ヤマ
朝学部生の部屋から密かに頂いてきたガスファンヒーター無しにはこの時間までとてもいられない。しかしヒーターも力尽きたか寒い。帰ろうかなあと外を見ると雪。帰るのも寒い。帰らないのも寒い。
信州大学には山岳科学研究所というものがある。山を科学する研究所など信大にしかない。信大が誇れるものの一つらしい。そこで僕等も少し何かしようと歴史の先生と山岳景観をちょっと考えることとした。歴史の先生はタイポロジーが得意なので形態分析。僕は得意なものがないのでとりあえず、色彩分析をしたらどうかと思っている。山は一年間でどう色を変えるかということを調べる。そして山は何色に社会の集団表象として捉えられているかということを小説、絵画、写真などから分析する。例えば赤富士という言い方がある。富士山が真っ赤に現象することを指している。というように、長野の山もある色を持って現象することもあるはずである。もちろん四季で色が変わるかもしれないし変わらないかもしれない。その差は何によるだろうか?
さてヤマという建物を作った僕にとって山はとても面白い対象である。そのカタチも面白いしイロも面白い。果たして何が得られるだろうか?ヤマ#2のアイデアに出会えることを願っている。
学内リニューアル
就職相談コーナーの模型ができた。倉庫で見つけた、既存家具の模型を部屋の中にばらばらと置いてみる。軍隊スタイルはもう古いから、それこそ豆を撒くようにばらばらに置いてみる。まあこんなもんか。夕方工学部長が松本から帰ったところにその模型もって打ち合わせにいく。工学部長だけかと思ったのだが、管理の係長以下5名ほど集まってきた。模型を見ながら「さすが」とか「すごい」とかおっしゃっている。「うむ、まずい、なにかプレゼンしないとかっこつかないかな?」とちょっと戸惑う。今日はどうしたいか要望を聞くだけのつもりだったのだが、そういう雰囲気でもなさそう。面倒くさいから昼考えたことを述べておわりにするかな?「お金が無いので、1、先ず壁を取っ払ってガラススクリーンにする。100万。2、床壁天井は同じ色にする。天井はやりかえられないから、天井の色にする。ということは白にする。塗装と床で50万。3、部屋の真ん中の柱は掲示板にして高さ1200くらいのところにテーブルをまわしパソコンを2台置く。机設置10万。4、机はばら撒き何処かに常駐の先生二人は座る。以上」
「えっ、ちゃんとした席が無いと先生が不満ではないか」と工学部長。「いまどき先生の席だけ特別もないでしょう」と私、「白い床は汚れる」と管理「ワックス塗っとくと掃除は楽ですよ」と私「その掃除が大変で」と管理。まあありそうなやり取りを少しする。とりあえず模型をさしあげ、あとは少し皆様でお話しくださいと言うことで退散。残務を片付け8時頃には大学を出て駅前の平安堂に向かい面白そうな本を物色。最近何故か宗教の本に手が出る。昔の建築のことを考えると、宗教抜きに語れないからかもしれない。というと格好いいが、単にゴンブリッチの歴史の本の影響。そうなるとどうもパレスチナのあたりが面白い。平積みの文庫をふと取り上げると中東の詳細な地図が折り込まれていた。松本 清張。ほう。この手の本はほとんど読んでいるので気を付けないとよく同じものを買うことがある。10ページくらい読んでああ昔読んだと気付きもったいない思いをするので記憶を辿る。それを買って階下の蕎麦屋で蕎麦を食しながら読み始める。帰宅して風呂につかりながら読んだ。砂漠で凍えそうになる描写は僕の北アフリカ旅行の記憶を蘇らせた。
正座は大変
午後川崎のクライアントとの打ち合わせ。2時からはじめ終わったのは8時頃だった。何せ母屋と離れと2軒分なので時間はかかる。離れの住人はその昔お茶の先生だった。お茶をずっとやって正座をしていたためにひざを悪くされたとのこと。今ではイスでないと座れないのである。和室での打合せだが、彼女だけはイスである。しかしこちらも6時間和室というのは結構大変である。失礼は承知で足はあっち向いたりこっち向いたり、抱えたり。もちろん正座は不可である。
昔事務所の木島さんに連れられてお茶の場に臨んだことがあったが、1時間近くの正座で失神しそうになった。正座というのは体にいいものではない。昨今の若い子達のスタイルが良いのは座式生活からイス式への生活スタイルの変化が原因とも聞くし。
帰りの電車の中で今日の打ち合わせを確認し、僕はそのまま長野へ向かう。昼は比較的穏やかな天候だったのに夜はかなり寒い。車中小田部氏の『芸術の条件』を読む。小田部さんの文章は本当に良くできている。難しいが哲学者のジャーゴンではない。正確に伝わる文章である。
歴史のなぞ
東大の東洋史に数学0点でもはいった友人のKが私の娘に勧めていたマンガ世界の歴史を娘から借りて読んでみた。へー面白い。つい昼から四巻ほど、メソポタミアから、ギリシア、ローマ、中世ヨーロッパ、ルネサンスまで読んでしまった。マンガは教科書では割愛されてしまうような登場人物の微妙な心理が表情に出てくるところが楽しい。
例えば、ミラノに行ったダヴィンチがフィレンツェに帰ってきたとき既に頭角を表していたミケランジェロの対抗意識とか、モナリザの微笑みを見て涙したラファエロの感動とか、文章より絵の方がその感情の機微は直接伝わるし、教科書にそんなことは書いていなかったようにも思う。いや、面白い。マンガ読んでたら夜になってしまった。夕食後小田部さんから頂いていた、『芸術の条件』を読み始めた。小田部さんにしては平易な文体で書いている。これならすぐ読めるかな?前著『芸術の逆説』が芸術に内在する問題系ー創造、独創性、芸術家、芸術作品、形式、-を扱ったのに対し、本著はー所有、先入見、国家、方位、歴史、ーという芸術に外在しながら芸術を形成してきた因子の解明ということのようである。それゆえ「語の正確な意味での姉妹本」だそうである。
ところで近代芸術関連の本はそのオリジンに触れようとするとどうしても18、19世紀のドイツに話が関係せざるを得ないのだが、マンガでもゴンブリッチでもこのあたりが手薄なのはどうしてなのだろうか?客観的に見れば(客観とはなんなのか分からないが)あまり重要ではない時期なのだろうか????
留守番
ポートフォリオを送るのに久しぶりに英語の手紙を書いた。書こうと思うとスペルが出ない。かなり深刻である。記憶力の低下は娘を見ていると痛感する。うらやましい若い脳みそ。さてポートフォリオを送ろうと事務所に行ったら事務所に無い。ナカジがチェックするのに家に持って帰ってしまったようだ。一日なんとなく落ち着かない。あせっても仕方ない。昼間静かに本を読む。今日は留守番。家族は映画を見に行った。犬と私と二人だけ。誰も居ないので食卓を独り占めして年表やら辞書やら広げてゆったりと読書。犬は寝床で向こうを向いて寝ている。家族が居るときはこちらを向いているくせに、私一人だと反抗的にお尻をこちらに向けて寝ているのである。5歳になったおばさん犬をいただいてきたもので、この歳になってから人に慣れるのは大変なのである。
びっくりすることが多い一日
早朝、日本最初で唯一と思われるオリンピック金メダルのパフォーマンスをライブで見た。優勝候補のアメリカのコーエンが転倒したことも手伝い、荒川が一位となった。昨晩アメリカの放送局のスポーツ担当ディレクターがコーエンがプレッシャーに弱いので失敗をして荒川が優勝すると予想していたのがその通りになった。あまりの予測の確度の高さにびっくりである。
テレビの興奮冷めやらぬうちにKプロジェクトの現場に到着。今日は宙に浮く鉄の箱の仮設柱8本を取り除く日である。構造の金箱さんも来て取り除いた後に床レベルが下がらないか確認をした。1ミリも下がらないのにはちょっとびっくりである。
その後、近くの川崎の家の敷地を見てもらう。そして事務所に戻った。ポートフォリオ完成間近である。結構時間もかかったが、なんと200ページのポートフォリオとなった。エディトリアルデザインをしたナカジの力はたいしたものだ。すごい。
夜、日建の皆に芦原賞の受賞お祝い会を開いていただいた。構造の小堀さん、顧問となった池西さん。同期の西村、後輩の田島さん、そして後輩で新入社員の佐藤さん。どうもありがとう。昨今の構造問題から、日建ゴシップまで尽きぬ話題に花が咲く。同期山梨が副代表になったと聞いてびっくり。もちろんなるべくしてなったのだが、もうそういう歳なのかと思うとちょっとがっくりでもある。
日記っぽくない日記
日記の内容は何時考えているのですか?とある人に聞かれた。答えは、こうして打ち始めてそれからである。と言って打ち始めてからしばし打つのを止めて考えにふけっているわけではない。なんとなく書くことが頭に湧いてそれを手が勝手に打っている。
実はその昔日記を最初に書き始めた頃は日記というつもりで書いていたのではなかった。中学の頃だったと思う。梅棹忠夫の『知的生産の技術』という岩波新書を読んでその中に出てくるダヴィンチの手帳という話に感動して自分もダヴィンチのように常に手帳を持ち歩き気になること発見したことをメモっておこうと思ったのである。であるから、その手帳に書くことは毎日の日常の備忘録的なものであってはならず、ある画期的発見でなければならなかった。それは結構自分にとってプレッシャーであり、何らかの発見をしなければならないと朝から晩までモノを上から下から左から右から見るようになった。だから書こうと思っても毎日書けるものではなかった。その後就職して、もう発見ノートでなくともいいと思い、日記をつけようと始めたのだが、やはり癖が抜けない。所謂日記というものにならない。つい発見テーマについての文章という形式に知らず知らずになってしまう。すると逆に一日中今晩何を書くか考えるようになり、考えがまとまらないで夜を迎えると書くのに時間がかかっていた。
それがこのブログになったらあら不思議。別に朝から夜書くことを考えているわけではないのだが、時間がかからなくなった。ワープロなんだから当たり前と言えば当たり前かもしれない。数倍早く文章を記せ、かつ消せ、かつ入れ替えられるという安心感。何も考えずに書き始めても怖くないということだからかもしれない。
さてそうやって書く内容はやはりどこか日記ではなく30年前の癖を未だにひきづっている。何か題をつけないと文章を書いた気にならなくなってしまった(ダヴィンチとは言いませんが)。題のついた日記なんてあまりない。
裁量労働制
大学から裁量労働制運用指針(案)なるものが来る。裁量労働制とは大学の先生の仕事柄、一日の仕事の時間配分、仕事場所について個人の裁量権をある程度認めるというものである。つまり一般社会じゃフレックスと言っているものの更なる拡大版と言える。
大学に来る前は、大学なるものは、決められた授業と会議をこなせば後は全て自由な世界かと思っていたがそうではないことが分かった。問題は二つあって、一つは、まったく大学に来ない自宅研究型の先生への批判。もう一つは、一日24時間研究室にこもって働く先生の健康問題。この両極端を解消するには、自己裁量でやってもらうしかないというところなのだろう。しかし、そのためについにタイムカードの自己申告版も送られてきた。私のように民間に居た人間にはあまり抵抗がないのだが、ずっと大学で育ってきた先生(特に文系の人)は猛烈に抵抗するのだろうなあ。
大学の自治、教員の自由を束縛するものである。なんていう風に。昔、私の先輩で東大の文学部の助教授がぼやいていた「法学部なんてタイムカードがあるんだよ、変だよねえ」と。
難しい問題だけど、本当に優秀な人材を時間で縛るのはなんとも馬鹿馬鹿しい。一方でもうわけの分からん研究を野放しにしておくほど予算がない。とするなら、やはり、少数精鋭の自由な学問領域を作るしかないのかもしれない、入試倍率も激減してきているのだから、大学も淘汰されて、残ったところは自由な領域であるべきではないか。
斜めの床
大学内の就職相談コーナーを作るというので少しお手伝いすることになる。30㎡くらいの部屋を個人相談コーナーとして、100㎡くらいの談話室を多くの方に来てもらえるようなスペースにしようというもの。と言っても予算はほとんどないので、肝心要の家具も学内にあるものを探してくるところから始まる。そこで倉庫化している、使われていない旧い講堂に始めて入った。使われなくなった椅子やら机やらソファが並べられている。そこで発見したのだがこの講堂の床が斜めなのである。腐って床が落ちたかと思ったのだがそうではない。ステージから見て後ろ側の床がステージを見やすいように上がっているのである。講堂は後ろから入るから入ると前方に向かって下がっていることになる。なんとも愉快なつくりである。写真ではこんな講堂を見たことがあったような気がしたが、本物を見たのははじめてである。