ウォーホールは天才
○ウォーホールがペンキ塗りたくったBMW
昼にウォーホールを見に行った。思ったよりはるかに面白かった。ウォーホールについては有名なシルクスクリーンとブリロボックスぐらいしかしらなかったわけで、とんでもない創作数とその能力に圧倒された。初期の商業デザイナー時代にヴォーグなどに描いていたイラストがうまい。スケッチが正確。色遣いのセンスがいい。「天才でごめんなさい」と会田誠が言っていたがきっとウォーホールもそんな気持ちだったに違いない。
そんな商業デザイナーが能力余ってアート界に進出したのは彼の能力なのか時代が求めていたのかそれはもう誰もわからない。いずれにしても60年代にウォーホールによってアートはドラスティックに変化して新たな時代(さまざまなアートが乱立する時代)へと突入したわけである。
霜柱
今日は初めて皇居一周ランをした。家から出て一周して帰ると約9キロ。走ったり歩いたりで1時間20分かかったが爽快である。四谷から半蔵門に出て国立劇場の前を通り桜田門を通過して、ぐるり回ってパレスサイドの前から竹橋を渡る。ここで発見。このはしは「たけばし」ではなく「たけはし」だった。濁点がついていない。でも地下鉄の竹橋は「たけはし」ではなく「たけばし」と濁点がついている。なんでだろう?近代美術館を過ぎて左側にちょっとした広場があり植栽の土の部分に霜柱を発見。東京で霜柱を見るのは何十年ぶり。
午後2時に事務所で打ち合わせ。5時から出版の打ち合わせ。だいぶ話が煮詰まってきた。今度はグラフィックデザイナーを入れて打ち合わせ。
建築学科歓送会は柴又川千家にて
理科大工学部建築学科年度末恒例の歓送会。今年は准教授の山名さんをはじめ5人の先生がここを出られる。二部主任の私が幹事をして彼らを祝う会を行った。場所はせっかく金町に来たと言うことで隣の柴又の250年続く川千家という鰻屋さん。行って見たら鉄筋コンクリート3階建ての地方の観光ホテルという体なので驚いた。でも学科30人近くの先生方で楽しく皆さんをお送りできたのではないだろうか。5人の先生方ご苦労様でした。
セントルイスでシンポジウム
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篠原先生の展覧会がここ半年の間に世界中の3か所で行われると誰かから聞いた。いやすごいものだと感心していたらそのうちの一つから展覧会に合わせてシンポジウムを行うので来てほしいと頼まれた。月末で大学の嵐の入試も終わっているので行くとは言ったものの、同時通訳なしのネイティブ英語のシンポジウムは結構タフである。シンポジウムは日本語でやったって割り込み方が競争になるし、うまく入らないと全体が壊れてしまう。それを英語でやると微妙なニュアンスが分からなかったりして難しい。
場所はセントルイスなので2日で帰るのももったいないと思いニュヨークのジャパンソサエティ芸術監督の友人に次の日の夕食を一緒にと言ったらいいねえとの返事。でもその日リハーサルがあるので終わり次第ねということになる。というわけでその日は僕もリハに付き合い夕食は深夜だろうか?
ブックレットサイズが違う理由
ワークショップ展覧会などのブックレットを3つ並行して研究室で作っている。研究室でと言うと皆でやっているみたいだが実質的には助手の田谷君が一人で作っている。やっとまとまってきて最後の赤を入れながらふと気が付いた。3つのサイズがバラバラである。このサイズの違いに自覚的になったのは今日が初めてである。何を今頃気づいているのだと怒られそうだが事実だから仕方ない。理由はこれら3つを作り始めた時期が微妙に違い内容がそれぞれ異なるからかだと事後的に推測する。しかしそれは推測にすぎない。
一つは一昨年アルゼンチンでやったWSでこのドラフトは一年前にはできていた。今まで完成を見なかったのはアルゼンチン側から原稿が来なかったからである。二つ目は今年やったアルゼンチン、スペイン建築家とのWSなど。これは日本主催でもあるし少しがっつり作ろうと一回り大きくした(記憶があるような無いような、、、)。もう一つはデンマーク建築家レネとのワークショップ。うーんこれは何で一番大きくなったのだろう?編集をお手伝いしている大森さんに見せられた見本が大きかったからだろうか??理由はよく覚えていない。
オーフスの学生、先生と谷中で会う
鈴木明さんがコーディネートしてデンマークオーフス大学の学生が谷中でワークショップやっているのを鈴木さんのフェイスブックで偶然知った。今日はそのプレゼンを根津の公民館みたいなところでやるというので大学行く途中に1時間ほどたち寄った。近いからトム・ヘネガンも登場。彼と話すのは実に楽しい。
去年オーフスでレクチャーをしたので僕のことを知っている人もいたし、何と言ってもHIROSHIのことはよく知っているようである。
彼らの1日課題は谷中の面白ショップファサードのリサーチである。これが実に楽しい。「へーそんな店があるのか!!」と感心する。これを冊子にして売ったら売れそうだ。
それにしても数十人の学生が日本にやってきてこれから京都金沢と回り2週間の日本旅行をするのだからデンマークの学生はリッチである。
何故か仕事は増えるばかり
夕刻大学での会議を終えて来年度の人事案件が無事進みそうでほっとした。こうやって大学運営の仕事が一つ終わるとまた一つ(いや二つも三つも)湧いてくる。春休みだと思うからそう感じるのかもしれないが、毎日のようにやってくる事務のメールの量が日々増えているように思える。そんなメールを処理しているだけで数時間すぐ過ぎてしまうのは僕の能力不足だからだろうか?本当にしなければいけないことやしたいことができずに日々が終わるのはまずい。そう思ってメールを開くとまた爆弾のように仕事が降ってくる。どうして文科省の奨学金でやってくる外国人学生の書類を本人がいないからって指導教官が書かねばならぬのか?????ああ頭が痛い。国際化に向けて頑張れば頑張るほど仕事は増えるのである。なんだか腑に落ちぬ。
インカ、アステカがやられた理由
昨年グアテマラでマヤの遺跡を見てその巨大さに驚いた。かなりの統制のとれた国家が作られていたに違いない。マヤは9世紀に消滅したがその後さらに強大なアステカ文明が生まれる。そして15世紀からスペイン人はメキシコでアステカ文明を殲滅し、次にクスコでインカ帝国を潰した。でもどうして遠くスペインからやってきてこんな国々を壊滅できたのだろうか不思議に思った。増田義郎『物語ラテン・アメリカの歴史』中公新書2011を読み少し分かったのは、アメリカにやって来たスペイン人は農民でも商人でもなく、イスラム人と戦ったばかりの戦士だったということ。