ステレオトミックな作り方
On
by 卓 坂牛
建築家の古澤さんが言及されていた「運動と風景」の内外の印象の変化はこの建物のステレオトミックな洞窟的な性格によるのだろう。昨晩社会人ゼミでK君が僕の建物はテクトニックなものは少ないと指摘していたがそうだと思う。ステレオトミックな建築は物理的には閉じやすい。この建物もシルバーキューブである。しかし意味的には地下のアルファスペースが開かれた場となっている。住宅の玄関としては例外的な大きな框ドアの透明性がそれを示している。
話しは違うが先日来た中国の建築家たちはこの外装の精度に驚いていた。予算に合わせた工場生産のガルバサイディングは手づくり感に欠けると我々には見えるのだが。
乱飲、乱読
On
by 卓 坂牛
三浦哲哉という表象文化論の研究者が書いた『食べたくなる本』という本がある。この本は食べ歩きの本ではなく、食べ歩く人の書いた本を論じる本である。一節一冊で20節あり第1節はイントロなので19冊の食の本が紹介される。乱読好きの私としては全部読みたくなる。その19節目が酒の話しである。著者もかなりの酒好きでワインもかなり造詣が深そうだが自らワイン通ではないという。その理由は体系的にワインを飲む財力がないからだという。確かに何かを極めるのに手っ取り早いのは知識でも味覚でも聴覚でも自らの脳の中に体系化することである。その意味では僕もワイン好きだがワイン通とは言えない。体系化されていないからである。乱読ならぬ乱飲なのである。ワインがそうなら読書もそうである。かなりの乱読である。これは知識を体系化するには恐ろしく無駄が多い。ということは十分承知なのだがその時読みたいものについてが伸びてしまう。酒も本も同じである。
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