Taku Sakaushi

Diary

センター試験終了

On January 16, 2011
by 卓 坂牛

雪のため開始時刻の変更があったけれどセンター試験無事に終了。2日間の監督と言うのはしんどいようにも見えるが、考えようによっては結構楽しい。監督というのはいろいろとやることがあるけれど、一日中すべての時間を試験に集中しているわけでもない。とはいえ、本は読めないし、スケッチは描けないし、cpuや携帯には触れないからあるのは頭だけ。でもその頭が自由にものを考えている時間は結構ある。
建築でも文章でも構想を練る時はスケッチをしたり、キーボードをたたいて、それでちょっと立ち止まり考えるものだ。そしてこの何もせずに考えている時に頭の中が活性化して全体がまとまったり、いい案をおぼろげながらつかみ取ることがあるもの。
そんなわけでこの二日でいろいろと考えていたことが少しだけ前進した。センター試験さまさまかもしれない。さて終わって研究室に戻って学生の梗概を読んだら相変わらずの文章にいやになった。こうなると指導力の問題なのだろうか???帰ろうと思っているのだが外は一向に止む気配のない雪。僕が6年前信大に最初にインタビューを受けにきた時もすごい雪で驚いたがそれを越す積雪である。このまま明日の朝まで降り続くのだろうか?家までの道は除雪されていなければ40センチは積っているだろう。運動靴では心もとない。

原っぱと遊園地のあいだ

On January 15, 2011
by 卓 坂牛

民家を改造して作ったグループホームを鷲田清一が称賛していた。そのエッセイに青木淳の原っぱと遊園地の話が出てくる。遊園地は人の行動を先回りして施設計画されているが原っぱとはそこで集まる子供たちの偶然の出会いが新しい営みを生むという例のエッセイである。で、青木さんが称揚する原っぱとは何もないホワイトキューブみたいなものかというと、そうでもない。そこには人の行動を誘発するようなモノがごろごろしているのである。たとえば工場を改造して作るギャラリーを考えてみる。これはギャラリーとして計画されていない以上先回りして計画されたものは何もない。しかるに工場として使われていたさまざまな空間や物質が残っている。そしてそうしたモノの機能性や計画性はすべてキャンセルされる。それでもそうしたモノは消えるわけではなく残滓のごとくへばりつき人を誘うのである。
鷲田が示すグループホームでは、人は民家の生活施設をそのまま継続して使うのだから機能がキャンセルされているわけではないのだが、それらの機能はそこに住む人を想定して作られたものではないのだからあるものはキャンセルされるかもしれない。しかしキャンセルされても上述の通り残滓として人を誘う何かになる。しかし大方は継続使用されるので原っぱではないだろう。しかしでは遊園地かというとちょっと違う。同じ機能でも今までとは違う人が使うし、見知らぬ人同士が使うのである。鷲田はそれを再度「編みこまれる」と表現していた。つまりここは遊園地的な人の行動を先回りする物もない一方で原っぱのようなタブラ・ラーサでもないのである。その中庸をいくようなまた少し新しい場の生まれる可能性の見えるところのようだ。

風邪から逃げる

On January 14, 2011
by 卓 坂牛

%E5%86%99%E7%9C%9Fsketchkomoro110114.jpg
昨日の長い会議で雑菌をもらっただろうか?からだが重い。事務所でボーっとしながらスケッチを書いて模型のスタディをスタッフのS君と進める。午後、甲府出張から一泊して帰ってきたT君が腹痛に顔を歪めている。Kさんは風邪で声も出ない。ここにいるとやばそう、、、危機感!!いくつかスケッチを渡して仕事をやめた。今晩体調を崩すと明日のセンター試験監督が務まらない。こんなことは長野で働き始めてから初めのことだがホテルに泊まることにする。極寒のわがマンションでは確実に体調悪化しそうだから。駅前のサンルートを予約してから事務所を出る。8時半のアサマに乗り車中大竹文雄『競争と公平感』中公新書2010を読み始める。最近弱者救済のストーリーばかり読んでいたのでその逆意見も手にしてみた。週刊ダイヤモンド2010年の<ベスト経済書>と帯に書いてある。日本人はなぜ競争が嫌いなのかとも書いてある。そう日本人は嫌いだね競争が。というか努力が嫌いなのだよ、もはや。

村上隆の考えにかなり賛成

On January 13, 2011
by 卓 坂牛

午前中事務所で打ち合わせして午後学会で審査。1時から7時半まで。こんな長い会議って滅多にない。終わって皆で食事して帰宅。昨日丸善で面白そうだと手にした村上隆の『芸術闘争論』幻冬舎2010を読む。
現代芸術をめぐる画商とかサザビーズとかクリスティーズの本は読んでも芸術家自身の言葉はあまり読んだことが無かった。でも、やはりアーティスト本人の本音は面白い。その中に現代芸術鑑賞の四要素というのがあった。それらは
① 構図
② 圧力
③ コンテクスト
④ 個性
だそうだ。これ結構建築に近いところもあるなあと思う。まあ僕の考えでは構図はないのだが、圧力はある。これは圧力と言うか僕の言葉でいえば表現の強度というものであり、見る物を圧倒する力である。それは執拗な表現の反復だったり、とんでもない手の痕跡だったり、まあその方法はいろいろあるが言ってしまえば表現の力である。次にコンテクスト。これは建築でいうコンテクストではなく、アートシーンの中での作品の連なりのことである。つまりこの白い箱は少し西沢立衛のようだが窓の開けかたは藤本のようであるというように、デザインがどういう潮流の上にあるかということである。村上が言うように表現とは自分の好きなことを自由にすることではない。あるシーンの上で何が受け入れられるかということである。僕も大学でよく言う、君たちが好きなものを自由に作ってはいけない。小学校のころ国語の先生が作文の時間に「自由に書きなさい」と言い、図工の時間に「好きなものを自由に描きなさい」というのは全く無意味である。そんな指導で言い作文やいい絵が描けるのは奇跡的な天才でしかない。絵だって文章だってその方法を緻密に教えてもらなければ書けないし描けない。そしてその技術がつき、その次に売れるようなものを書いたり描いたりするためには売れるものは何かを考えるしかない。僕も製図の時間に売れる家を設計してくださいという。そのためにはあなたが欲しい家を設計するのではない。と注意している。これは村上の言うコンテクストである。そして最後に個性である。もちろん個性がないことにはどうしようもない。でも個性だけでアートも建築もできるものではないということである。
さてそうなると僕は村上隆に全面賛成かというとそうではない。かなりの部分近いかもしれないけれどやはり違う。その違いはやはりアートと建築の違いなのだと思う。村上よりもう少し長い射程で自分の作品を考えていると思う。

ロマネスク装飾発展法則

On January 12, 2011
by 卓 坂牛

リーグルは古代オリエント、ギリシアの唐草模様の発展を『美術様式論』において探求した。バルトルシャイティスは『異形のロマネスク』においてロマネスクの唐草模様の発展を導いた。それは波状唐草→それが二つ合わさりハート型→それが横に繋がりX型という発展である。そしてさらに面白いのはこの植物から始まる装飾の発展類型の中に、動物、怪物、人間もデフォルメされて鋳造されたという点である。古代ギリシア、ローマにおいて人間の形で重要なのは比例でありそれが建築をも形づくったわけだが、中世に入り人間の形状はそうした解剖学的な比例を捨象した想像の世界の中に飛翔するのである。それは建築も同じである。もはや比例という概念では作られなくなる。
それにしてもシャイティスのこの本は気が遠くなるようなスケッチの量である。徹底して手で書きとる中にある種の法則性を見つけていった。この方法論に圧倒される。こういうやり方で現代の局面を切り取れたら面白いのだが???

稲葉なおと『ゼロマイル』

On January 11, 2011
by 卓 坂牛

41PZX4Ns-NL__SL500_AA300_.jpg
大学の同級生で作家となった稲葉なおとの『ゼロマイル』という単行本が最近小学館から文庫本になって売り出されたそうだ。しかも解説をあの重松清が書いているという。そこで新宿に行ったついでに紀伊国屋で買うことにした。小学館文庫のコーナーに行ってあいうえお順に並んだ作家名を目で追いかけた。あ行の最後にいるはずなのだが見つからない。コンピューター検索すると在庫ありと出てくるのでお店の人に聞いた。すると書架を探すでもなくこれですかと手にとって渡してくれた。なんと平積みではないか。すごい。驚き。えらい。そばのカフェで小一時間読んでみる。おおおお面白い。彼は物書きであると同時に写真家でもあり、その写真家としての自分の内面と家族への愛が重なって描かれている。
重松さんの解説にこんなことが書かれている。この小説は写真家の父と小学校2年生の息子がマイアミを旅する話なのだが、親と息子の二人旅は父親ならだれもが夢見ることであり、そして多くはそのチャンスを逃す。だからこそこうして小説の題材として魅力的なのだと。そして娘しかいない父(重松さんも僕もそうである)にとっては見果てぬ夢というわけである。そうである。こんな小さなかわいい息子がいたらなあと思うことしきり。

動物と共生

On January 11, 2011
by 卓 坂牛

午前中かみさんが出かけるというので一緒に家を出て森美術館へ。4回来れば元がとれるというので友の会の会員になる。国立新美術館なんかだとちょっと俗な企画が多いのだが、ここは当たり外れが少ないので4回は来るだろう。
午後は家で雑用、早稲田のシラバス書き直し。最近シラバスはどこでも毎年修正以来が来る。大した作業じゃないし、授業を見直すにはいい機会ではあるが。その後ユルギス・バルトルシャイティス(Baltrusaitis, J)馬杉宗夫訳『異形のロマネスク』(1986)2009 の装飾図を見る。「ああ人間は動物や植物とこれほどまでに仲良しだったのだなあ」と思う。われわれの周りに、動物は動物園にしかいない(ペットは別だけれど)し、たまに話題になる動物は常に迷惑もの。もう少し共生する社会にしないとなあ。夜は東京にいる建築の先生たちと新年会。さあ今年もがんばりましょう。

北村movementを楽しむ

On January 9, 2011
by 卓 坂牛

NE1294565547084.jpg
北村明子さんのダンスを見にかみさんと鎌倉近代美術館へ。鶴岡八幡宮はすごい人出。参道が動けない。着いたのが2時40分。3時までHITO展を見る。ムサビ名誉教授の麻生三郎という素敵な画家を知る。ペンのラインと色が好みだ。3時ころ1階の彫刻室で最初のダンスが始まる。北村さんとインドネシアのマルチナス・ミロト氏の対話的なダンスである。崩れ落ちるような、体を不自然に捻るような、そんな北村movementが随所に表れていた。対話といいつつミロト氏のジャワ的な動きはむしろ北村さんの動きを無視し意図的に勝手に動いているようにも見える。それに対してそれを追いかけるようなあるいは先回りするような北村さんの動きが興味深い。第二部は場所を少し変えて大谷石の壁に映像を映しながらその前で行われる。ミロト氏はジャワの踊りを始め何事かインドネシア語で語り始める。北村さんはインドネシア語は分からないと言いながら日本語で今回のダンスの作成プロセスを語り始める。このインドネシア語と日本語の語りがどんな関係にあるのか見ているものは分からない。謎かけのようである。その関係が三部の踊りにも現れる。一体二人の動きには関係があるのかそんなことはどうでもよいことなのか。
会場で研究室のOB山田君に会った。9月からシリアに留学するとのこと。頑張れよ!鶴岡八幡を回りあんみつ食べて帰宅。車中上野千鶴子の以前読んだ『おひとりさまの老後』をぺらぺらめくる。『世代間連帯』で何度も登場した本なので来る時本棚から抜き出してきた。これを読むと、やはり未婚でいるのはその人の生き方の選択。それをどうのこうの言いたくはない。その中で無縁社会を回避するにはどうするべきか?と考えるの筋である。

ルーズ縁社会

On January 9, 2011
by 卓 坂牛

去年の初めに「無縁社会~‘‘無縁死‘‘3万2千人の衝撃~」というNHKスペシャルがあったそうだ。結構な反響があったようで、本になったので読んでみた。NHK取材班編『無縁社会』文藝春秋2010。無縁社会とは文字通り、地縁、血縁、社縁などの「縁」がなくなった社会てある。そこで人々は最終的には行旅死亡人(こうりょうしぼうにん)となって官報にのって無縁仏専用墓地に葬られるという寂しい世界がルポされている。
もちろんこうした問題は孤独死に代表されるような老人に限ったことではない。未婚率が上がる現在、30代40代にその予備軍が確実に生産されているという。本誌に掲載されていた生涯未婚率の推移グラフを見て目が点になった。2010年現在生涯未婚率は男性19%女性10%である。これが20年後の2030年には男は30%、約3人に一人、女は23%4人に一人が生涯未婚なのだそうだ。もちろん独身でいることは個人の生き方の選択でありそれ自体が問題視されるべきではないが、未婚でいる理由がその人の意志でないとるするならば考えものだ。
本誌によれば未婚男性が増加する理由は4つあるという。
① コンビニなどの増加で一人で住まうことの不便さが減少した。
② 非正規労働が増え結婚する経済力がつかなくなった。
③ 結婚年齢の社会規範がなくなった
④ 女性の経済力が増加し女性に結婚する必然がなくなった。
これらの理由を見ると。個人の意志とはうらはらにという感じである。そして職が不安定ということは明らかに政治の問題である。となれば未婚率の上昇は単に個人の意識の変化として見過ごしていいことではない。
さらにもう一言加えればこれら4つの理由のうち二つは「夫パラサイト妻という旧態依然とした社会状況を前提とした理由である。そんな社会の枠組みを先ずさっさと取り換えなければいけないのだろうと思う。
縁で縛られる社会は、それはそれで息苦しいけれど、無縁は無縁で寒々しい。いい加減な繋がりというのが一番いい、ルーズ縁である。こんな無縁状態の危機感が一昨日に取り上げた『世代間連帯』を生んでもいる。

詩人のように人間は住まう

On January 7, 2011
by 卓 坂牛

朝から大雪。長野は今年一番の寒さだそうだ。でも雪が降るとそれほど寒さは感じない。朝早く研究室行って、あっちの原稿校正し、こっちの原稿送って、ゼミ本(井上章一『伊勢神宮』)の説明して(と言っても酔っぱらって無くしたので半分しか読んでいない)それから講義。昼は生協のサンドイッチを立ち食いして来客と打ち合わせ。結構重要な話なのだが40分でなんとか終える。午後製図エスキス。これ最終回。あとは講評会。今年は去年に比べ詰めが一つ甘いかなあ?
6時台のあさまに飛び乗る。車中ハイデガーの「詩人のように人間は住まう」(ハイデガー、オルテガ、ベゲラー、アドルノ伊東哲夫、水田一征訳『哲学者の語る建築』中央公論美術出版2008所収)を読む。タイトル「詩人のように人間は住まう」とはヘルダーリンの詩の一節でありハイデガーはそれを読み込む。もちろんキーは「詩人のように」の部分である。曰く「人間の本性とその広がりを測る拠り所となる尺度を受け取るということ」。それを僕が勝手に解釈するなら、動物が巣の中で生きるのと異なり、人間は自らの欲求のままに生きることはしない。排泄はトイレで行うし、食事は横たわっては行わない。つまり人間はおのれの本性と人間化された慣習の狭間で生きているそれが住まうという人間化された状態なのである。しかるに人間化はどこかで息詰まる。どこかで本性に即して生きて行きたくなる。そして想像にふけり自らの動物状態を思い描く。そしてその動物状態と人間化の臨界点を見極め(人間の本性の広がりを測る拠り所を受け取り)ながら人間は住まう。この観察に僕は賛成である。角窓の家を設計した時に住人が炬燵に足を突っ込んで皆が十字に寝っ転がれるような無法地帯、動物的な状態が設計のイメージの中央にあった。そしてそんな無法地帯を住まうという人間化された状態にする作業をしていた。それはまさにこんな臨界点を探すことだったのではないかと思う。
僕の勝手なハイデガー解釈である。全然違うことなのかもしれないが、それならそれでこれは僕の考えである。

« Previous Page Next Page »

Archives

  • October 2024
  • September 2024
  • August 2024
  • July 2024
  • June 2024
  • May 2024
  • April 2024
  • March 2024
  • February 2024
  • January 2024
  • December 2023
  • November 2023
  • October 2023
  • September 2023
  • August 2023
  • July 2023
  • June 2023
  • May 2023
  • April 2023
  • March 2023
  • February 2023
  • January 2023
  • December 2022
  • November 2022
  • October 2022
  • September 2022
  • August 2022
  • July 2022
  • June 2022
  • May 2022
  • April 2022
  • March 2022
  • February 2022
  • January 2022
  • December 2021
  • November 2021
  • October 2021
  • September 2021
  • August 2021
  • July 2021
  • June 2021
  • May 2021
  • April 2021
  • March 2021
  • February 2021
  • January 2021
  • December 2020
  • November 2020
  • October 2020
  • September 2020
  • August 2020
  • July 2020
  • June 2020
  • May 2020
  • April 2020
  • March 2020
  • February 2020
  • January 2020
  • December 2019
  • November 2019
  • October 2019
  • September 2019
  • August 2019
  • July 2019
  • June 2019
  • May 2019
  • April 2019
  • March 2019
  • February 2019
  • January 2019
  • December 2018
  • November 2018
  • October 2018
  • September 2018
  • August 2018
  • July 2018
  • June 2018
  • May 2018
  • April 2018
  • March 2018
  • February 2018
  • January 2018
  • December 2017
  • November 2017
  • October 2017
  • September 2017
  • August 2017
  • July 2017
  • June 2017
  • May 2017
  • April 2017
  • March 2017
  • February 2017
  • January 2017
  • December 2016
  • November 2016
  • October 2016
  • September 2016
  • August 2016
  • July 2016
  • June 2016
  • May 2016
  • April 2016
  • March 2016
  • February 2016
  • January 2016
  • December 2015
  • November 2015
  • October 2015
  • September 2015
  • August 2015
  • July 2015
  • June 2015
  • May 2015
  • April 2015
  • March 2015
  • February 2015
  • January 2015
  • December 2014
  • November 2014
  • October 2014
  • September 2014
  • August 2014
  • July 2014
  • June 2014
  • May 2014
  • April 2014
  • March 2014
  • February 2014
  • January 2014
  • December 2013
  • November 2013
  • October 2013
  • September 2013
  • August 2013
  • July 2013
  • June 2013
  • May 2013
  • April 2013
  • March 2013
  • February 2013
  • January 2013
  • December 2012
  • November 2012
  • October 2012
  • September 2012
  • August 2012
  • July 2012
  • June 2012
  • May 2012
  • April 2012
  • March 2012
  • February 2012
  • January 2012
  • December 2011
  • November 2011
  • October 2011
  • September 2011
  • August 2011
  • July 2011
  • June 2011
  • May 2011
  • April 2011
  • March 2011
  • February 2011
  • January 2011
  • December 2010
  • November 2010
  • October 2010
  • September 2010
  • August 2010
  • July 2010
  • June 2010
  • May 2010
  • April 2010
  • March 2010
  • February 2010
  • January 2010
  • December 2009
  • November 2009
  • October 2009
  • September 2009
  • August 2009
  • July 2009
  • June 2009
  • May 2009
  • April 2009
  • March 2009
  • February 2009
  • January 2009
  • December 2008
  • November 2008
  • October 2008
  • September 2008
  • August 2008
  • July 2008
  • June 2008
  • May 2008
  • April 2008
  • March 2008
  • February 2008
  • January 2008
  • December 2007
  • November 2007
  • October 2007
  • September 2007
  • August 2007
  • July 2007
  • June 2007
  • May 2007
  • April 2007
  • March 2007
  • February 2007
  • January 2007
  • December 2006
  • November 2006
  • October 2006
  • September 2006
  • August 2006
  • July 2006
  • June 2006
  • May 2006
  • April 2006
  • March 2006
  • February 2006
  • January 2006
  • December 2005
  • November 2005
  • October 2005
  • Home
  • About
    • Profile
    • Team
  • Works
  • Blog
    • Text
    • Column
  • Contact
  • University
    • Lab
    • Lecture
  • O.F.D.A Home
  • #

© Copyright 2016 O.F.D.A.