間をすり抜ける
北山さんの『モダニズムの臨海』は20世紀に訪れたいくつかの建築のパラダイムシフト(臨界面)に言及し、著者が68年のパラダイムシフトが現在でも有意義であり応答しなければならない事象であることを主張している。これを読みながらあることを思い出した。拙著『建築の規則』を山本理顕さんに謹呈しそれに対して「坂牛さんはやはり篠原研だね」と言われたことを。篠原一男はその昔西山夘三に「階級意識が欠如している」と言われた建築家である。つまり僕はその弟子で社会性の欠如した建築家だと言いたかったのだろう。しかしそれはちょっと違って私はその後『建築の条件』を記し社会が建築を作ると言い、つまりその間をすり抜けるのが建築だろうとお思っているのである。
リカレント教育の助走
社会人博士準備勉強会を月一回自宅で行なっている。リカレント教育と言うは易し。なかなかそれに踏み切るのは勇気がいる。だからその助走を一緒にやっている。その代わりやるのは意匠の定量的解析のみである。徹底したフォルマリスム分析をやるのは設計に役立つと思うからである。
地域総合家庭支援センターテラ
甲府に「地域総合家庭支援センターテラ」と言う施設を作る。既に新聞発表もされている。その施設の理事長さんとは知り合ってから長い。既に一緒に児童養護施設を作ったこともある。今度の施設は彼の長い経験から生まれた子供と家庭のための場である。この手の施設は助成金がらみでいつも始まりが遅れ大騒ぎになる。やるなら一刻も早くやらないと手遅れになるので今日は正式なスタートを確認しに行った。そして始まった。
Post-Anthropocentricism
この本は先ずウィトルウィウス以来の人間主義Humanismが理性中心主義を生んだとして排除する。次にカント以来の人間中心主義が人間偏重によって環境を悪化させ人新世を生んだとして退ける。人間中心主義と人間主義を同時に比定する論理は初めて見た。
それにしても新人世はAnthropoceneで人間中心主義はAnthropocentricismとは知らなかった。
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