ゆっくりと番茶など飲むとよい
昨日は心身ともに最悪で、こういう時も人生にはあるのだなとじっと耐え忍んだのでいた。だいたい体調が悪い、加えて自分では解決しずらい人の問題で悩むことが二つ発生。つまり3つ悪いことがいっぺんに来たりするとガクッと来る。日がずれてやって来るとまだそれぞれ少しずつ対処して先が見えるのものだが一遍に来るとパニックになる。こういう時にどれかに手を付けると失敗するので先ずはじっと耐え忍んで、精神的な台風がとりあえず通り過ぎるのを待って(まあだいたい一日)次の日に考えるのが良い。幸い昨日は別にやることがあったので気が紛れてよかった。そしてそれを終えてさっさと寝床に入りとにかく一度忘れる。今日はいろいろと一気に考える。そうすると少しこのパニックから脱出できるものである。もちろん全面脱出ではないので未だに精神状態は回復しないのだが、それは建設的な思考に基づき論理的に少しずつ解決されていくのである(と期待する)。そしてゼミや、授業をやりながら頭をフル回転させてそしてやっと少し平穏な精神状態に戻ってきた。こういう時はゆっくり番茶など飲むとよい。
セーブ忘れなど、、、
お昼から翻訳読み合わせ会。数週間前にやった作業をセーブできていないことが今朝発覚参った。
最近コンピューター上でのトラブルが多い。セーブのし忘れと最終確認ボタンの押し忘れである。これによって作業がぱーになったり、予約がとれていなかったりという危うい事態が発生する。この原因はいくつかあろうが一番大きなものは画面上で一度にたくさんのことをしようとすることに起因する。つまり多くのウインドウを一遍に開き、閉じる時にセーブすべきものとそうでないものが的確に判断できていないのである。
記憶力が低下しているということなのだろうか?困ったな。
早大文学部キャンパスの高層棟できましたね
早稲田の文化構想学部での演習初日。半年ぶりに訪れる文学部キャンパスには新しい講義棟が建ちあがっていた。昔村野さんの建物が建っていたところに鹿島デザインの建物が建ちあがっていた。けっこう細身のプロポーション。べたっとした公団住宅みたいなものができるのかと危惧していたがそんなことはない。そしてけっこう高い建物だが打ち放し。グリットを浮き彫りにしたデザインはその昔の遅ればせながらのシカゴトリビューンという展覧会で安藤忠雄が出したような案と似ている。他の部分がどうなるのか分からないけれどいいキャンパスになりそうな予感も。でも何でもかんでも壊さないで欲しいと言う気持ちは前と変わらず。
さて授業を始めると狭い教室は満杯。最初のイントロを聞いて来週は10名くらい減ってくると丁度いいのだが、なんと講義開始前に履修登録は終わっていて、演習は取り消しができないそうである。これってなかなか学生には厳しいシステム(というか先生にも厳しい)。理科大は少なくとも登録機関は4月後半である。これでいいのだろうか?先生と生徒の相性というのもあるだろううに、、、、、
おやおや、建築家になりたい学生0
書類に追われ、授業に追われ、設計に追われ、あっち行ったりこっち行ったりで合間に必死に書類作って、電話して、メールして、さすがに葛飾、神楽坂二拠点体制は結構参るな。そんなの分かっていたことなのだが、やってみたらやっぱり大変である。
今日は大学院の製図の第一回目の講義でフジワラボの藤原鉄平さんが神楽坂に来られて製図のオリエンテーション。藤原さんが「建築家になりたい人」と聞いて誰も手をあげなかったのには参ったな。理科大大学院1年生30人、一応計画系の研究室に所属する学生だけなのに。ちょっと教育の仕方変えないと。一緒に食事したかったが明日が早稲田の最初の講義で北欧の話など少ししたかったのでその準備がしたく、お先に失礼した。
コーホート図の面白さ
先月卒業式を武道館で行い、今日は入学式を武道館で行う。娘の入学式には大隈講堂まで行って建物を見て帰ってきたのだが今日はきちんと最初から最後まで式に出てそのあとご父母の方とも懇談会を行った。
式と懇談会の間にだいぶ時間があり根本祐二『「豊かな地域」はどこが違うのか―地域間競争の時代』ちくま新書2013を読んだ。この中に僕の知らなかった人口分析グラフが登場する。コーホート図というもので、ある期間(たとえば5年間)の年代ごと(たとえば5歳ごと)の人口の増減を示した折れ線グラフである。単純なグラフだけれど面白い。例えば過疎な地域では20代の年代がぐっと減少し(皆都市に行ってしまう)、新宿などはそのあたりがぐっと増加する。大学が多いからである。この図とその地域のありようはイメージとしてかなり相関する。
夕方金町に移動して新年度初めての一部、二部合同の会議を行った。新しい校舎は天井を張っておらず、ダクトやスラブが見えている。いやだという先生もいるが、僕はあまり気にならない。むしろ天井が高いし爽快だ。ただ一つ欠点がある。吸音材がないので会議の声が反響してよく聞こえない。壁を少し斜めにでもしてくれるとだいぶ違うのだろうが、、、、、
カリフオルニアには自由の風が吹いていた
時差ボケもやっと少し直ってきたか?午前中共同研究プロジェクトの原案を練り、午後久しぶりにジム行って、その足で(ちゃりんこ)国立新美術館に行く。
カリフォルニアデザイン展を見る。30分で駆け足見学。「知らないデザイナーがいっぱいいるものだ」と改めてミッドセンチュリーデザインの形成過程の理解が深まった。カリフォルニアデザインはいろいろな説明のされ方がなされる。曰く、戦前の移民たちのデザインの集合。曰く、戦中の多くの軍事産業の生活産業への転換。曰く、戦後の飛行機産業、船舶産業に集まった人々と経済の活況がデザインを消費できた、などなど。どれもきっとそれぞれ正しい。ただ今回僕が最も再認識したのはカリフォルニアが「新世界であった」という点である。ここに集結したデザイナーにはこの場所を創造する自覚と自由があったということである。上に示した写真は1922年に撮影されたもの。現在のロサンゼルスの中心であるウィルシャーとフェアファックスの交差点あたりである。なんと道路以外ほとんど何もない。ここから10分くらい南に住んでいた僕としては驚愕である。半世紀前には何もなかった場所であることを改めて知った。これからほぼ30年の間にミッドセンチュリーデザインは生まれたわけである。0からの出発である。
ある一人のデザイナーのインタビューが流れていたが、彼ら(当時のデザイナーたち)には不思議と競争意識などなかったそうである。すべてのデザイナーがそれぞれカリフォルニアをしょってたつ強い信念を持っていたとのこと。いい場所と時代だったのである。