Taku Sakaushi

Diary

プロジェクトに追われ

On May 27, 2009
by 卓 坂牛

午前中はゼミ。今年からA君の提案でゼミ前に5~6人ずつ「毎週の発見」というのをやっている。写真に発見をまとめプロジェクターで映し一人1分半話、2分意見。このくらいだと見せる方も意見する方も気楽。雑談のようで楽しい。午後来るべき研究生が来ないので日影図と睨めっこ。3時頃から小諸プロジェクトの打ち合わせ。2時間くらいべたーっと設計を悩もうと思っていたのに、調査分析資料のチェックをしていたら5時半。担当は他の研究室の学生なので力のほどが分からない。どの程度の指示をしたら何が出てくるのか?と思って1か月。なかなか思ったようにはいかない。しびれを切らした助教のHさんがだいぶ喝を入れてくれたのだが、喝でできるなら苦労しない。〆切も迫っているのでいいかどうか分からないが、目次とコンテを一緒に作る。まあこれでやらなきゃ選手交代だな。
夜は読みかけの本を読みながら事務所からのメールを待つ。明日甲府市役所に持っていく図面を見る。うー法的にはクリアできているのだろうがちょっと固い。Wプロジェクトの日影、天空を見る。厳しいけれどこれだから可能なかたちがありそうだ。なるほど、法律は必要悪ではない。スケッチを始めたら中国から日報の写真がメールされる。いやはやまだ塗装している。一体週末完成検査できる状態なの?とメールしたら即長文の返答がナカジから。すったもんだの中国現場の状況が手に取るように分かる。彼には文才がある。反論のしようもなく「行きます」と返答。製図の〆切が近いのか部屋の外がやたら騒がしく夜が更けるのを忘れスケッチ。おっと気づいたら明るい。まずい明日は市役所主催の景観賞ツアーの引率。これから寝て起きられるだろうか???

電子メディアは主体を置き去りにしたか?

On May 25, 2009
by 卓 坂牛

午前中研究室でゼミ本である大澤真幸の『電子メディア論』を再読。昼食後講義を挟みゼミ。話は結構込み入っている。マークポスターの『情報様式論』を手本に更に徹底した突っ込みでロジカルに組み上げられた本なのだがどうしても府に落ちない点がある。近代人が主体性を獲得するためには超越的選択においても主体がそれを支配せねばならないことを前提にしておきながら、それを哲学的な(カント的な)統覚に置き換えたところで、主体は二つの他者との弁証法的な関係の中で確立すると言い換える点である。超越的選択を主体が行うのであれば、超越的他者の他者性はあやふやなものになってしまうと僕は思うのだが?僕の読みが間違っているのか、それとも著者はそれを承知で作為的にこうした二重のロジックを並走させているのか???とりあえずその疑問は置いておいて、結論的な内容である電子メディア環境での主体の脆弱な基盤は果たして原理的なものなのか?過渡期の人間の不慣れによるものなのか僕にはまだよくわからない。子供を見ていると電子機器に向かう時と、アナログメディア(本)に向かう時ではどうも脳みそのチャンネルが切り替わっているように見えるからである。電子メディアを小学校から習う世代と言うものはもはやそれを生活の一つのツール(僕らにとっての電卓など)程度にしか思っていないように思えるのだが。
輪読の後即日設計。1時間半で住吉の長屋の敷地に僕の家を設計してもらった。なかなか面白い。またやろう。
夕食後、多木さんの本の最後の論考であるコールハースに関する部分を読む。いやー褒めてんだかけなしてんだか、勝手にしろと言う感じがよく出ている文章である。タイトルがいい「波を上手く捉えるサーファー レム・コールハースの疾走」である。読みながら事務所から送られる図面やら、日影チェックやら、天空率チェックに目を通す。うーんなんだか不思議なものばかり送られてくる。どうして?と口をつくのだが、、、、、ネットチェックはストレスがたまる。

作ることと、伝わること

On May 24, 2009
by 卓 坂牛

朝、講義のホームページに書き込まれた小レポートを読む。今年はコメントが良い。良いのでコメントしコメントするから学生も応答する。良い循環である。今回の質問は建築家の観念は見る者に伝わるかというようなこと。昨日から読んでいた多木浩二『表象の多面体』青土社2009にそれにかかわる言及があった。それはキーファーの近作である「七つの天の宮殿」というコンクリートで作られた廃墟のような七つのタワーがコルビュジエのラトゥーレットから受けた感動をきっかけに生まれたという話である。ここでキーファーはコンクリートが砂という大地の象徴から生まれ、それを使ったコルは精神的空間を創りあげたと受け取っている。しかしそれはコルの意図をはるかに上回る解釈である。つまりこの話が示唆するところは、建築家の観念が見る者に正確に伝わるルートは残念ながら用意されていないということである。もちろん建築でなければ話は違う。たとえばこの本の後に出てくるマリオ・ジャコメッリの写真などは見る者の多くを悲しみや空虚の感情に導くだろう。そして写真家がそれを意識していただろうことはその写真の表題から想像される。こうした一致がありうるのはそれが写真であるということにも増してその対象が人であることに多く起因している。
午後A0勉強会。今日は担当者が荒訳を作って来なかったので、われわれの班はその場で訳を作るはめに。これは結構しんどい作業。1時から始め5時半でダウン。いつも頭を使ってないのだろうか?終わったらへとへとになった。家に帰ってソファに雑巾のようにもたれかかり動けなくなった。風呂に入ったら少し元気が出たのだが。上がろうと思ったら排水口が詰まっていることに気付く。よりによってこんな日に。近所の薬屋でパイプスルーを買い流し込んだが埒が明かない。管理人室でヴァキュームを借りて排水口に何度も押し当てやっと開通。必死だったせいか体に血が回り少し元気が回復した。明日にしようと思っていたが今晩長野に出かけることにする。車中多木さんの本の続きを読む。ジャコメッリの写真は実に魅力的である。この本には小さな写真しか載っていないのだがこの空虚感はたまらない。大きいのを見てみたい。

spectacle

On May 23, 2009
by 卓 坂牛

切通利作の『情緒論』の中で岡崎京子が語られている。懐かしくなり本棚の奥の方から数冊出してきてぺらぺらめくる。「岡崎京子の漫画は情景を人物の感情のクライマックスに対応させない」と書かれている。そう言えばそうかもしれない。登場人物の語りはあくまで単なる一つのストーリー。それとは違う何万通りもの世界がそこにはあるということがビジュアルで並行して表現されているようにも見えてくる。。それが――世界をそのまま見るということ――というこの本の副題にもつながっているのだろうか?
午後事務所で来週の建築ラジオで語る内容を考える。以前買って積んでおいたAnthony Vidler ed. `Architecture between spectacle and use` Clark Art Institute 2008 に目を通した。ラジオのテーマはコールハースだが、コールハースの何を語ってももう語り尽くされている感がある。こうなったら正攻法である。コールハースのスペクタクルをどう考えるか?この本の序文でヴィドラーはギードボールによるスペクタクルの定義‘capital accumulated to the point where it becomes image`を反転し、‘image accumulated to the point where it becomes capital`とし、今や多くの建築家にこの言葉があてはまると言うわけである。もちろんその中にコールハースもいる。さて金融資本が世界を瞬時に駆け巡る21世紀のグローバル資本主義が躓きを見せた昨今、世界のスペクタクル建築はどうなるのだろうか?資本主義シニシズムと言われるコールハースの建築あるいはもっと一般的にスペクタクル建築家は何を求めてさまようのか考えてみるのも悪くない。因みにこんなテーマの本が出たのは、ハル・フォスターがビルバオを批判したことに端を発しているそうだ。
一段落して甲府プロジェクトの打ち合わせ。先に模型でイメージを作りそれを図面化。当然だが模型はいい加減に作っているから面積が合わない。2割オーバー。棟数が多いので担当者も悪戦苦闘である。

究極のワンルーム

On May 22, 2009
by 卓 坂牛

午前中早稲田の講義。終わって早稲田界隈の不動産屋を覗く。このあたりの家賃相場調査。ワンルームマンションの最低面積はいかに?10.96㎡で6.8万なんてのがある。早稲田プロジェクトは学生用のワンルーム集住なのだがいかに小さな部屋に人間は住めるかがテーマである。事務所に戻りそんな手を伸ばせば両側の壁に手が届きそうなウナギの寝床のスケッチを開始。間口寸法はどこまで小さくしてよいのだろうか?考えていてもらちがあかない。それはもはや建築学の問題ではない。心理学の問題である。

立ち飲み屋

On May 22, 2009
by 卓 坂牛

午前中事務所で打ち合わせ。午後クライアント宅に打ち合わせに行く。場所は門前仲町。地下鉄の駅から川を暗渠にした公園を通っていく。少し早く着いたので公園のベンチで時間を潰す。このベンチからクライアント宅が見えるのだが、クライアントとそのお母さんが家の前にたくさんの鉢を出して水をやっているのが見えた。なんとも下町っぽい。打合せが終わり、日本橋から新橋に出て人と会う。新橋の立ち飲み屋に連れて行ってもらう。8畳くらいの狭いスペースに15人くらいが満員電車の如くひしめき合っている。立ち飲み屋と言うとただ飲む場所かと思いきや料理がうまい。魚がうまい。9時からイタリアンを予約しているのでと言われ、そこを出て2軒目に連れていかれる。なんとここもイタリアンの立ち飲み屋であった。流石に足が疲れたので困ったと思ったら奥に少しだけテーブルがあった。聞くともう少し先ににフレンチの立ち飲み屋もあるそうで、3軒とも同じ経営者だとか。凄く流行っている。

湿っている

On May 21, 2009
by 卓 坂牛

午前中補講、午後製図。四年の製図の中間発表。夕方設計プロジェクトの打ち合わせ。だんだん難しい局面になってきた。捨てた案を復活させるべきか?終わって21時のアサマに乗る。車中切通利作『情緒論』春秋社2007を読み始めたと思ったら眠りに落ちた。途中何度か目が覚めたがまた眠り,気が付いたら東京。こんなこともある。それほど疲れていたわけでもないのだが。先週の土曜日から久しく東京をあけていた。出かけた日は寒い日だっが戻ってきたら空気が生温く湿っている。外堀の水が蒸発して四谷に充満しているようだ。

政府の景気対策とは?

On May 19, 2009
by 卓 坂牛

午前中某市の建築部長とお会いする。市の活性化をかけた一大改革の話を聞く。市庁舎、病院の移転。駅の改築、図書館併設。どうしてこの時期にそんな話が持ち上がるのかというと、政府が発動した景気対策の資金が地方へかなりの額回るからであり、この資金を元手にということらしい。そしてそれに乗り遅れればもはやこの市の再建は不可能と言う勢いであった。もちろんそれを基礎にという話は分かる。しかし、町づくりのヴィジョンもなく、生活の提案もなく、不要かもしれないが、マスタープランもない状態で単体の建築を作らざるを得ないという焦りだけが見て取れる。政府のバラマキ資金が経済復興だけを目的に短期的な視野で行われている姿が実感される。まさに昨日の本の感想を今日裏付けたようなもの。地方の価値を具現化するのには時間がかかるはずなのに、とりあえず在任期間にできることをやろうという発想が気に入らない。そうした発想で地方が本当に豊かに(文化的にも)なるとは思いにくい。地方自治の構造的改革が必要と思われる。地域の大学にいる以上できる限りのことはしたいとは思うのだが、、、末永くお付き合いすることを約束しお暇する。午後の製図を終え夜は研究生T君の実家設計のアドバイス。今日は模型がたくさんある。案は少しずつ面白くなってきている。やはり院を出ると一皮むけるのかもしれない。修了後すぐ自分の設計ができるのは羨ましい限りではあるが、若いころの設計は自分の原風景になり一生つきまとうものだからそれなりに心してかからなければならない。終わって中国の事務所に勤めたK君の一時帰国を祝い研究室の皆で夕食。軽く一杯。中国事情は知っているつもりだが、いろいろまた楽しい上海の話を聞く。

地方の矜持

On May 18, 2009
by 卓 坂牛

会議、講義、会議、ゼミ。夕食後、『グローカリゼーション』の続きを読む。岩井美佐紀「東南アジアのグローカリゼーション」の中にこんな文章がある「グローカリゼーションとはまさに多元的価値の共存をめざす地球規模の模索である」この言葉に異論はない。しかし問題はその多元的価値が逆に世界に(とは言わないまでも少なくとも国内広汎に)通用するものでなければなるまい。そして価値が通用するかどうかはその価値の本質に加えてその価値のプロモーションにかかわるものと思われる。しかるにそのプロモーションは誰がやるのだろうか?行政か?市民か?npoか?
又そうした価値を維持していく姿勢としてこんな言葉も見られる。「グローバル化に対する反発から、ナショナリズムや伝統回帰などの非合理的な感情論に絡み取られることなく、ローカルな生活基盤に根ざしながら常に進化していく意識が共有されなければならない」この言葉にも異論はない。ただし、ここで言う「進化」を可能たらしめるためには経済的、文化的自律が不可欠と思われる。そして日本に即して考えるなら現状のネオリベラリズム的競争政策はこの自律を促すどころか挫折への道を用意するのみである。確実に地方には地方の価値が存在するのだが、その価値を誇りを持って主張する余裕がないのが現状だ。明日の食扶持に追われている。地方の行政や経済団体の様子を垣間見るにつけ感じるところである。彼らが多様な価値を再認識しそれを維持する矜持を与えるのが国の役割ではなかろうか?その昔とある間抜けな首相が地方に金をばらまいたがそういうイベント的発想ではなにも生まれない。価値を誇り、プロモーションし外に通用するものを作るには時間がかかる。長いヴィジョンを持った国政は次期政権に期待できるだろうか?

地方で考える

On May 17, 2009
by 卓 坂牛

朝の電車で甲府へ向かう。ゼミ本である『studio voice』2006年12月号「90年代カルチャー特集」を読む。だいぶ前からかなり時間をかけて読んでいるのだが、次から次に登場する固有名詞の群れになかなか進まない。その上このvoiceは字が小さくて、赤い字だったり黒字だったりするもんだからひどく読みにくい。しかし、若い女流写真家、j文学、dtpグラフィックなどと馴染みのある分野が出てくると、ああ90年代はこれだったなあと思いだしながら最近のこととは言え妙に懐かしい。松本であずさに乗り換え甲府に11時に着く。駅の脇にある城址に登り市内を見渡す。先ほどプラットフォームからは巨大に見えた丹下さんの山梨文化会館もここからだと空しく小さい。丹下さんのこのころの建物は大きく見えないと価値が半減する。城址の芝生広場に大の字に寝っ転がって空を見ているうちに睡魔に襲われる。久しぶりの幸福感。雨粒が顔にあたり目が覚めた。その昔ラショードフォンへコルビュジエを見に行きワインとパンでいい気分になり駅前の芝生で寝ていた時も雨が降って目が覚めた。
駅で昼をとり、さあクライアントのところへ向かおうとしたら携帯の着信履歴にクライアント名前を発見。あわてて電話をすると急性胆のう炎で入院したので病院に来てほしいとのこと。敷地で東京から来ていたスタッフのYさんと会い、関係者の車で病院に向かう。午前中手術をした体なのに3時間こちらのプレゼンをしっかりと聞いてくれた。最初のプレゼンだし、分からないことだらけの施設であることを考えるとまあまあの収穫か?しかしまだ五里霧中である。
駅前カフェで電車の時刻までYさんと打ち合わせ。彼女は東京へ僕は長野へ向かう。車中神田外語大学国際社会研究所編『グローカリゼーション―国際社会の新潮流』神田外語大学出版局2009を読む。グローバリゼーションは90年代からの異常な世界変動だけではなく近世以来、そして20世紀にはいり加速度的に進んできた事象であることを再認識。特に日本の建築においては、90年代グローバリゼーションの2大要因と言われる東西冷戦の終焉とIT情報革命からドラスティックな影響を受けているとは思いにくい、やはりモダニズムに端を発するインターナショナルスタイルの残滓が未だにゆっくりとしかし確実に全国を犯している。それはグローバリゼーションと言うよりはナショナルイコーライゼーションである。建築デザインがグローバル化しているなんて言うのは東京の一角ぐらいの話、日本のほとんどの都市で起こっていることは未だに100年前のモダニズムである。さてグローバライゼーションと言えば、大国があるいは大企業が自らの戦略をグローバル市場に浸透させることだと言われてきたが、経営論においてはそれが変化してきているらしい。それは少数国に集中する知識やノウハウが世界規模で流動化し地方化し顕在化する。それを少数国はその顕在化した知識ノウハウを資源として学習して進化すると言うものである。そんな理屈が現実的かどうかはおいておき、日本での建築に即して考えるなら、少数事務所やゼネコンの知識とノウハウを日本中に浸透させるのではなく、その知識が地方に流動化し地方なりの味付けの元に顕在化したそれを再度学習し進化させるということになるのであろう。言うは易し、行うは難し。いったい地方に顕在化する知識やノウハウとは何なのか、甲府でそんなものを見つけられるだろうか?いくつか地方都市でものを作る可能性が出てきた今イコーライゼーションは前景化してきた。

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