Taku Sakaushi

Diary

Dの会

On June 5, 2009
by 卓 坂牛

午前中早稲田の講義。学生発表第2回。講義のテーマを元に街に出て写真を撮ってそのテーマを掘り下げて一人10分の発表。前回よりも面白いものが多くなった。前回はちょっと物足りない気がしたが、文化構想学部の学生であるし、2年生だと言うことを考慮すればやはりいい勘しているのかもしれない。昼飯をとって次のクライアントとの打ち合わせ。天津でサスティナブルシティの街づくりをしたいとのこと。大きさはと聞くと、23区より大きいとのこと。まあ僕には手に負えないが夏にミーティングに行くことを請け負う。中国がこれからどうなるかは読めないが、国は主要都市の体裁を崩すことはないようだ。事務所に戻り打ち合わせ。夜はとある食事会。日建時代の仕事のクライアントとゼネコンと今でも続いている食事会。会の名はDの会。プロジェクトの頭文字をとったものである。集まったのは某生保、某商社、某ゼネコンである。18年前の仕事だが、毎年何かしら理由をつけてはお会いしている。クライアントやゼネコンとその立場を越えて飲めるのは実に痛快である。彼らは今では設計本部長であったり、子会社の取締役であったり、引退したり、立場はいろいろである。しかし今ではそういう利害関係なしに勝手なことを言える仲である。その昔、ニューヨークのマリオットのバーで「責任をとれ」と怒鳴られた。ボストンのリッツカールトンのバーで2時まで机をたたきながら議論して追い出され、続きをとある人の部屋で飲みあかし彼の部屋の冷蔵庫の酒を全部飲んだ挙句、激論で彼にワインを浴びせ、怒りとどまらず彼のカメラを部屋から放り投げた記憶もある。とにかくこの人たちとの仕事は僕にとっては忘れられないものである。一生の仲であろう。2次会にも行きたかったが明日も早いのでこそっと抜け出し帰宅。

ショック

On June 4, 2009
by 卓 坂牛

最近学外の大学院入学希望者からのメールが続く。少しは信大の建築学科も知られてきたということだろうか。ポートフォリオを見ないと何とも言えないが、院の入試が競争的になるのは結構なこと。質もあがるのではなかろうか。午前中雑用をこなし、午後打ち合わせに行く。前回同様早く着いたので近くの公園ベンチで図面を見ていたら法的に間違っているところを発見した。ショック。クライアントには正直に間違いを言いながらその場で新たなプランを書いて見せたものの、ちょっと恥ずかしい。こんなことは初めてである。
昨晩ベッドで古荘純一『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』光文社新書2009を読み始めた。事務所に戻る電車で続きを読む。タイトル通り、日本の子供は自尊感情が低いとのこと。その主たる原因は大人によるこどもの人格neglectのようである。ではその対処は?こどもの言うなりに甘やかせばいいというものではもちろんない。こどもをいい加減に扱わないということのようである。これを読みながら、昨日の「コロニアル問題」が頭をよぎる。スピヴァクの言う「戦略的本質主義」なる不平等解消の方法を思い出す。それは相手も自分も同じ人間であるという本質を再認識するという忘れかけた当たり前のことである。発展途上国の貧困層であれ、訳の分からぬこどもであれ相手は自分と同じ「人」であることを思いおこすこと。そして彼らとがっぷり四つに組んでやること。これが基本なのであろう。僕のような母子家庭寸前の家でも、短い時間とはいえしっかり相手の言うことを聞いてやると、こどもは溌剌とした表情を見せるものである。オヤジとして落第生であろうとも、できる限りのことはしなければならない。
こんな力んだ気分の時に限って遅く帰ったオヤジにタイミングよく娘が相談事をしに来たりする。うっ。ゆっくりビール飲んで新聞でも読もうと思っていたが諦めて話始めると1時になってしまった。

信州サーモン

On June 3, 2009
by 卓 坂牛

午前中小諸プロジェクトの打ち合わせ。おお!分析資料が実に良いできになってきた。この資料は街の観光案内所にでも置いてもらうような「街の味わい方ガイド」のようなしつらえにしている。ウマヘタパースなど入ってユーモラスな雰囲気である。一方建築デザインはなかなかまだ悩ましい。考えている途中で時間切れ昼。今日は午後の製図エスキスを終わらしてすぐに帰ろうと思っていたが、製図室に戻り模型を見ながらスケッチ再開。担当の院生にそれを渡し模型作成の指示をする。
長野駅で初めて見る「信州サーモン」弁当というのを買って夕方のアサマに乗る。信州でサーモンって採れるのだろうか?まあ理屈はともあれ、味はというとこれが結構うまい。脂がのっていてとろけるようである。1000円は高いが、やたら高い駅弁が多い中、まあ納得のいく駅弁である。
車中『ポストコロニアリズム』の続きを読む。インド生まれでアメリカで教えるスピヴァクの紹介がされている。その彼女の思考の集大成が『ポストコロニアリズム理性批判』なる本らしいのだが、そのポイントの一つとしてこんなことが挙げられている。昨今のポストコロニアリズム理論はスピヴァク自らを筆頭に、ポストコロニアルな主体(=脱植民者)がコロニアルな主体(=被植民者)の情報を提供をしている。サイードの『オリエンタリズム』ではこの情報提供者はあくまで植民地宗主国の知識人であったことに比べ一歩踏み込んだ観察である。さらにこのポストコロニアルな主体は現地生まれであるから植民地文化をよりよく知っているという危ない思い込みに流れる傾向を持っていると指摘する。なるほど世界のグローバル化とはこうした情報発信の輻輳化をも生み出すわけである。
事務所にたどり着く寸前で足を挫いた。癖になっている左足首である。あまりの痛さに事務所の床に倒れる。キッチンから出てきたYさんの「わっ!!」と驚く声が頭の上を通過する。

講評会

On June 3, 2009
by 卓 坂牛

朝9時から製図の採点をして午後の講評会の発表者上位30名を選ぶ。20人くらいは毎度あっさり決まるのだがそこからはどんぐりの背比べである。10時からゼミ。12時前に終えて急いで昼食。今日の講評会のゲストクリティーク城戸崎和佐氏から電話。課題の敷地にいるとのこと。なんと敷地を見てから来てくれた人は初めてである。感謝。12時半から彼女のショートスライドレクチャ。アーティストとのコラボワークと彼女の自邸を舞台にした30分の映画を見せて頂いた。名前は知らないが有名な俳優が3人も出ている。「いい建築を作ると有名人が集まる」とのこと。彼女らしい発言である。1時半から講評会。実力伯仲のいい作品が多い。上位5名くらいは彼女とほぼ同じ。その中からそれぞれの賞と佳作を選ぶ。毎回思うがゲストを呼ぶ楽しさは彼らが何を評価するかその評価基準を聞くこと。彼女とは学生のころからの仲だが、その好みは変わらないことが良く分かった。なるほどね。終わって打ち上げ。最終のアサマで彼女を見送る。昨日あまり寝ていないせいか今日はふらふら。

ポスコロ的建築態度とは?

On June 1, 2009
by 卓 坂牛

午前中角窓の家に行く。不具合のチェック。打ち放シリコン塗装は今のところかなりきれいである。庭は奥さんが手入れしてどんどん良くなっている。室内もとてもきれい。ありがたいことだ。午後事務所に戻りプロジェクトの打ち合わせ。粘っこく打ち合わせしたいのだが、どうもこちらのanticipationにはまらない、、、、、、。夕方南洋堂へ向かう。建築ラジオなるものの収録。テーマはコールハース。パネラーは柄沢さん、勝也さん、南後さん、僕。コメンテーターは堀井さん。司会は松田さん。南さんと五十嵐さんと山田さんが企画者側として聞いている。こうやって話すと、ああこの人こういう人なのねということがよく分かる。柄沢さんは会ったことはあったがゆっくり話したのは初めて。「コールハースの空間図式」について語る。彼はどんどん建築を現代思想に関連付けていく。そのうち抽象化された概念が一人歩きし建築が見えなくなる。勝也さんのテーマは「批評性からスクリプトへ」。ヨーロッパ時代とアメリカ進出後を比較したタイトルだ。南後さんはよくお会いする。シチュアショニストの専門家なので今回も「シチュアショニストを編集するコールハース」というテーマ。垂直性と水平性というキーワードに司会の松田さんが反応。それを堀井さんが、「コールハースは自分を煙に巻く種をあちこちに蒔いているのであってそれにひっかかってはいけない」と諫める。松田さんはそうは言ってもという感じで徹底してコールハースを抽象化した概念で串刺しにしたいようである。僕は煙もコールハースだからそれを全部引っ剥がす必要はないと思うが、その煙を建築と別次元でまくし立てても無意味だと思う。最後は僕のテーマで「コールハースとスペクタクル」について語り皆の意見を聞く。南後さんには特にコールハースはシチュアショニストから何を得たのかを聞きたかったが、皆が話を自分の領域に引き込むので議論にならない。時間も少ないしまあ仕方ないか。終わって急いで東京駅へ最終のアサマに飛び乗る。車中、本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波新書2005を読む。本当は今日のラジオの前に読もうと思っていたのだが、読む暇がなかった。この本はコロニアリズムの原点として、コロンブスの話から始まる。そして植民地化の原則としての国語の重視、新たな土地で国語を強要するレケリミエント(催告文)という文章、征服者の言葉をしゃべらない人間の罰などが続く。これを読みながら、一昨日の中国での完成検査を思い出した。この仕事では徹頭徹尾中国との文化ギャップを感じてきた。そして振り返ってみれば、われわれは常に日本のやっていることが正しく、日本の水準が上であるということを疑わなかった。しかしこのレキリミエントを読みながら、もしかするとわれわれの行為もこれに近いのかもと頭をかすめた。日本の価値基準(言葉)を前提として、その言葉を話さない中国施工者は我々に服従する意思がないものとして罰せよと思っていたのでは?検査前にcctvの現場状況をユリイカで読み自分の現場と同様であることに勇気づけられ、圧倒的に自分たちの正しさを疑わなかったのでは?ペンキの塗り方にむらがあってもプラスターボードがまっすぐ張れなくてもそれが何か問題だろうか?と疑問を持つことは無かった。契約上の行為だから違法性があるわけではもちろんないもののこれでよかったのだろうか?と少し考えてしまう。しかしでは我々は中国の言葉を語ることがポストコロニアリズム的な建築行為だったのだろうか?コールハースのやっていることは間違いなのだろうか?そこまで言わずとも、そもそも日本や欧米の技術を前提にして設計していることが間違いだったのだろうか?確かにラオスで小学校建設の手伝いをした時は、彼らに何が作れるかから考え始めていたのだから。少々考えるのに時間がかかりそうである。

東京はひどい雨

On May 31, 2009
by 卓 坂牛

7時に劉さんの車に乗る。プードンまで院の講義「言葉と建築」のコメントを読みその感想を打ち込む。車は立派なのだが、道が悪く振動が激しい。僕のコンピューターは振動が大きくなるとハードディスクが自動的に止まる。打ち込み途中で頻繁に入力がとまる。8時過ぎにプードンへ。少し買い物をして10時に乗機。機中、マーク・ウィグリーの「量の歴史を目指して」を読む。建築を量の歴史で語ろうというもの。建築理論それ自体が余剰を支配する歴史。確かに経済的にも見た目にも余剰は表現の基本原理である。しかし建築家像の始まりであるアルベルティは建築の代わりにドローイングという建築の非存在をあみだし。つまり建築家は殆ど無価値なことをすることを約束することで建築家になったというわけである。アルベルティの美の定義である、何も加えられず、何も取り除けない状態が示唆する通り、建築家のゴールとは不足も過剰も避けることにあり、モダニストは量の計算を正当化し、データーとチャートの論証法を強調した。さに彼らの夢はエンジニアとアーティストの合体。フラーが前者、ミースが後者を体現した。そしてミース以来、量と表現性(芸術性)の関係は簡単な言葉に表されるようになる。ミースのless is more, ヴェンチューリの Less is not more, less is a boreコールハースのmore and more is moreなどである。しかし結局、少ない多いはもはや表現の実態として差がなくなっており「ほとんど無い」ということが「ほとんどすべての実質」に再びなるであろうと予言して終わる。つまり表現の根源に余剰は不可欠としてもその表れが必ずしも余剰でなくとも良いというわけである。むしろデコン支援者であったマーク・ウィグリーがミニマリズム応援であるかのように読めるのだが、、、東京はかなりの雨である。成田からリムジンで東京へ、帰宅後溜まったメールチェック。

完成検査#2

On May 30, 2009
by 卓 坂牛

朝8時にクライアントの部屋で今日の作戦会議。工期の遅れと直らないダメ工事にどう対処するかを話し合う。現場に移り、10時から夕方6時まで100カ所位のチェックを行う。ほとんどが塗装とシールと疵である。まあ日本の現場と変わらないのかもしれないのだが、とにかく現場が汚い。完成検査の時は現場はぴかぴかなものだろうがここはどろどろである。おかげで服はもう埃だらけ。こちらは汚れないものと予想してたいして替えも持ってきていないのに、、、、とほほである。最後は結局日本と中国の文化の差ということになってしまうのだが、それでは検査の意味もない。一流の所長になりたければもっと上をめざせというような教育的指導でとにかく直させることを約束させる。中国はこんなことずっとやっていていいのだろうか?世界の文化の発祥地はもっと誇りをもってモノづくりをして欲しいものだ。終わってクライアントに誘われ羊料理を食べ、ドイツ人町でビールを飲

さらに新たなるラオコーンに向けて

On May 29, 2009
by 卓 坂牛

今日はひどい雨。早稲田に出かけるのについタクシーに乗る。講義の後ミルクスタンドでパンを頬張り事務所に戻る。新しいエスキス模型を前に打ち合わせ、相変わらず難しい。5つくらいのビルディングタイプを同じリズムで作るのはなかなかの難問。終わって急いで東京駅へ。3時半の成田イクスプレスに乗る予定だったが着いたらなんと成田方面が大幅に遅れ。この大雨が原因かと思い気や電車の故障だとか。天災ならまだ許せるが列車の故障とは、、、とほほ。乗る予定の列車は運休。予約をキャンセルしなければならないのだがon lineも故障だとか。とにかく日暮里に回りスカイライナーで成田へ。なんとか50分前に着いて滑り込む。今日はANA。いつものCHINA AIRとは違い快適だし機内食が美味しい。機内でアンソニービドラーの「建築の拡張された領域」(Anthony vidler ed. Architecture between spectacle and use 所収)を読む。レッシングの『ラオコーン』に始まり、グリーンバーグの「新たなるラオコーンに向けて」を踏まえしかし建築の領域は曖昧という認識の上でヴィドラーなりの建築の特質分析が展開される。その中でヴィドラーはクラウスの「彫刻の拡張する領域」を引きながら本来歴史や場所のモニュメントとして存在していた彫刻が領域を拡張してノマドな状態となり、さらには場所性を保持した非彫刻的なものへと展開したこと。加えてそうした非彫刻がaxiomatic structure(原理的構造)を生み出したことをあげそれが建築と彫刻の共有領域を生むことになったのではないかと指摘する。そうした彫刻の建築への侵入という歴史的経緯を踏まえヴィドラーは現在の建築領域に見られる4つの原理を示す。1)ランドスケープの概念、2)生物学の類比、3)プログラムの新たなコンセプト、4)建築固有の形態探索。更にこれらが(特に4が)コンピューター技術の進歩により飛躍的に前進し、そして、この技術が下手をすると唯のフォルマリスト支援の悪しき道具の如く断罪されるのだが、うまく使えばモダニズムが生み出した様々な問題解決の糸口ともなるであろうことを指摘する。そしてクラウスの指摘した「彫刻の拡張領域」が「建築の拡張領域」を用意し、このオーバーラップした建築と彫刻の共有領域がそれぞれの領域の境界を曖昧にしたり取り除いたりするのではなくむしろ真にエコロジカルな美学を生み出す新たなヴァージョンを作り上げるのではないかと結ぶのである。
最後の結論に至る論理展開は論理としてはあまり説得力がないし、建築が寄与するところは何も「エコロジカル」な美学だなんて妙に倫理的である必然性はないと思うのだが(ヴィドラーは結構真面目な批評家なんだ)、直観的には腑に落ちる。その理由はよく考えないと。プードンに着くと。防菌服とゴーグルで完全武装した検疫官が乗り込んできて赤外線温度探知機のようなものを額にあて乗客全員の体温を計って降りて行った。今日は遅いので白タクでプードンからタイソウに向かう。夜は高速が空いている。1時間ちょっとでホテルに着いた。

携帯

On May 28, 2009
by 卓 坂牛

ついに壊れた携帯の機種変更をしにsoftbankへ。iphoneにしようかと思ったが、おしりのポケットにいれるには少し大きいのでsamsungの小さい機種にした。cpuを持ち歩く身にはもう一台小さなcpuはいらないような。もう少しすごいのがでたらまた考えよう。会計士さんから決算の質問がメールされる。面倒くさいので電話する。最小限の質問に応え「後は社長に聞いて」と言い残し、電話を切る。二つのプロジェクトの打ち合わせをしてから蔵前に横溝さんのやった集合住宅を見に行く。なかなか面白い。事務所に戻りユリイカコールハース特集を読む。コールハースを語るのは苦痛以外の何物でもないという南さんの文章に笑った。なるほどね。その気持ちは分からないではない。今更なにをとは僕も思う。

景観賞ツアー

On May 27, 2009
by 卓 坂牛

2時間仮眠。寝坊せずに市役所へ。マイクロバスで昨年の景観賞建物の見学ツアーに行く。役所が参加者を募って年2回やっている。去年から審査している手前、解説を頼まれている。解説と言っても建築好きの市民の方と(大方お年寄りである)建築雑談しながらのどかな散歩という感じである。「先生は長野は長いのですか?」と聞かれ「やあ、長野県信の設計をしていた95年くらいからです」と言うと「あの建物は素晴らしい、それまでは長野には箱しかなかったけんど、それとは違いすごい建物ができたとびっくりした」と褒められた。社交辞令とはいえども、ほっとした。
昼に大学に戻る。昼食をとると寝そうなのでそのまま製図のエスキス。「ほれほれそろそろ形を作らないと終わらないぞ!!」とはっぱをかける。終わって駅で飯をしっかり食べ新幹線で爆睡。丸善で本を物色宅配。事務所へ。ユリイカコールハース特集が届いていた。ペラペラめくると著者は全員知った方たち。こういうことも珍しい。Wプロジェクトの打ち合わせ。台形敷地は天空率で高さを稼ぐのには不利であることがよく分かった。でも敢えて使うか、使わないか?2案作るしかないようだが。

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