雑多な感情を引き受ける
津田大介が愛知トリエンナーレて掲げたコンセプトは雑多な感情を引き受けるだった。とても共感する。自分の建築がそうであって欲しい。ディエゴはぼくをomnivorousと形容した。なんでも食べる雑食という意味である。千葉さんは自邸は身体性と他者性の強度があると述べていた。どちらも雑多な感情を受け入れることに関係する。嬉しい言葉である。
しかし雑多な感情を引き受ける建築をなるべく簡単につくりたい。雑食だけど単食に見えるのが理想である。やり方のイメージはあるのだが建築のプログラムとのせめぎ合いである。
A drawing come never too late.
11月15日号の編集後記を書きもうすぐ発刊。今月の建築が生まれる時は現在ギャラリー間で展覧会が開かれているアーキテクテン・デ・ヴィルダー・ヴィンク・タユー(A dvvt)がKattenの国際コンペで勝利した時に最初に描かれたドローイングである。ドローイングはさらに進化していったがこの最初のドローイングが進化のきっかけとなった。彼らはドローイングを書き続ける。そしてこう言う。A drawing come never too late.
It
坂牛モノグラフへの4つの寄稿の一つDiego Grassの文章が届いた。あまりに的確な分析なので深く頷いてしまった。曰く、坂牛は物凄いスピードで最新の情報を世界中から吸収しデザインに注ぎ込むのでその雑多性を抱擁するコンセプトが必要で、それがフレーム、リフレームなのだと。言い換えると坂牛建築はPLACEHOLDER であると。これは英語で言えばITみたいなもので様々なモノ、コトの代用品となり得るものであり雑多性の象徴でもある。
確かにフレームは建築以外の雑多な感情を受け止める装置である。故にそれを IT と形容するのは素晴らしく的を射たものに見える。クール。ディエゴ。
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