合わせでありそして何よりも、それが呼び起こすであろう感情が予測できるようなイコンであるというのである。この説明は確かにピクチャレスクと言われるものに共通してある性格の様に感じる。
ファストファッションー無駄遣いのメカニズム
エリザベス・L・クライン(L. Cline E)鈴木素子訳『ファストファッション――クローゼットの中の憂鬱』春秋社2015を読む。タイトル通りH&M Forever21 Zaraその他大量生産格安販売のファッションを徹底取材。その結果著者が辿り着いたファストファッションの真実とは
① 人々に必要以上の服を欲しがらせるために数週間ごとに新しい記号を並べて欲望を喚起する。
② そうやって生まれた欲望の経済力に見合う値段をつけるために一つの製品を数万単位で生産する。
③ 同様に値段を下げるために東南アジアの労働力を最低価格で酷使する。
④ そうやって消費された衣類は消費者のニーズを超えて溜まり最後には捨てられる。
こうし反省から生まれるこれからのファッションとは自ら創るか廃棄された服をリメイクして着ると言うものである。なるほどそれはその通りだと思う。この恐るべき無駄遣いのメカニズムは少々変えないといけない。衣も住も同じ。
アメリカ美術の主流は本当はリアリズム
小林剛『アメリカンリアリズムの系譜―トマス・エイキンズからハイパーリアリズムまで』関西大学出版部2014を読み終えた。アメリカ美術と言えば戦後の抽象表現主義が前景化しがちだが、継続的に流れているのはリアリズムであると著者は言う。そこで思い出したのがUCLA留学時代のチャーズル・ジェンクスの講義‘Contemporary American Realism`である。時あたかもポストモダン最盛期であり、この授業の趣旨は抽象的モダニズムを否定して、具象的(リアリズム)ポストモダンを称揚することだった。
さて小林氏のリアリズムの切り取り方で最も面白かったのはロザリンソ・クラウスの「指標論」(アメリカ90年代アートはパースがいうところのインデックス的である)に掉さしながら、アメリカンリアリズム絵画がヨーロッパのそれとは異なりインデックス的な物として始まったという指摘である。
そもそもヨーロッパリアリズムを学んで生まれたアメリカンリアリズムであるがヨーロッパのそれが歴史や習慣を指し示すイコンとしての「類似性」を有しているのに対してアメリカンリアリズムのそれはそうした歴史を意図的に排除してインデックスとしての「事実生」のみに依拠しているのである。60年代以降(抽象表現主義が一段落した後)に復活してくるリアリズムがハイパーリアリズムと呼べるような写真以上に写真的な精緻でインデックス的なリアリズムとなってきたのはそもそもその発生においてインデックス性を胚胎していたからだと言うわけである。
自転車で六本木行ってwakoで写真を見る
ワールドカップは見たいけれど、それで生活のリズムは崩したくないと思っているのだが、4時ころ目が覚めてしまった。あきらめてテレビをつけたらオランダが1-0でスペインに負けていた。スペインの華麗なパス回しにボールがとれない。こりゃ4年前同様スペインに軍配が上がると思っていた矢先にすごいロングボールからとてつもないヘディングで追いついた。そして立て続けにロッベン、ファンデルシーが2点ずつ得点。5対1という信じられないような大差でオランダが勝利した。本当かい??
午前中大学の人事資料を2時間かけて作った。資料が大学にある(と思っていた)ので金町まで行かないと作れないと思っていたが、幸いほとんどの資料がCPUの中か大学のHPに置いてあることがわかり家で作れた。
12時のエアロビクスに滑り込み久しぶりに1時間走った。へとへと。シャワーを浴びて自転車で六本木へ。WAKO WORKS OF ARTでフィオナ・タンの写真を見る。世界の家族を撮ると言うシリーズの東京編。小さな額に様々な家族の情景が映し出され所狭しと貼り付けられている。隣のオオタファインアーツには久門剛史のインスタレーションがあり外国人のカップルが写真を撮っていた。
青山ブックセンターでファッションの本、珍しく建築の本など10冊ほど買って宅配を頼み。自転車で家路へ。今日は陽が強いけれど乾いていて風がさわやかである。家の傍でワイン4本と5年ものバルサミコ酢を買ってこれも宅配を頼む。
1時間設計、建築家が採点
毎週金曜日の夕方研究室で1時間速攻住宅設計を行う。今日の出席者は20人。出来上がった設計図は6時からの製図に来られる非常勤講師の方にお見せし、皆の一番いいと思うものにサインしていただき、その理由も書いてもらう。表は集中する時もあれば割れる時もある。学生にしてみれば僕一人に採点されるよりは多くの多様な価値観で評価される方が嬉しいだろうし、正しいことだと思う。クライアントなど星の数ほどいて皆異なる価値観を持っているのだから(特に住宅ならば)