Taku Sakaushi

Diary

普通の国ニッポン

On January 7, 2011
by 卓 坂牛

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クローバー型枠のコンクリートも無事打ち上がった
午前中あずさで甲府の現場へ。残りは外構。午後塩山の現場。躯体が打ち終わって上棟。さて残り2.5カ月で仕上がるか?定例が終わると真っ暗。温度も急激に下がる。ああこのまま長野に行くのは凍え死に行くようなものだと思いつつ、あずさで松本経由長野。案の定、長野は=3度。駅で夕食をとり少々アルコールも入れてマンションへ。暖房をつけっぱなしでベッドへ。寒さのせいか夜中腹痛で目覚め、正露丸を飲んで耐え忍ぶ。
長野へ来る車中読んでいた上野千鶴子、辻本清美『世代間連帯』を思い出す。あまり政治の話に強くない僕は常にノンポリを決め込んでいるのだが、久しぶりに文句言うべきところは言わないと世の中住みにくくなり続けるという危機意識を煽られた。
彼女らに強く同意するのは日本はもはや大国ではないという自国の認識。そしてそうであるにもかかわらず、60代以上の政治家や財界のオヤジたちは(経済)大国という幻想としての日本を忘れられないでいるという認識のずれ。(経済)大国という幻想を捨て(経済)普通の国ニッポンとなった時に僕らが目指すのは普通の幸せである。
2001年に大塚英志が『中央公論』誌上で公募した「私たちが書く憲法前文」の優秀賞に次のようの文章があったそうだ。
全くもってタイシタコトのない/世界的に見てソコソコの国がいい。(略)
世界なんていう単位で/立派で一番!になる必要はあるのか。/私たちから見て一番幸せになれる国。/そうなる必要は大いに/有。
景気ばっかりよくって/高ーい車買って/宝石ジャラジャラつけたくって/そんな/目や手や/そんな物で感じる幸せは/ソコソコあれば十分。/タイシタコトナイ平凡な国がいい。/穏やかに過ぎる時に/心で幸せを感じられるから。(略 )
上野は審査員の一人で1こんな文章に驚き感動したそうだ。これを書いたのは17歳の女子高校生。娘と同年齢である。どう思うか聞いてみたい。

デザインの明日は誰が何をするのか?

On January 6, 2011
by 卓 坂牛

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久しぶりのホタルイカ。学生さんたちがちょくちょく見学に来ているらしい。
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プライベート写真を載せてしまいました。ごめんなさいね。同期のN君です。
新年事務所の仕事始め。新しくやる仕事の打ち合わせ。明日の現場定例の打ち合わせなど。今年もいい仕事をしたい。大学に送る原稿のチェックなどして夕刻日建の同期との新年会。場所はホタルイカ。久しぶりに自分の設計したレストランでの会食。できて5年くらいたったがきれいに使われていて嬉しい。日建同期のYとNが執行役員になったのをお祝いしての新年会だったがYは忙しくてこられなかった。同世代が活躍しているのは嬉しいものである。Nは中学、高校、大学、会社とずっと一緒だった仲である。おめでとう。しかし彼も心配していたが、建設業界は今後どうなることやら?もう量を得る時代は終わった。これからは質を問う時代である。では今後質とは何か?恐らくその一つはグローバルなテーマであるところのサステナビリティである。そしてもう一つは人間の本能であるところの何か。金とか経済原理では代えられない何かである。日建は前者を突き進むしかない。一方で人間の本能の部分は僕のやるテーマである。さてどちらが長持ちするだろうか?

ETHの教科書の凄み

On January 4, 2011
by 卓 坂牛

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大学仕事始め。朝一で大学へ。教室会議を終えて午後は赤を入れた4年の梗概を渡す。4年の梗概に毎年見られる悲しい事実。
① 自分の意見と人の意見がごちゃごちゃ(小学校の作文で教えることだと思うが)
② ろくすっぽ調べていないのに断定する(中学生の社会科のレポートで注意される内容)
③ 自分だけ分かった気になっている(これも中学生くらいで注意されることだな)
書かれている内容と目指す志は大学生だが文章のレベルは小学生である。まあ今年に始まったことではないし、この大学だけの問題だとも思わないけれど。
夕方事務所に戻り先日届いた本を開く。平瀬君に教えてもらったETHの教科書である。タイトルはConstructing Architecture materials processes structures a handbook
出版社はBirkhauser である。
アマゾンで注文した時はまあ新建築くらいのヴォリュームと思っていたのだが届いたら電話帳である。Hand bookなのだからまあそいうものかもしれないのだが、内容は単なる事例集ではない。タイトルが示す通り建築をいかにconstructするかが丁寧に記されている。まずは材料。組石、コンクリート、木、鉄、断熱材、ガラス。次に部位ごとの説明。基礎、ファサード、開口、床、屋根、階段。次に構造。そしてやっと建物事例が出てくる。それで終わると思いきや最後にその図面の描き方がまた部位ごとに説明される。
これは教科書としてはパーフェクトである。こんな教科書を使ってみたいものである。でもこれを日本の大学のどの時間に誰が教えるべきなのだろうか?そもそもこんな教材がないということはおいておいて、日本では学部時代はかなり総合的な教育をさせている。だからもうこれ以上カリキュラムに何か新しいことを入れ込む余地はないのである。先ずはそこを変えたいところである。やはりどこかの大学のように建築学部ができれば少しは変わるのかもしれない。しかしそれは何時のことやら。隣の芝生を羨ましがっても仕方ない。そうなると残るは院の教育をそれぞれ専門化させることが考えられる。しかるにその場合講義数だけが教員に比例せず増えていくことになり教えられる先生がいなくなる。恵まれた国立大学の余裕のある先生にしかできない芸当である。やれやれ、、、。

仕事は何のためにするのか?

On January 3, 2011
by 卓 坂牛

年末年始は好き勝手に過ごしていたので、今日はプロジェクトの資料読んだり、学生の梗概チェックしたり、仕事モードに頭を切り替え中。夕方風呂に入りながら上野千鶴子、辻本清美『世代間連帯』岩波新書2009を読む。年収300万というのが妥当な数字だと言わんばかりの二人の論調。上野は言う「年収三00万だと「それじゃ、結婚もできないし、子供も持てない」という人がいますが、そんなことを言うのは、たいがい男。自分ひとりで家族を養おうと思わずに、同じ年収水準の女性と結婚して共働きすれば、合わせて六00万になる、、、」この上野の言うことは至極もっとも。少なくとも設計やりたいなんて言う人は男も女もこう考えないと話にならない。でも疑問を抱く人も多かろう。僕も大学で就職の相談など受けているとそう思うときがある。金を右から左に動かして3000万稼ぐ人と殆ど同じような家庭環境で、同じような教育を受けたのに、たまたま選んだ職業がマックのバイトより儲からないなんてどいうことだと感じる。でも10倍稼いでいる人が10倍幸福かと言うとそんなことはないのである。本当に幸せで本当に楽しいということは何なのか若い人にはなかなか分からない。そしてみな早まってつまらぬ会社でつまらぬことをする。お金などそんなつまらぬことの代償にはならないのに。

エロティシズム

On January 2, 2011
by 卓 坂牛

エロティシズムをテーマにして卒計を作っている学部生がいるので再度バタイユを読み直したり新たに読んだりしてみた。ジョルジュ・バタイユ、酒井健訳『エロティシズム』(1957)2004ちくま学芸文庫、『純然たる幸福』所収のエロティシズム関連の論考(1955~1957)2009ちくま学芸文庫、森本和夫訳『エロスの涙』(1961)2001ちくま学芸文庫、湯浅博雄『バタイユ』講談社1997。
人間は動物同様の欲求を持っている。しかしその欲求を動物と同様の形で表現するのに嫌悪を抱いた。そこで動物との差別化を図ろうとした。そのため人間は欲求を一度ため込み簡単に外に表出しなかった。それが人間化であるとバタイユは言う。しかし人間はこのため込み=人間化という名の禁止行為を再度拒否しようとした。禁止を乗り越え、ためこんだ欲求を露わにしようとした。それが欲望であり、バタイユの言葉でいえば「侵犯」である。そして人間はこの侵犯を人間たらしめるために理屈を捏ねて洗練した。味を楽しむために食べ、健康を維持するために眠り、愛の表現するために性行為を行った。さてここまでがバタイユの考えである。しかしこの侵犯は人間を人間たらしめる方向のみに行われるわけでもないように思うのである。ここからは僕の考えである。人間を再度動物に引き戻そうとする欲望もありそうである。人間を適度に動物化させる方向。そういうことの方がこれからの時代のエロティシズムという気もするのだが。どうだろうか?

直観は最後に使う

On January 2, 2011
by 卓 坂牛

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なぜか僕と娘の名前のまわりにぶつぶつが
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家を出ると東京nobody状態である
2011年元旦。9時起床。家族で朝食。雑煮を食す。おせちなるものは黒豆と栗きんとんだけ。昼ころ娘が賀状をとってくる。お互い様だが義理賀状が多い。義理でももらえばどこで何しているかくらい分かるのでそれなりの意味はある。一通り見てから初詣に出かける。近所の須賀神社。毎年拝むことは一に健康、二に建築、三が家族で変わらない。甘酒をいただき帰る途中スタバコーヒー買って帰宅後天皇杯をテレビ観戦。鹿島強し。サッカー見ながら読みかけのゲルト・ギーゲレンツァー(Gigerenzer, G, 2007)『なぜ直観のほうが上手くいくのか―無意識の知性が決めている』インターシフト2010を読む。直観は論理的思考の対局をいくいい加減な思いつきと思われがちだが、潜在的な無意識が作り上げた知性であり信用できるもの。というのが著者の主張であるが僕はかなり前からずーっとそう思っていたのでここに書かれていることにさほど衝撃は受ない。
ただこれを読みながら人を直観的タイプと論理的タイプに2分するだけでは片手落ちだろうと思い始めた。たとえば自分の人生の岐路に立たされた時3つのタイプがいる。一つは詰将棋のごとく徹底して論理的にシミュレーションするタイプ(論理派)。二つ目はケーススタディはするが最後は直観で決めるタイプ(直観派)。三つ目はなんとなく決めるタイプ(慣習派)。この本ではこの慣習派もなんとなく論理派より正しいかのごとく描かれているようなのだがそれは誤解してはいけない。
直観的が論理的に勝るためには最初にかなりのケーススタディが必要である。それなしのなんとなく決める思考は直観的ではなく慣習的なだけである
なんて書いたのは僕の研究室で直観的と僕が思う学生を思い返してみると、彼らは結構すごい量の選択肢を自分の前に用意してそれから「えぃっ」と決定を下しているように思うからである。
振り返って自分の人生における決定はと言うと実は少々心もとない。もちろんすべては常に最後は直観的である。しかしその直観決定を行うまでに膨大なケーススタディをしたのだろうか???大学受験(象の大竹さんと富田さんの言葉を信じ、あるいは裏切り篠原一男のもとへ)留学(うーん篠原の逆のところに行こうと数ある大学の中からムーアを目指した)、就職(唯一あまりスタディしなかったのがここかもしれない)、結婚(これは時間切れ)退職(これはケーススタディのしようがない)、再就職(これもあまりケーススタディのしようがない)、退職、再就職、、、、、、というわけでこうやってみると表面上ケーススタディがままならぬ場合が多いようにも見えるが実は違う。本当はそういうイベントが起こる前に選択肢がぶら下がっているのである。そのもやもやした時点で実は様々なケーススタディが行われ直観的決定が行われているのである。毎年いろいろな場面でそんな選択肢に出くわすわけでその直観が狂わぬように潜在意識のデーターベースが壊れないように祈っておきたい。

親父の書斎

On December 31, 2010
by 卓 坂牛

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生まれ育った西武池袋線江古田を歩いてみたくなった。小学校1年まで住んだ場所である。記憶に残る日大芸術学部は建て替えられ街に開かれた最新大学に様変わりしていた。6年間住んでいた団地も建てかえられ住宅供給公社のアパートにはとても見えないぴかぴかのマンションのようになっていた。引っ越し後も通い続けた開進第四小学校に行ってみた。やっと自分の記憶をよみがえらせる風景があった。でもそれは建物ではなく運動場と木々である。そこから10年間通った武蔵野音大へ。ここは建物に記憶が詰まっている。ホールのファサード、ガラス越しに見えるロビー。あそこで恐ろしいレッスンを前に緊張していた自分を思い出す。音大を後にして駅前へ。もうなくなってしまったと思っていた市場と呼ばれるアメ横のような商店街が残っていた。よくここでおつかいの帰りに焼き鳥を食べた気がする。
西武線で大泉学園へ。小学校1年から大学を卒業して日建に入り結婚するまで過ごした実家に行く。よく考えると実家に行ったのは10年ぶりくらいである。2階の親父の書斎に行ってみる。僕ら兄弟の部屋も親父の部屋になってしまったようだ。あれあれ木造の2階にこんな本置いていると家が傾くぞ。一つの部屋は全集ばかり。マルクス、エンゲルス、レーニン。一つの部屋は雑誌と文庫本新書など。わけもわからずこんな本にあこがれた時代があったものだと思いだす。
両親は二人ともまだまだ元気そうでうれしい。親父には立花隆、オフクロには山下洋輔の新刊を西武リブロで買ってきた。本がうれしいくらいだから未だ頭もぼけてはいないようだ。

アトリエ・ワンの「ふるまい学」を読んで思う

On December 31, 2010
by 卓 坂牛

昨日ジムでシャドーボクシングのようなことをやったせいで体中が痛くて動かない。仕方なく家でゆっくりした。昨日RizzoliのAtlier Bow-Wow Behaviologyといっしょにテキストの日本語訳(英語訳の元日本語?)をもらった。その中の最初の論考アトリエ・ワンによる「建築のビヘイビオロロジー」を読んでみた。こういう考え方は今和次郎的だなあと思っていたら次の藤森さんの文章が「アトリエ・ワン的視線の由来」と題してまさに今和次郎のことを書いていた。もちろん藤森さんとしては今和次郎とアトリエ・ワンの間に自らを位置付けているのであるが。
今和次郎的であるからアトリエ・ワンの評価が下がるわけでは全くない。今和次郎の発想はもともと考現学と称し現在を考えることだった。つまり現在を観察することである。僕の本棚にはその昔おばさんからもらった今和次郎全集が並んでいる。時おりどれということもなく抜き出して眺めてみる。今独特のスケッチによる生活風景に目が釘付けになる。そこには生活に対する今の尽きぬ興味(愛情)が溢れている。おそらくアトリエ・ワンも生活、人に対する好奇心に満ちている。しかし注目すべきはそうした好奇を観察から創作のレベルへ昇華させようと考え続けたことであろう。
アトリエ・ワンの文章の冒頭に彼らの素朴な疑問が書かれている「建築家が作る建物はどうして周りから浮いてしまうのか?」この疑問が最初に決定的に建築家に突き付けられたのは多木浩二によってだと思う。そしてそれを真摯に受け止めて建築を作りはじめた最初は伊東や坂本の世代であろう。しかしそれらの建築はその批判に概念的に対応していたように思われる。それを解読するには少々考えないといけない。それに比べるとアトリエ・ワンはこうした批判に対してもっと感覚的なレベルで理解可能な方法を考えた。そのために彼らは再度人に向き合いながらそこでの観察を形に変容させる道しるべを探したのである。それが「ふるまい―behaviorology」というキーワードである。そう、はるかに直接的で形や人間を結びつける匂いで満ちている。使い勝手がよさそうである。分かりやすい。
彼らが世界で受け入れられるのもこうした分かりやすさに起因するのかもしれない。

参宮橋で黒い家を見る

On December 30, 2010
by 卓 坂牛

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午前中事務所。今日はスタッフもまばら。S君を連れて平瀬さんの住宅を拝見しに参宮橋へ。昔懐かしい場所。ちょっと迷ったがなんとかたどり着く。カメラマンの山岸剛さんが撮影中。明日引越しらしくぎりぎりだった。マジックコートの黒っぽい外観が印象的。3層吹き抜けの階段室周りがトップライトの光で明るい。窓は木窓。アコーディオン網戸を隠す窓周り、高さ1センチの入巾木、取手のないドアなど随所に味のあるディテール。これが処女作とはたいしたもの。
午後事務所に戻り打ち合わせ。原稿書き。夜は毎年29日恒例の忘年会。武、柳、奥、塚、貝、萩、小、木、島、石、今年は小川君と石田さんもいらっしゃいました。塚本さんからAtlier Bow-Wow(Rizzoli版)をいただく。ありがとうございました。では皆さまよいお年を。

今井浜

On December 28, 2010
by 卓 坂牛

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海岸をぶらぶら
今日は河津に隣接する今井浜海岸に来てみた。営業していない海の家のテラスに荷物を下ろす。しばらくあたりをうろうろしながら何を描きたいのか考える。美しい海岸を前にしているのだが海は描く気がしない。
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岩もなかなか魅力的だが
自然恐怖症である。仕方ない風化した海の家を描くことにする。
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朽ちた海の家
塗料がはがれかけた壁面の肌理を描いてみたいのだが、、、、お腹が減ったので2時に狩終了。
これで河津でのスケッチは終わり。気に入った絵にはサインと日付を入れた。全部で6枚くらい。今井浜の東急ホテルで遅めの昼食をとってから河津に戻り特急踊り子で東京へ帰る。

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