Taku Sakaushi

Diary

理論と感性の折り合い

On July 21, 2010
by 卓 坂牛

q朝製図第三の講評会の発表者選び。終って教授会。なんと重い人事の話題。けりがつかず。また来週会議。午後から製図第三の講評会。ゲストは松岡聡。先ずは彼にショートレクチャーをしてもらう。これが結構、目から鱗。「平面に置ける曲線の使い方」というのがテーマ。さすが妹島事務所出身。そう言えば妹島さんの卒論はコルビュジエの曲線の使い方だったそうだ。松岡さんの曲線論はバロック建築の平面図まで登場した。こんな設計の技術論をレクチャーしてくれた人は彼が初めてである。驚いた。それを彼の実作に繋げて語ってくれた。極めてリアルである。前回のゲストは松田さん、その前は藤村さん。同世代なのにこれだけ考えていることが違うということが面白い。その後講評会。今日は意識的に発表者を多くしたので僕はコメントをかなり控え、松岡君に多くを語ってもらったのだが、語ることがとても的確。そして深い。終って各賞の選定をしたが、彼の評価と僕のそれは殆ど一緒だった。
夜は懇親会。松岡さんと話したことは、やはり感性と理論の折り合いのようなところである。彼は妹島時代の同僚である田村さんと共同しているが感性派の田村さんと理論派の松岡さんの微妙なバランスの上で作品を仕上げているようである。そのさじ加減が重要。今そうしたバランスの上でいろいろな事務所が仕事をしているというように思う。明日は坂本さんが来られるが、彼も理論派でありながらそれを嫌う。では研究室でどういう風に設計をしたのだろうか?理論が通じなければ苛立つだろうし、でも出てくる案が理論的だとこれも面白くないはずだ。これはジレンマである。僕もそうである。語る時は概念的だが、スケッチはそうあって欲しくない。

八潮サウスゲートパーク

On July 19, 2010
by 卓 坂牛

午前中『池袋ウエストゲートパーク』を読み続ける。池袋は若いころ慣れ親しんだ場所なのに、この公園は見たことも入ったこともない。でもテレビでは何度も見た。あまりいいメージで報道されない。悪の巣窟のような感じである。でもそれって逆に言えば誰でも何時でも入れるということの裏返し。よく言えば自由、悪くいえば無法地帯。
午後八潮の公園設計ワークショップ。各大学が5大学で設計を進める方法論を持ち寄ろうと言うプレゼンを行った。各大学15分の持ち時間でそれぞれ少しずつ議論をして進めた。日工大は5つのゾーニングと各ゾーンに他のゾーンの飛び地があるというコンセプトでその実例を見せてくれた。茨城大は5大学のゾーニング方法を分析。それは5つに分けるのではなく更に微分してそれを自由に繋げるような方法論である。神奈川大は大きなコンセプト(山とか丘とか)とエレメントに分けた方法論。建築パビリオンを5つ作るところがみそ。信大は人々の人口密度や速度を風景にして、密度や速度を制御するランドスケープを提示。神戸大は複数での方法論を回避し、大きなコンセプト(いらっしゃいませ、お帰りなさい)を掲げそこから帰結する空間を提示。
さてこれらの発表から次へのステップを議論した。しかしこれはなかなか大変だ。変数が多すぎる。侃侃諤諤の議論となる。でもこれは結構本質的で面白い。僕は5大学の複数性を前提とするかどうかが重要と主張。曽我部は方法論の前に大きなあり方を議論すべき。小川君は大きなコンセプトとかあるべき機能を議論するのは可能性を限定することになるので得策ではないとする。寺内は今回の案の共有点をまとめそれを前提としなければ前へ進めないと主張。槻橋氏は全体を取りまとめながら5大学がコミットする方法論を前提とすることには反対のようである。と言うわけで方向性は出ない。結局これらの議論を踏まえ来週のWSに新たな提案を持ち寄ることになった。
これは難しい。先ず先生たちの議論の共通点をどこに置くかである。なんとなく総括すると皆が多くを受け入れ、可能性を発見する場所だと考えているように思える。敷地の半分はデザインするのをやめようなんて意見も出る始末。でもそれをやると池袋ウエストゲートパークになるんじゃないの?という不安もある。自由と無法は紙一重である。ある規制はいる。それをどういう形にするのかである。
学生の車に便乗させてもらい長野へ向かう。後部座席で来週に向けた議論を始めさせたのだが数分で言葉が途切れた??まあよく考えてくれ。
ところで明後日21日は信大に坂本一成氏をお呼びし、1時から講演会3時から4年生の製図の講評会である。ゲストには京都から松岡聡氏も来られる。なかなか豪華な会となる。長野の建築家も4名。なんと発表者と講評者が同じくらいいるよ。すごいね。長野近辺にいらっしゃる方は是非ご来場ください。http://www.ofda.jp/lab/practice/2010drawing5/lecture_dai5_2010.html

オハカの色―メキシコの記憶

On July 18, 2010
by 卓 坂牛

午前中ジムでティラピス。僕以外は全員中年壮年老年のおばさん達である。でもこれをやると背骨がすっきりする。ジムの脇にあるsubwaysでサンドイッチ三つ買って家に帰る。作品制作中のかみさんに一つ上げ、出かけようとしていた娘にも一つあげ、自分も一つ食べる。しばらく部屋で石田衣良の『池袋ウエストゲートバーク』1998を読む。池袋のあの辺りが騒がしかったのが98年ころだったのだろうか?もうよく覚えていない。午後六本木に「マン・レイ」展を見に出かける。国立新美術館は連休だからかどうか分からないが、人でごった返している。「オルセー美術館展」の方は長蛇の列で入るのに1時間くらいかかりそうに見える。そのわきから並ばずに「マン・レイ」に入る。たっぷり見ごたえのある量である。一休みしてミッドタウンの「富士フィルムスクエア」に行き「アンセル・アダムス展」を覗く。同時代の作家だがその作風は一見正反対。でもよく見ると似ているのかもhttp://ofda.jp/column/
ミッドタウンの3階にはファーバー・カステルの専門店がある。セールをしていたので、クレヨンとスケッチブックを2冊買って家に帰る。さっそくスケッチブックを開きおニューのクレヨンで色塗りしていたら2冊塗りつぶしてしまった。好きな色を重ね塗りしてナイフで適当に削り落すのである。その昔メキシコのオハカにムーアやリゴレッタと小旅行をした時見た建築群の壁はどれもこれも何重にも塗り重ねられた塗装が年月の経過で欠き落ちて何十の色が見えてきていた。その壁の色がとても印象的でそれ以来、パステルやクレヨンがあるとついその壁を再現してみたくなる。もちろん色味は自分の好きな色なので再現とは言えない、終わって減った色を見ると肌色。肌色好きなんだやっぱり。
karakara.jpg

学会の北陸支部大会

On July 17, 2010
by 卓 坂牛

岩室の朝は早い。宿で握り飯を作ってもらい車で弥彦神社に向かう。17世紀の建物で国の重文。神社の裏からロープーウェイが弥彦山の頂上に向けて出ている。頂上からの眺望は圧巻である。南には新潟市、燕市が見え市と市の間は日本の穀倉地帯。緑のカーペットが敷きつめられている。北は日本海と佐渡。この辺りの日本海はエメラルドグリーン。まるで南国の海のようである。山を降り吉田駅から各駅停車に揺られ柏崎を目指す。車窓から見えるのは先程弥彦山の上か見えた緑のカーペットである。柏崎駅からタクシーで新潟工科大学へ。日本建築学会北陸支部大会のシンポジウムが学会長を招いて行われていた。中越沖地震から3年たち「大学は地域に貢献できたのか?」というのがテーマである。実は3年前この地震が起きたまさにその瞬間僕は柏崎にいた。長岡のコンペ(隈さんが勝った)の敷地を学生と見に行く途中だった。その意味でこの地震は印象深い。シンポジウムでは先日お会いした佐賀大の平瀬君の同級生だった田口先生が司会を進めていた。なかなか見事な手綱さばきで。会場の笑いを誘いながら核心にせまる内容だった。4時から北陸建築文化賞の表彰式。審査部会長という立場で業績賞1つと作品賞3つの選評を述べさせていただいた。その後受賞者が受賞作品のプレゼンを行った。直に説明を聞くと書類や現地審査だけでは分からない新たな点に気づき面白いものである。懇親会は失礼して柏崎に戻り東京へ。梅雨明け間際のとても暑い一日だった。

燕三条へ

On July 16, 2010
by 卓 坂牛

午前中早稲田の演習。アート的vs原初的という話。20世紀初頭モダニズムはジャンルの純粋性を重んじたのだが、その後どんどん融合して最近は殆ど同じジャンルとさえ言えるようになった。元に戻ったともいえるのだが、、、でも再びジャンルが独立するのではないかというのが勝手な予想である。
今日は後がつまっているので早めに終わろうと思ったのだが、先週欠席した学生がプレゼンさせてほしいとねだるのでやらせていたら終わったのが12時半。おかげで行きたかったあゆみbooksにも行けず一目散と東京駅へ。「とき」に飛び乗り新潟燕三条をめざす。車中S.フリートレンダ―(Friedlaender, S)長倉誠一訳『子どものためのカント』未知谷2008を読む。カントの思想を子供が読んでも分かるように書き変えたもの。そうは言っても、もちろん日本の子供が読んでもとても理解できないだろう。いやいや大学生が読んでも分かるまい。それをドイツでは小学校の教科書にしようなんて考えているのだからビックリである。燕三条から乗り換えて吉田へ。今日はここで一泊。

入札、そして落札

On July 16, 2010
by 卓 坂牛

朝のアズサで甲府へ。工務店の望月さんの車で現場へ。遣り方が終わった状態。水道屋さんが新しいメーターを付けている。敷地ぎりぎりまで建物が建つことになるのを再確認してから工務店の事務所に。始めていく事務所だが立派な会社である。これからの工程を確認し基礎の躯体図のチェック図を渡す。ここで昼食を御馳走になった後塩山まで送ってもらう。今日は塩山の養護施設の入札。少し緊張。本格的な入札を取り仕切るのは今までなかったので不調に終わったらどうしようなどといろいろな心配が頭をよぎる。市の立会人の方、クライアントの理事の方総勢11名。そこへ入札のゼネコン四社。四社来る予定だったが一社無断で欠席。こんなことがあるのかと困ったのだが、時間通りことを進める。入札の札を開ける。なんと2社は入札予定価格と全く同じ価格。1社だけ予定価格からほんのわずか少ない価格。それで落札。なんだかあっけない。入札予定価格で札を入れると言うのは言い換えると取る気が無いことの表明。ということは1社しか取る気が無いと言うことになる。これってどういうこと????まあこれが地方の実態ということなのだろうか?もう談合をやめろと言う前に談合を前提とした仕組みを考えた方がいいんじゃないのと言いたくなる。みんなが労力掛けて入札なんていうことをやっていることがアホらしくなる。帰りの車中青木淳悟の単行本『このあいだ東京でね』の最後の短編を読む。タイトルは「東京か、埼玉―家と創作ノートと注釈」。この短編の最初にはこんなノートがついている「この作品は、建築雑誌上での特別企画により、さる個人住宅(設計西沢立衛)への訪問記として書かれたものです」そう書いてあるのだが文章はさっぱり彼の作品ではない。ふと下の方を見ると普通は注釈が付いているような部分にずっと文章が連なる。そこを読むと。ここに森山邸の話が続く。本文はどこかのプレファブ住宅の話である。一体これは何?このはぐらかし方とは???なんて謎なのだがそんなことを考えている暇はない。彼の小説はテープレコーダーのテープ起こしのようである。それは昔キッチンを読んだ時にも感じた。ただしキッチンの場合はあたかもビデオおこしのようであった。昨今の小説に感ずるこの日常の記録のような感じは何なのだろうか?やはり現代は主題より方法の時代ということなのだろうか?まあこれが現代なのかと思うとそうも思うしこの希薄な感じは嫌いではないのだが、、、、

日常の詩学小説?

On July 14, 2010
by 卓 坂牛

昨日は学会の設計競技審査。出品作28作品から7点の入選を選んだ。昨年より大分レベルが上がったものの、本部に集められた中でどの程度のレベルにはいるのかはよく分からない。なんとか全国入選が一つくらい出れば嬉しのだが。審査が長引き、急げば最終に乗れないことも無かったが一泊した。そのおかげで「のどくろ」や「金時草」などの金沢名物を食すことができた。今朝は8時台の電車で東京へ。車中、青木淳悟『このあいだ東京でね』新潮社2009を読む。久しぶりに単行本の小説を読んだ。青木淳悟は最近注目の小説家だそうだがそんなことを知って買ったわけではない。固よりこの人の名前など全く知らなかった。なんでこんな本を買ったのかよく覚えていない。タイトルが魅力的だったからだろうか???これは最近の傾向なのかもしれないが、この小説も日常の生活がとてつもなく詳細に描かれている。阿部和重の『シンセミア』を読んだときにも似たようなことを感じた。もちろん二人の小説が本質的に似ているという意味ではないが、その書きっぷりが類似する。日常の煩瑣なことが全てデーターベースのように書きとめられている。小説や音楽はあるヤマ(テーマ)に向けて盛り上がりを見せるのが普通だと思っていた。そのためには盛り上がるために必要なことが書かれるものである。ところが彼らの小説はそうではない。何でもかんでもまるでテープレコーダーの記録のように記されている。「でもそれが生活だろう」と言いたげである。日常の厚みのようなもの、その厚みの奥の方を垣間見せる。日常の詩学小説?
金沢は雨だったが東京に着いたら晴れ。しかもとんでも無く暑い。ネットニュースを見ると、東京の梅雨は実質的に明けて、猛暑が続くと言う。事務所に戻り塩山インテリアスキームの打合せ。沢山のスケッチを見ながら方向性を一つ出す。

東大S教授が残したもの

On July 13, 2010
by 卓 坂牛

学会のコンペ審査で金沢へ。4時間電車に揺られる。車中鈴木博之編『近代建築論講義』東京大学出版会2009を読む。その昔。学部でコルビュジエ論を書いて、同僚2人とその当時の助手の篠野さんと(現東工大教授)金沢工大で発表した時に質問があった。「東大の鈴木です」ドキッとした。「今コルビュジエを研究する意義はどこにありますか」と聞かれた。正確に何と聞かれたかは覚えていない。それに対してなんと答えのかも全く覚えてえていない。それが鈴木さんとの最初の出会いである。そして大学院の時、僕は鈴木さんの珠玉の名作『建築の世紀末』を読んだ。殆ど全ぺ―ジアンダーラインで真っ赤になったその本を先輩後輩に渡してこれは近代まれにみる名作だと宣伝しまくった覚えがある。そしてその本は又貸しの又貸しの末どこかに消えてなくなった。その後鈴木さんは僕の建築の視野から消えてしまった。それは『建築の世紀末』が余りに衝撃的な本であったからかもしれない。しかしこの本を読んで認識を改めたところがある。鈴木博之と言う人は日本で最初に日本のモダニズムを相対化して考えることができた人であり、それをキチント立論出来た人だったということだ。五十嵐太郎と藤森輝信の論はそれを裏付けている。鈴木オマージュ的なこの本の性格を割り引いても鈴木さんのやってきたことは凄いことだと思う。それはあの当時イギリスに留学した鈴木さんでしかできなかったことかもしれない。この本を読みながら鈴木さんの「私的全体性」という概念に興味が湧いた。それは石山も言っている。もし機会があればその可能性についてお聞きしたいものである。

便所飯

On July 12, 2010
by 卓 坂牛

早朝のアサマで大学へ。今日はスペインが勝ったので真っ赤なポロシャツ。この夏は赤だと力みながら、しかし外は雨で結構涼しい。
数ヶ月前、早稲田演習のブログレポートの中に「一人でランチを食べていると友達がいないと思われるので、それが怖くてトイレで食事をする学生がいる」。と書いた学生がいた。ジョークと思って読んでいたのだが、先日あゆみbooksで『なぜ若者はトイレで『ひとりランチ』をするのか』(和田秀樹、祥伝社2010)という本が目にともった。あれあれ、冗談でもなさそうだ。ゆとり世代の教育方針が競争から平等、点取り虫ではなく仲良しこよし、独創性より協調性を目指したことが原因の一端だと書かれている。で、こうした教育を受けた高校生が大学に行くとどうなるか?昨今の大学では出席取る先生が多いので昔のように唯我独尊は通用せず、クラスの和を保つ協調性路線を歩むことになる。クラスメートとは常に一緒に行動し(特に理工系では授業の選択肢はそうない)クラスの和を乱さないように皆びくびくする。KYな人はそのクラスの輪から外に追いやられる。能力より協調と言う価値観を植えつけられた彼らにとってクラスの輪の外に葬られるのは死に等しいと著者は言う。その帰結が便所飯だそうだ。やれやれ。と思う。確かにそう言われると今の学生はすぐつるむ、競争を嫌う、その理由がこれだと言われれば否定する理由も浮かばない。さらにひどいことに、彼らが社会に出た時にそこに待っている評価基準は残念ながら、点取り能力であり独創性であり競争力だと言うわけだ。なぜなら社会で待ち受ける大人たちはそういう価値基準で育てられたからである。あれあれ。なんとも可哀想なものである。
著者の観察や分析が100%正しいのか僕にはよく分からないが、教師をやっている実感から頷く部分は多々ある。著者は人間性の強調し過ぎはいいことない。もっと大事なことがあるだろうと警鐘を鳴らす。僕もそう思う。人間性を捨てろと言うわけではない。でももっと自分勝手にやるべきだと思う。人に迎合し過ぎるのはなんとも痛々しい。KY結構である。自分の主張を曲げて空気を保つなんて何の意味も無い。ただ、こんなことを言うのは少し不安でもある。仲良しこよしへの反動が、本田のようなスターをネタにあっという間にジャーナリスティックに喧伝されるかもしれないから。著者も主張しているが、ゆとり教育を宣伝したのもジャーナリズムなら、それを批判するのもジャーナリズム、その時々の流れにただただ乗っかって売れそうなコピーを考える彼らの片棒を担ぐのは本意ではない。

プロの建築家とは?

On July 11, 2010
by 卓 坂牛

午後からA0勉強会。翻訳だけはとにかく粛々とやるしかない。マラソンみたいなものである。今日は事務所がコンペ提出前でバタバタしてそうなので我が家でやることに。自宅の方が静かだし気持ちいい。終わってから選挙へ。四谷駅の脇に建っている廃校になった小学校が投票所。7時でも未だ来る人が後を絶たない。
帰宅して昨晩読んでいた森博嗣『小説家と言う職業』集英社新書2010を読み終える。数年前、娘がこの人の小説が面白いと持って来た。読まずにいたら一カ月たってまた数冊持って来てこう言う。「この人大学の先生だよ」と。凄い人もいるものだと思っていたら、また数ヵ月後数冊買って持ってきた。「この人建築学科らしいよ」という。ますますビックリした。一体どこの大学だか知らないが凄いと思っていたらこんなタイトルの本が並んでいたので大学教授の生態をしりたく興味深く読んでみた。著者はそもそも文学少年でもなんでもなく、ピュアに金儲けをしようと思って小説を書いたらしい。数か月で一冊書きあげ講談社に送ったら数カ月たって出版したいと言われた。その時には既に二作目を書き終わっており、最初に出したのは四作目で次に一作目二作目三作目とだしたようだ。そして問題の収入だが、初年度は三冊出版されその印税は大学の年収の倍。翌年は4倍、3年後は8倍、4年後には16倍になったそうだ。それは一億を超えたということである。凄い。それでも大学をやめてないと言うところが輪をかけて凄い。毎日1時間書いて一カ月に一冊出せるという能力に脱帽。
さてこの本の第二章は小説家になった後の心構えとなっている。これは建築家に置き換え可能と思いながら読んでいた。小説家はデビュー作の後作家であり続けるのが難しいのだそうだ。編集者によると、十年以上続けられる人はほんの一割。もちろん一生作家専業で食べているという人はひどく少ない。それは建築にも当てはまる。一生建築家専業で食べていると言う人はどのくらいいるのだろうか??まあ建築の場合作家と違って駄作を作っても突如売れなくなることは無い。営業で作品の質をカバーしている建築家は沢山いる。そういう輩はまあ除外したとして、建築では兼業して(例えば大学の先生やって)収入の波をカバーしている人たちが沢山いる。そういう人たちは作家の基準から見れば僕も含めて全員プロ失格である。大学で費やしている時間は建築の創作に無駄とはいわないが100%寄与しているとは言えない。つまり事務所で考えている時間に比べれば無為な時間をすごしているわけだ。因みに林昌二はとある大学からのオファーをプロであり続けるために断ったと先輩から聞いたことがある。おそらく磯崎新や伊東豊雄もオファーがなかったと思いにくい。しかしそれを拒否し続けたのだろう。凄いものである。

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