再生エネルギー
高校サッカー部同輩のKと神楽坂の中華でビール飲んで我が家でワインを飲む。彼は2001年まで某銀行に勤めていたが退職して自然エネルギーの会社を6つ転職した。太陽光発電に始まり風力発電の会社を3つ代わり現在はドイツの風力発電会社の日本社長である。風力発電は洋上も多くそのためには漁師と飲むのが仕事だそうで毎日日本全国の漁村で飲んでいるそうだ。風力発電のトップカンパニーはデンマークでそこでは自然エネルギーは全電力の65%程度を占める。しかるに日本は数パーセントでその理由は原子力のしがらみである。一体この事実を国はいつまで隠し通すのだろうか?というかこの事実をマスコミはなぜ指摘しないのだろうか?そして国民はいつまでそうやって騙されていることに鈍感でいられるのだろうか????
JIA magazine
JIAマガジン7月15日号は編集後記を送付しもうすぐ校了。「建築が生まれる時」は学会賞受賞作桐朋学園大学調布キャンパス1号館の柱を通す位置を検討したBIMの図である。外からは分からないあの建物の複雑さはこうして検討されていたのであった。山梨らしい!!!インタビュー乞うご期待!!
二つのサイズの共存
19世紀アメリカでは住宅は家族を包む器だったが20世紀住宅は「建築」となり家族は消えた。このことが2015年の東南大学でのシンポジウムのテーマだった。日本でも多木浩二の『生きられた家』では建築家の作る「建築」としての住宅が人によって作られた家と比較された。この時多木の念頭にあったのは篠原一男の住宅である。非日常を標榜すれ篠原住宅には人は登場しない。故に空間のサイズも人と関係しない。住宅は広ければ広い方が高ければ高い方がいいのである。しかし篠原は高い天井ばかり作っていたわけではない。唐傘の家に篠原研の先輩たちと伺ったとき先輩たちは異口同音に入れこの低い天井の空間に注目していた。身体サイズの空間が丁寧に設計されているのを再認識したのである。篠原が家族を念頭に身体サイズを作っていたとは考えにくいが、このフォルマリスティックな大きなサイズ(から傘)と身体的な小さなサイズの共存に共感する。図らずも自邸にそうした二つのサイズの共存を意図したのはこんな篠原を横目で見ていたからかもしれない(写真は2015年に撮ったもの)
Missoni Adidas
森美に行ったらアディダスが半額だった。つい綺麗な色とウルトラブースト(めちゃくちゃにクッション性の高いソール)に惹かれて衝動買。よく見るとミッソーニとのコラボ。色の出方が違う。
You must be logged in to post a comment.