Taku Sakaushi

Diary

レオナルド・ダ・ヴィンチの魔法の手帳

On February 26, 2011
by 卓 坂牛

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今日は前期日程の試験監督なのだが補助要員なので研究室待機。結局出番はなく一日研究室の雑用を沢山こなすことができ嬉しい誤算。午後某市役所の方が来研。こちらのお願いしていたことが結局殆ど受け入れられないという報告を受け依頼された仕事は残念ながら受けられなくなってしまった。でも仕方ない。筋の通らないことをやるわけにもいかない。
夕方五十田先生の企画してくれた最終講義に向かう。キャンパス外でやりましょうというお誘いにのり、しかも飯付き酒付きにしましょうというお誘いにものった挙句がホテルになった。なんだかホテルの宴会場と言うのは委員会のようだなあとも思ったが贅沢は言えない。こんな企画をしてくれただけで身に余る光栄である。2年生からm2そして学外の建築家まで来てくれた。レクチャ中に質問事項やら印象に残ったことを書いてもらったら僕が実行しているレオナルド・ダ・ヴィンチの「魔法の手帳」の話を挙げる人が多かった。
これはダ・ヴィンチが常に手帳を持ち歩き発見を書きとめていたという話であり、僕はそれを梅棹忠夫の『知的生産の技術』で知った。高校時代にそれを読んでからダ・ヴィンチになろうと思い(笑)「魔法の手帳」をつけ始めたのである。毎日発見がないかと夜一日を振り返る。日記ではなく発見である。発見なんてそう毎日あるわけもないのだがそれでも毎日続けた。酔っぱらった日のそれはもう滅茶苦茶な字で読めたものではないがそれでも書き続けた。そして信大通いが始まりこの手帳を持ち歩くのが重くてついにブログにしてしまったというわけである。そうしたら発見を書くのが気恥ずかしくなり日記っぽくあるいは読書感想文みたいになってしまったが発見することへの習慣は言葉にしないが今でも残っている。これは大人になって身に付けた習慣の中では(だいたい大人になって身に付けたものにろくなものはないのだが)貴重なものの一つなのである。

思想地図β?

On February 24, 2011
by 卓 坂牛

早朝の新幹線に乗り越後湯沢経由で金沢へ。学会北陸支部での最後の仕事である北陸建築文化賞の審査。午後一杯かけて4作品を選出。これで北陸支部の仕事の99%は終わった。明日の入試のために直江津経由で長野へ向かう。
移動の車中新しくなった思想地図『思想地図β vol.1』コンテクスチュアズ2010 をめくる。巻頭の鼎談猪瀬直樹、村上隆、東浩紀を読むが猪瀬の独壇場で鼎談になっていない。続いて特集のページへ。テーマはショッピングモール。どうしていまどきショッピングモール?。?頭で最初の座談会を読む。東、北田、南後、速水のタイトルは「ショッピングモールから考える―公共、都市、グローバリズム」。
この特集はポイントが曖昧だし、議論されていることの85%は無意味に思えた。多少意味を感じた残り15%の論点は北田と東の論戦の中にある。
それはショッピングモールが現代都市の公共領域を作る力を持っているのではないかという東の仮説でありそれに対する北田の批判の部分である。
先ず北田はルーマンによるハーバーマス批判を引き、公共性作りには時間がかかると指摘する。確かに我が身に引きよせて考えれば、住んでいる地との人間的接点は飲み屋のオヤジとの会話くらいである。一方配偶者は商店街の花屋さんとか鞄屋さんとか医院の先生とかに何気なく話ができる人たちを持っている。これは明らかに二人のコミュニケーションに割ける時間の差である。現代政治哲学がいかにコミュニタリアニズムを標榜しようともコミュニティ形成には時間がかかるのである。となると大都市のかなり多くの人々にとっては(それは成人男性とは限らない塾に通い詰める受験生の群れだってそんな時間がなかったりするわけだ)都市の公共性なんて言ったってそんな場所を意識することもないしそんな場所の必然性すら感じない。そんな状況を鑑みると地に足をつける必要のない人々にとっての公共領域とは何なのかと感じざるを得ない。そしてそれを考えるきっかけがショッピングモールにあるのではないかというのが東の問題提起である。それに対して北田はその提言は検討の対象ではあるものの、一方でショッピングモールは地に足がつけられないような人々(要はホームレスのような人々)を排除する思想でできていることが問題であると批判する。
さてこの座談会の意味のあると感じた15%ではあるが、現代社会で作られる全ての建築物はそもそも地に足がつけられない人々を排除するようにできている。ショッピングモールに限ったことではない。それは建築や都市の問題ではなく政治の問題である。明らかに北田はこの座談会に強引にひっぱり出され結果的にこうした言動を吐くに至ったという感じである。一方東の仮説も強引さを隠せない。そもそも郊外の巨大モールに訪れる人達を見れば明らかであるが彼らの多くは地に足のついた家族連れである。当該人種が訪れるオフィス街の足元は彼らが住む地からは程遠いし、そこに帰属意識を持つことはないし、他者と会話が生まれる状況ではない。そこにあるのは逆に都市の匿名性と浮遊感である。
ショッピングモール(という言葉を現代状況に使うのはそもそも当てはまらないと思うが)現象を肯定する切り口はあるのかもしれないがそれを公共性に求めるのはいささか強引の感を免れない。

ハンス・ユルグ・ルッフのinterventionを日本に紹介したい

On February 23, 2011
by 卓 坂牛

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●昨年出版されたハンス・ユルグ・ルッフの作品集タイトルはintervention(介入 )
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●挿入された新しい木の箱の中に作られたシャワー室
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●挿入された入れ子の箱
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●その箱の中が古い殻の向こうに見える
夕方理科大に行き4月からのスタジオの件で打ち合わせ。遅れてTNAの武井君がやって来て4月に行うレクチャーシンポジウムの打ち合わせ。
武井君はスイスで小さな迎賓館を設計している。その関係でスイスエンガディンの建築家ハンス・ユルグ・ルッフ(Hans Jorg Ruch)http://www.ruch-arch.ch/と知り合ったそうだ。ハンスは最近大部の作品集が出たが日本では未だあまり知られていない。僕はたまたま出入りの洋書屋さんの勧めで去年この作品集を買ってあっという間に魅了された。彼の建築はスイスの古い小屋をコンヴァージョンしたものが多い。そして古いものに手をつけるべきではないという理由から基本的には新たな箱を入れ子状に挿入する。そして自らのそうした方法をintervention(介入)と呼ぶのである。その新旧が対峙する空間の緊張感は身震いするほど美しい。
というわけで武井君からハンスがやって来るので何かしませんかと言われた時に驚いた。今最も会ってみたい建築家と邂逅するチャンスが向こうからやってきたわけである。そこでいの一番にパリにいた山名さんに電話をして是非理科大で企画しましょうとお誘いして今日の打ち合わせとなった。4月29日というゴールデンウィークの始まりでしかも祝日だがレクチャーとシンポジウムをやることにした。4時からスタートだが興味のある人は是非ともご来場ください。理科大の神楽坂で行います。

制度解体

On February 22, 2011
by 卓 坂牛

先日一級建築士講習会を受けて今日管理建築士講習会を受けた。そこそこ為になるお話だが総論なのでだいたい分かっている。これに1万5千円払うのは少々不満。
というわけで猪瀬直樹『霞が関「解体」戦争』ちくま文庫2011を読みながら聞いていた。著者は東京都副知事をしながら国の地方分権委員会の委員を任された。その中で霞が関から権限を剥ぎ取り地方に任せろという主張をマシンガンの如く撃ち放つ。本書はこの地方分権委員会での委員対官僚の戦争、いや正確には著者が打ち放つマシンガンをひたすらよけまくる官僚の防戦の記録である。
読んでいくと著者のマシンガンも的を外し乱射と見えるところもある。しかし、霞が関の厚い壁にライフル銃で狙い撃ちして的を射たところで、的は数え切れないほどあり全く効果は無い。乱射といえども量を繰り出さないことには厚い壁は崩れないだろうことはこの答弁を読んでいるとよく分かる。
昨日、子供の施設の打ち合わせで構造基準が子供一人当たり3㎡から4.95㎡に変わったことが話題になった。タイガーマスク効果である。しかしこういう基準に猪瀬は怒る。例えば保育所のほふく室は一人あたり3.3㎡以上2歳児以上が使用する保育室は一人当たり1.98㎡以上。この数字に決定的な根拠があるのか?はるか昔に制定されたこの数字に現代的リアリティがあるのか?都会では待機児童が山のようにいるのだから多少小さくてもいいのではないのか?要はそういう数字は基準ではなく標準として細かくは地方行政が地方の実情に合わせて決めればいいのではないのか?そしてそこに与える補助金は全て地方に渡し、地方の権限で交付すればいいのではないのかと主張するわけである。そうすると官僚は子供行政に対してまじめに考えるところとそうではないところがあるからナショナルスタンダードが必要だと主張するわけである。
官僚の言うことは一見まっとうに聞こえる。しかし僕は猪瀬の意見に大賛成である。結局国は補助金を傘にかけ権力を行使し地方をかしずかせているだけである。その実態は一度補助金の仕事をしてみるとよく分かる。中央ばかり見ている地方の姿が手に取るように分かる。国は地方の怠惰を指摘するが、国が権力を握るから地方が怠惰になるのであってその逆ではないということをまだ霞が関のおバカ役人は気付いていない。いや気付いていてもその権力を手放したくないだけなのである。
昨日「制度を最大限に利用し制度の想定外のものを作る」と威勢のいいことを書いたのだが、もちろん今の自分の立場ではそれしかできないのだが、誰かがこの制度を解体してくれることを願うばかりである。

制度の中で、制度を利用し、そして制度が想定しないものを作る

On February 21, 2011
by 卓 坂牛

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●Tさんと住友館の仕事を始めた時のスケッチブックの1ページめ
共同設計者Tさんと新宿で待ち合わせ湘南新宿ライナーに乗る。Tさんが言う
T:坂牛今日は3つの提案がある
S:はい何ですか?
T:一つ:共同でやっていく時の指針(ミッションステートメント)を決めたい。それは「制度の中で、制度を利用し、そして制度が想定しないものを作る」
二つ:規定の設計料はお前の事務所で契約してもらえ、おれは成功報酬でクライアントが気に入ればもらう
三つ:この建物のタイトルは女子棟をアリス、男子棟をテレス、全体でアリスとテレスとしたい。
思わず笑いそうになったが、これが彼の持ち味。
T:行けてるんじゃないですか・
クライアントのトップにこの3つの話しを最初にバーンとぶつけた。クライアントはびっくりしたり、困ったり、笑ったり。そして最終的にはすべてお任せしたいで終わった。
Tさんは前も書いたが日建時代の僕の師匠1である。1987年林昌二は自分直属の日建ゲリラ部隊を作り「東京スタジオ」と命名してマンションの一階に部屋を借りて意匠設計部員として3人を起用した。その一人がTさんであり僕だったのである。そしてTさんの下で僕は横浜博覧会住友館を設計してSDレビューに入れていただいた。あの時もTさんがクライアントにバーンと強いコンセプトをぶつけてくれたことを思い出す。僕が思う存分にやれる環境を最初に作ってくれた。今回も全く同じである。頼れる親分である。最近はこんな粋なことを言える上司は少ないだろうなあと思う。むかしはこんな人が日建にもいたのである。

最後の講義の準備

On February 20, 2011
by 卓 坂牛

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配偶者と神楽坂に遅めの朝食をとりに出かける。カフェクレープリー・ル・ブルターニュ という名のクレープ屋。神楽坂は日曜日も結構人が多い。そしてこのクレープ屋も混んでいる。そば粉で作るクレープの皮を巻くと卵もトマトもチーズもアイスクリームも値段を1.5倍にできるこの発明はすごいものである。今日は結構寒く足が冷えたので車で帰宅。来週の最終講義のパワポを作る。「僕はいつ誰に何を教わったのか?そして何時から自分で何を考え始めたのか」という長いタイトルの話をすることにした。そこでその昔の製図やらスケッチやらその時の先生の言葉などをひっくり返してみた。学部三年生の時の伊東豊雄さんが非常勤講師でいらっしゃった時の課題が出てきた。テーマはシティホテル。場所は渋谷の現東武ホテルがあるところ。オルブリッヒがなぜかテーマになっていた。伊東さんは当時あまり語らず。じーーっと図面を見てたまにぼそぼそと呟いていた。こんな正面から見るアクソメが流行り。ストイックな表現に豊饒な意味がこめられていた。1981年である。
夕方事務所に行き明日の栃木での打ち合わせ資料をチェック。写真をとり図の修正を依頼。

坂牛研OB、現役パーティー

On February 20, 2011
by 卓 坂牛

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午前中整形外科へ先日伸ばしたふくらはぎと、古傷の足首をみてもらう。午後スポーツショップでアンクルブレースを買って足首に装着。伸びきってぶらぶらになった靭帯が固定されて痛みが無くなった。
その足で表参道に行きラット・ホールギャラリーで2人展を見てからルイヴィトンの新しいギャラリ―を覗く。表参道をぶらぶら歩きカフェで一休みしてから原宿駅近くの謝恩会場へ。今日は坂牛研OB、現役で僕の6年間の謝恩をしてくれるとの嬉しい企画。
原宿裏の天井の高い素敵な会場。受付で卒業生現役一人2ページずつ僕への言葉と研究室の思い出をつづった本をいただく。これがまあ泣ける。表紙は3パターンあり皆でコンペをしたとか。全国(いやマレーシアもいる)に散らばったOBからメールで原稿を集め3カ月で編集したそうだ。すごいなあ。教師冥利に尽きるなあ。もう思い残すことはないなあ。みんな本当にありがとう。来られなかった人もありがとう。本に書かれた言葉一つ一つ僕の宝。
来た人に一言ずつ少なくてごめん
中根・・・松本からありがとう。建築を忘れずに。
深沢・・・これからは覚えた技を一段ステップアップさせる時期。
芦田・・・甲府の現場は桃の季節。遊びに行くよ。
高橋・・・静岡からありがとう。いい建物設計期待している。
中尾・・・なによりこの本感激。そして名司会。四谷駅楽しみ。
松永・・・本職に戻ってからこそが日建で得たことを生かす本当の時。
田中淳・・あまり話せなかったけれど、地道に建築を。
松尾・・・札幌から来てくれて感激。Be an architectの言葉忘れていてくれなかったね。
片岡・・・春のオープンハウスを楽しみにしているよ。
山田・・・社会人になってからこそ思考を止めず、少ない時間に効果的に読書を。
鈴木・・・無事YGS修了おめでとう。これからだね。
兼子・・・静岡からありがとう。役人が馬鹿だと町がダメになる。頼むぞ。
平岩・・・新潟からはるばるサンキュウ。「やめる??会社??」
松田・・・神戸からありがとう。久々に毒舌を聞いて気持ちよかった。Continue.
望月・・・東京タワーの見えるマンションに引っ越したら遊びに行くよ。
小倉・・・富山からありがとう。就職活動頑張れ。相談にのるよ。
山卓・・・建築史家になるだけではなく。建築すべてを語れるように。
高木・・・ゼネコンでしこたま学んで屋代で独立を。
香川・・・BAの経験がどう生きるかあせらずじっくりと。
丸山・・・自分のどこかが変わったはず。
田中くに・4月からの東京生活がんばって。遊びにおいで。
藤岡・・・藤岡も光も2年生のころの感覚が院になってもしっかり残っているものだ。それは自分の持っている原型なんだ。
西浦・・・西浦と光とノブとでもっとサッカーしたかった。
朝日・・・だいぶぼろくそ言ってきたけれどその分すごく成長したね。
久保・・・さてさて4月のファッションショーが楽しみだ。連絡くれよ。
林・・・・T工務店惜しい。でも就活はその連続だし、惜しいなんて思わず次へ。
植松・・・子供施設で張り合おう。いい建築ができたら皆へ連絡を。
門井・・・残りは仙台でうさを晴らしておいで。
竹之内・・装苑賞お祝いパーティ楽しみにしている。
鶴見・・・エキセントリックで口が早くて。英語ができて。その調子。
長田・・・地道にしっかり建築を作れる人。君の原型だ。
松崎・・・卒計、面白かったよ。ぼろくそ言ったものって、気になるものなんだ。
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毎年やろうね!!!!!

自立できない若者

On February 18, 2011
by 卓 坂牛

一級建築士の定期講習に行った。9時から5時まで結構長い。殆どが法律改正に伴う新たな事項の説明だが、ここ数年の仕事の中で直面した事項ばかり。まあおさらいである。しかしよくよくテキストを見るとこの講習は事務所に所属している人の義務であり大学の教員などはこの限りではないとのこと。無理に来る必要もなかった。
授業の合間に岡田尊司『なぜ日本の若者は自立できないのか』小学館2010を斜め読む。著者は発達障害の臨床医であり、若者が自立できない理由として初中等教育における多様な子供の型に対する画一的記憶教育をあげ批判する。そして子供には以下の3つの型があると説明する。
① 視覚空間型―行動的で、感覚的で瞬間的な反応や処理に長けている。
      例えばスティーブ・ジョブズ、安藤忠雄などなど
② 聴覚言語型―聞き取り能力に長け、共感性や情緒的反応が豊か、具体に関心が向く。
      例えばバラク・オバマなど
③ 視覚言語型―言語記号が好きで抽象概念に強く完璧志向。
      例えばビル・ゲイツなど
この3つのタイプに対し画一的に③に適合した言語記憶教育を押し付けることが間違いの始まりだと言う。教育なんてそんなものだろうと言うのは間違いでオランダやフィンランドでは子供自らがカリキュラムを作るような教育がなされているそうである。そしてそのフィンランドがOECDのPISAテストで1位2位を独占したのは記憶に新しい。しかしだからと言ってそういうことをいきなり日本でやれるかどうかも分からないしやることがいいかどうかも分からないのだが、多様な子供に画一教育が間違いだと言うのはつくづくその通りだと思う。僕も中高のころそういうスタンスの教師には腹が立ち授業は聞かずスパイク磨いていた。そしらた外に追い出されたのだが、追い出されてせいせいしたものである。
僕は初中等教育の教員ではないからこういう問題には手がつけられないのだが、そこで不適切な教育を受けた挙句に発達障害を起こしてしまった学生と直面するのである。そんな子供が大学まで来るのか?と聞くかもしれないが昨今頭がいい(マークシートには答えられる)のに障害を抱えた子はどんどん増えているのである。常勤のカウンセラーが雇用されているくらいである。本来初中等教育の抜本的見直しをすべき問題なのかもしれないけれど、大学まで来た彼らを少しでも軌道修正させてあげる道があるとするなら、まさに画一化してない教え方しかない。自由に考えさせ自由に語らせる。そういう場所を作ってやるのがせめてもの大学教員の役割かもしれない。

大学破綻

On February 17, 2011
by 卓 坂牛

午前中長野からのお客様。先日もらった要望を取り入れた案を説明しご理解いただく。荒木町で昼食をご一緒し別れる。午後栃木の子供施設のスケッチ、打ち合わせ、マンサード屋根と切妻がぶつかるとどういう稜線が出るかを考える。かたや模型を作り、かたやフォームGでモデリングする。
検討の合間を縫って、諸星裕『大学破綻』角川新書2010を読みながら憂鬱な気分になる。日本の大学は778あるのだがこの10年で1割は消滅すると書かれている。危ない大学は学生数1万以下の小、中規模大学のようである。ちなみに在籍中の信州大学は11446人、4月に異動する東京理科大学は20755人でありどちらも大規模に属している。
もちろん大きければ安泰というわけではない。重要なのは教育力と研究力であるが、経営的視点で考えれば教育力の方が重要である。その意味で教員一人当たりの学生数はそれを示す一つの指標である。ちなみに教員数は信大1228人に対して、東京理科大は728人。よって教員一人当たりの学生数は信大9.3人、理科大28人である。国立と私立にはこういう差が歴然とある。しかし私立大学は非常勤講師でこの差を補っている。非常勤は経営的安全弁ではあるものの、研究没頭教育棚上げ型常勤教員よりはるかに教育熱心であるからこの数字が教育力を直截示すものとも言い切れない。
さて教育3極化(上位大学卒、普通大学卒、高校卒)の時代に大学はそれぞれのミッションを持つべきだと言うのが著者の主張である。それはこの著者に限らず、昨今の一般論のようであり、大学はそうしたミッションの再考をせまられている。しかし加えて重要なことは教育にかかるコストの低減である。著者はその遂行に向けて教員の質の向上以上に職員の質の向上を訴えている。とにかく大学とは無駄の塊である。民間会社から来た人なら皆そう思うはずである。場所も人もシステムもルーズに管理されている。その無駄がゆとりと感じられる部分もあるのだが、そのために浪費されているものも計り知れない。こういう問題に教員は興味が無い。一方職員は決定権が少ない。この実情では何時まで経っても無駄の宝庫はそのままである。

教育格差

On February 16, 2011
by 卓 坂牛

下宿学生の仕送りが80年代並みに下がったというニュースが流れた。一方で学費は80年代並みにはなっていない。橘木 俊詔『日本の教育格差』岩波新書2010を読みながらこのニュースを思い出した。現在の日本の不況は仕送り以前に、経済的理由で子供の進学を断念する状況を生んでいる。まるで戦後の大学進学率10%代の出来事のようである。
僕が入学した1979年、国立大学の学費は144000円。現在は50万を超えている。この上昇率は物価上昇率をはるかに上回る。そしてこの高騰は私大のそれよりはるかに大きい。
信大で学生の留学先をいろいろ調べながらつくづく日本の教育は国民任せであることに腹が立った。本書の統計を挙げだしたらきりがないが、例えば、OECD諸国との比較を見てみよう。教育機関への財政支出のGDP比は28カ国中27位で3.3%(平均4.9%)同じく教育機関への財政支出の政府総支出比は28カ国中28位で9.5%(平均13.3%)である。とにかく教育は自分たちで勝手にやれよというのがこの国の方針である。
今年アルゼンチンとリヒテンシュタインへ学生二人が旅だったが学費は殆どただである。ヨーロッパ系の大学はごくわずかの例外を除いて学費は国が負担しているようだ(進学率が低いということもあるようだが)。一方アメリカは高いので選択肢に無かったが本書によればアメリカの奨学金制度はかなりよいようでもある(僕はその恩恵にはあずからなかったが)。小泉純一郎という人はアメリカの真似してネオリベラリズム的教育方針を打ち出したのだが、この奨学金のことは頭から抜け落ちていたようだ。
豊かな社会を作る上で教育がどういう役目を持つべきかは単純ではないが、少なくとも家庭の経済状況で教育が受けられなくなるような社会であってはいけないと思う。

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