On
by 卓 坂牛
『建築の設計力』の前書きに、設計の半分はロゴス、半分はパトスなら、半分は伝えられるはずだ、というようなことを書いた。すると本を送った中学の同級生で東大の言語学者が、僕たちの「意味論」も同じ精神でやっていると思いました。と返信をくれた。おそらく現代社会ではどんな行為も半分はロゴスで半分はパトスに負っている。でもパトスって実は心の奥底に沈殿した経験から湧き出たものなので無意識のロゴスなのだと思っている。
新しい卒論
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by 卓 坂牛
ゼミでは今まで黄表紙論文を読んでいたが、昨日のゼミで初めて卒論計画案の提示をしてもらった。4人の話を聞いた。実に面白かった、どれもが家から一歩も出なくてもかけそうな卒論の可能性が感じられたから。というかそうしないと卒論が書けないと彼ら/彼女らは実感しているのかもしれない。
例えば店舗に転用された戸建て住宅のファサードをストリートビューで採取してそのファサードを評価グリッド法でzoomインタビューする。とか、昨今の動画メディアに着目して新建築の数百あるオープンソースの動画と静止画の差をzoom インタビューするなどなど、まだまだ考えなければいけないことは山とあるとしても、今できることを考えるとなるほどと思わざるを得ない。
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