Taku Sakaushi

Diary

建築は設計者とクライアントの運命的出会いが作るもの

On December 18, 2011
by 卓 坂牛

ジムに行ってヨガしてからチャリで国立近代美術館へ行きオルジャッティ展を見る。http://ofda.jp/column/とてもよかった。帰りは半蔵門近くのスタバで休憩。
そこで鈴木志郎康のエッセイ集である『結局、極私的ラディカリズムなんだ―鈴木志郎康表現論エッセイ集』2011をマンゴジェラードを飲みながら眺める。その中にこんなことが書かれている。
鈴木自身の撮っているような映画は個人映画と呼ばれ、映画館でやっているような営利目的のものとは少々異なり自叙伝のような意味がある。その個人映画について彼はこう言う。個人映画は商業主義的ベースから外れるので作者が思いのままに表現を実現できるので見た人から理解されないことも起こる。すると独りよがりとか自慰的だと非難される。しかしたとえそうであれこれは人間の表現であり、こうした映像コミュニケーションの変化が個と個の関係の在り方を変えていく。と言う。そしてなにより大事なのは自分の表現を何処まで思いのままにやりきるれるかということだと締めくくる。
詩人で映画作家の鈴木志郎康は篠原一男の某住宅のクライアントである。僕は一度訪れたことがあり、鈴木の家としてぴったりだとその昔感じた。建築と映像表現はもちろん次元が異なるし、まして個人映画はそれこそ自叙伝のようなものである。でも鈴木の上の言葉はあたかもクライアント鈴木が設計者篠原に言ったかのように錯覚する。つまりあの家はまさに篠原の表現を思いのままにやりきったものと見えるからだ。
建築は設計者とクライアントの運命的出会いが作るものでもある。

信大がんばれ

On December 18, 2011
by 卓 坂牛


信州大学に残した修士2年生のゼミを東京でやった。彼らは僕の後任が決まっていないので心理学の先生や歴史の先生にお願いして面倒を見てもらっている。それなので修士設計をしたいという意志とは裏腹に、それぞれの研究室でのそれなりの論文を書くこととなり設計にはあまり力が入らない結果になっているようだ。しかし彼らは皆設計ができる学生なので少々残念ではある。残り1カ月だが是非頑張って欲しい。
その後信大2年生の住宅課題の講評会を行った。学内で行う講評会に飽き足らず僕に見て欲しいと言う連絡をもらったので東京に来るように促した。そうしたら10人以上の学生がやってきた。結構眼から鱗。教師冥利に尽きる。理科大ではゼミをやったって来ない学生が沢山いるのにこれだけ教えられることに飢えている学生がいると言うのが嬉しいい。
1人15分くらいかけて見て上げた。僕がいなくなってひどいことになっているのかなと悲観的に予測していたのだが、そうでもない。僕ができないようなことを誰かが教えているのだろうか?住宅の公共性をプログラムしている学生が多くいた。誰が教えたのか分からないが嬉しいことである。
終わって2年生+坂牛研のOBたちと九段下で飲んだ。僕がいるから信大に来たという2年生もいるようで、そう言う学生には申し訳ないと思った。でも僕の後任もくるだろうからいつまでもあきらめず建築を好きで続けて欲しいと心から思う。

ロース装飾論の2重性

On December 17, 2011
by 卓 坂牛

田中純によるロースの装飾論(『装飾と罪悪』)の解釈に納得。
田中のロース解釈はフロイトの精神分析と重ね合わせられるその理路はこうである。
ロースは装飾の起源は十字であるとする。十字とは横たわる女性とそれに交わる垂直の男性でありそれは性衝動の代理物である。言い換えると装飾とは性の代理物への崇拝すなわちフェティシズムである。一方性衝動とは性器の交わりでありそのシンボルはペニスである。ペニスへの崇拝が一つのフェティシズムである。ところがこの崇拝している対象が失われて行くと言うのがフロイトの性理論である。男の子が母親に失われたペニスを見出だし、自らが虚勢される恐怖にかられる。
フェティッシュな装飾に満ちた建築が虚勢されるとプレーンな箱となる。これは虚勢された男性器であり女性器そのものである。この虚勢状態の代替物が下着であったりハイヒールであったりする。それがまた次なる代理崇拝物としてフェティシズムの対象となる。これを建築で作ったのがワーグナーである。郵便局の外装石を取り付けるステンレスボルトが虚勢されたプレーンな箱に敢えて取り付けられた記号として装飾の代替物となっているというわけである。
さてこう考えるとロースの装飾論とはプレーンな箱に取り付けられた余剰物否定(ペニスの否定)という側面と装飾で満ちた彫刻物から表面を綺麗にスクレープして残った面への溺愛(去勢した女性器崇拝)という二つの側面を宿していることになる。
トラディショナルな何かを虚勢してその代替物へ関心の方向を転換させる、あるいは衝撃的にそちらを向かざるを得ないような状態にしてしまう。これがフェティシズムの技法である。これを性衝動と重ね合わせながら行うことができた時エロティシズムが見えてくる。

ノーテーション再考

On December 16, 2011
by 卓 坂牛

先日ノーテーションについて記すとある人が10+1の#3がノーテーションとカルトグラフィーの特集であることを教えてくれた。そんなことはすっかり忘れていた。古本を取り寄せ巻頭の八束さんの「現代建築におけるノーテーションの冒険―見えない建築へ」を読んでみた。時間系を取り込んだローレンス・ハルプリンの広場の設計がダンサーである妻のコレオグラフィーのノーテーションに影響を受けた例。磯崎さんがお祭り広場の人々への応答としての音や光をオーケストラのスコアの如くノーテーション化した例が書かれていた。それらはいずれも建築的ハードと言うよりはその場のイベント(出来事)を創造(想像)するシナリオである。
それらの現代版がラ・ヴィレットのチュミやレムの案である。いずれもドローイングに示された重要な内容はアーキテクチャーよりもイベント、あるいはそのイベントが生み出すシーンである。それゆえできあがってしまったチュミの案はドローイングがかき立てた想像的な場を生みだし切れていない。
つまりチュミやレムもハルプリンや磯崎同様、やはりノーテーションが生み出しているのは字義通り楽譜が生み出す音楽のようなふわふわしたものであり固定的な何かを生みだすものではないようだ。
しかし僕がノーテーションを考えた方がいいいというのはこういうふわふわしたモノを記譜するためにではない。あくまで固定した建築を創るツールとしてである。そしてそれは最後の成果品としての図面というよりは、建築を創る過程における創造(想像)のツールとしてのノーテーションである。建築家のドローイングはそういうものの一つではある。しかしもっと方法論に直結するようなノーテーションがあってしかるべきだと常々思う。そしてそれを何にせよ考え続けなければいけない。

kindle 使える

On December 16, 2011
by 卓 坂牛


アマゾンの電子書籍Kindleを買った。信大にいた頃から鞄が本で一杯になるのでkindleに入れて持ち運べればと期待していた。しかし欲しい本がまだ電子化されておらず時期尚早とほっぽておいた。その後何度もkindle storeをチェックしていたが一向に本が増えない。そこでこれ以上待つのを止めることにした。売っている本だけでもこの中に詰め込もうと思い購入。そしてすぐに数冊ダウンロードしてみた。
John Summerson The classical language of architecture,   Anthony Vidler Histories of the immediate present,    Steen Eiler Rasmussen Experiencing Architecture以下その凄さを並べてみる。
①ダウンロードは数十秒であっという間。
②値段はどれも13~15ドル。1000円ちょっと。ペーパーの本で買えばサマーソンは手元にある古い翻訳本で2300円。ヴィドラ―はアマゾンの原書が2146円。ラスムッセンの翻訳古本の値段は知らない。原書はアマゾンで1905円。つまりだいたい半分の値段である。
③必要なその瞬間に手に入る。
④軽いのが嬉しい。片手で長時間持っていられる。
⑤薄いから鞄に入れてもかさばらない。
⑥驚異の検索機能。例えばサマーソンの古典主義建築の系譜の中でオーダーという言葉の使われている個所を知りたいとする。Orderと入れると瞬時に全個所が現れる。因みに232個所で使われている。
⑦小さい字が既に霞となる私の眼には活字の大きさを自由に大きくできるのは実にありがたい。
というわけでこの機械はとんでもなく嬉しいものである。ただもちろんデメリットもある。それは一望に本を見渡せないという点である。そのせいかページをくくるリズムもつかめない。おそらく速読は難しい。何かをじっくり読むのには向いていると思う。
デメリットを差し引いてもこの機械がこれで1万円ちょっとなら絶対お買い得である。

建築のエロティシズム

On December 14, 2011
by 卓 坂牛

その昔信州大学の卒制でエロティシズムをテーマにした学生がいた。バタイユの理路を読み解きながら人間の根源的な感覚としてのエロスを建築に応用しようとした。なかなか上手くいったとは言えないけれどテーマとしては重要だと思っていた。そうしたら田中純が書いた『建築のエロティシズム』平凡社新書2011という著書を発見した。今日現場への往復で読んでみた。これは面白い。話は世紀末ウィーンの装飾とそれを取り巻く言説の中にエロティシズムを読み込んでいる。もちろん現代日本人の私がロースを見てエロティシズムを感じられるかと言えばそれは分からない。当時の言説空間と装飾空間の中に身を浸して感じ取ってみたいという欲望にかられる。

長いフレーズのディレクション

On December 13, 2011
by 卓 坂牛

小沢征爾、村上春樹『小沢征爾さんと音楽について話をする』新潮社2011を読むと村上春樹の音楽マニアぶりがよく分かる。おそらくとんでもない量のクラシックレコードを持っているのだろう。そんな村上のレコードを聞きながらこの本は始まる。最初はベートベンのピアノコンチェルト3番である。バーンスタイン+グールド、カラヤン+グールドのレコードを聞き比べ2人で議論が行われる。
小沢征爾はカラヤンに習い、バーンスタインのアシスタントをしていたので両方よく知っている。そして師であるカラヤンを心から尊敬し、カラヤンを称賛する。しかし僕はどうもカラヤンが分からない。一般にカラヤンの演奏は軽いと言われる。
その昔小学生の頃モーツァルトの主要交響曲のセットをフルトヴェングラー指揮で買うと宣言したら芸術好きの叔母さんが聞きに来ると言って楽しみにしていた。ところが何の理由か忘れたが買ったのはフルトヴェングラーではなくカラヤン。それを叔母さんに告げたらそれには何の興味も無いので行かないと言われた。子供心にショックであり、何故かと音を聞きながら考えたが小学生の耳にはよく分からなかった。それ以来カラヤンはなんとなく僕の中で????の人にとし保存されてしまった。
さて小沢はカラヤンとバーンスタインを聞き比べながらカラヤンの決定的な特徴の一つを「長いフレーズのディレクション」だと言った。それは細かなアンサンブルを犠牲にしても長いフレーズの一本の線を大事にすることだと言うのである。
これを読んでなんとなく小学校の頃の叔母のカラヤンへの無関心が思い出された。長いフレーズのディレクションとは音楽の大きな構成要素のことであろう。建築とパラフレーズすることもできる。すなわち建築の大きな骨格、構成を大事にするということである。エスキスの情景を思い浮かべるなら、スタッフがちまちま書いたスケッチの上にボスがマジックでバシッと一本(あるいは数本)の線を書いてしまうあれである。僕もよくやられた。太い色鉛筆か4Bでバシッと数本の線を描かれた記憶がある。あれはまさに全体を決める骨格のディレクション。混乱したスケッチにあれは大事かつ有効な指導である。特に学生に対してはそうだ。しかしよく考えられたスケッチの上にあれをやってはいけない。込められた様々な思いがバシッと飛散するからである。構成や輪郭だけが優先されて局部に込められた熱がはじけ飛んでしまう。
カラヤンが軽いと言われるのはディレクションを優先させた建築同様、曲の骨格や構成ばかりが勝ってしまい、音の中に込められた無限の豊かさが犠牲にされているからなのでは?とふと思った。

佐藤雅彦ののらりくらり思考

On December 13, 2011
by 卓 坂牛

ピタゴラスイッチなどで有名な佐藤雅彦の『考えの整頓』暮しの手帖社 2011は佐藤の日常の心に引っかかることが書かれている。この本ちょっと変っている。ふつうエッセイのようなものは普段の暮らしの発見をうまく脚色して鮮やかにきれいに小気味よく書いてしまうのだが、そう言う技巧が全部省かれてだらだらと書かれている。下手するとそのひっかかることが一体何なのと思うようなところもある。
「引っかかる」ということは、何かの発見ではない、何かに気付くということでもない。あれっ何だろうと思ったことがどうも上手く理解できないそんな心の状態である。
つまり本人でさえよく分からないことなのだ。そんなものだから読んでいる人間もなんだかよく分からない。でもそれを著者といっしょになってどの切り口で考えてみたらいいのだろうかということをのらりくらり探るのである。彼の思考の過程がそのまま字になっているような書き方である。こののらりくらりは彼独特のものかもしれない。だからあの不思議なヴィジュアルソリューションがうまれるのだろう。

プリミティブな行為を意識する場所を簡単な仕組みでつくる

On December 12, 2011
by 卓 坂牛

『一般意志2.0』を読んだので藤村龍至編『アーキテクト2.0』彰国社2011を読んでみる。藤村氏が情報化時代の建築、郊外化時代の建築について20名近い建築家と対談している。その中で2つの話が面白かった。
伊東さんは20世紀の建築ではあまり意識されなかった人間のプリミティブな行為:食べる、着る、住むが21世紀の建築では強く意識されるようになったという。それは先日クラウド時代の建築は人間の実存を強く意識するはずだと言う僕の考えにつながる。ヴァーチャルとリアルの二つの身体性を持つ現代人にとってイマココのワタシの空間が現実の現実たる根拠となるだろうというのが僕の読みである。伊東さんのプリミティブな行為はそうした実存を強く意識する契機になりやすいことなのだと思う。
もう一つは藤村さんの説明するツィッター。140字だから投稿が増えるという話。とても簡単な仕組みが大きな効果を生みだす。それが情報化時代の特徴だそうだ。なぜだろうか?それは情報空間とはマスが瞬時にアクセスする場所だからである。
単純に二つを足すとプリミティブな行為を意識する場所を簡単な仕組みで作ると言うことになる。重要なことである。

理科大には日建OBが多い

On December 11, 2011
by 卓 坂牛

父の家打合せ。1時から5時半まで。大学に行かねばならずスタッフを置いて中座。6時から理科大非常勤講師懇親会。久しぶりに和田先生、寺本さんにお会いした。和田先生は非常勤をお願いしていて、寺本さんは非常勤教授である。2人ともお元気そうである。和田先生は僕が大学4年のころに日建から戻ってこられた。寺本さんは僕が意匠設計をしたアクアライン風の塔の構造設計を終えた頃日建をやめて理科大に来られた。理工学部には10年近く前に日建をやめて教授に就任した北村さんがいる。僕も入れると4人が日建OBである。

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