Taku Sakaushi

Diary

川越散歩

On May 6, 2009
by 卓 坂牛

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質素なゴールデンウィークだった。事務所と家の往復。最終日くらいは家族とどこかに行こうとあけておいたら雨が降った。仕方ないので映画でもと思ったが、一日時間がとれるのだからやはりもう少し遠くへ行こうと思い、協議の結果川越へ。副都心線ができたおかげで一つのりかえれば行ける。電車に揺られ小一時間。雨なのに凄い人だった。来るのは初めてだが写真は結構見たことがある。その昔景観法ができた時雑誌の原稿を書くために集めた資料に景観コントロールがうまくできた町として川越はよく登場していた。川越市役所では、景観に携わる担当者は部署変えをさせずに景観を見る目をもったプロに育て上げると記してあったように記憶する。そのせいかどうかわからないが、歴史的保存に加え、こんな新しい建物も許容している。

競争、評価

On May 6, 2009
by 卓 坂牛

ジョギングから戻り、朝食をとりながらNHKの連続ドラマ「ハゲタカ」を見た。外資系の投資会社対日本企業の戦いである。攻撃のターゲットとなっている日本企業の体質を聞くとその昔アメリカで受けた、とある講義を思い出す。それはアメリカの企業を説明する授業で比較対象として日本の企業体質が説明された。「終身雇用」、「年功序列」、「家族主義」が珍しい生き物でも見るかのように語られた。日本人学生は説明を求められたりもした。そのころ僕は日本体質が旧態依然なものと映り、好みではなかったのだがアメリカの友人の何割かはこの日本の習慣を絶賛していた。
その後会社に入り組合活動を通して能力給の積極的な導入や分社化などを提案した。幹部の中には働かない人は減らすべきだという意見さえあった。まるで組合と経営陣が逆転していた。
バブル時代、一時日本体質は追い風だったが、バブル崩壊を契機に政治的な後押しもありそれは嫌悪されアメリカ基準が浸透し始めた。自己責任、能力尊重の時代である。われわれが考えたことがどんどん現実化し始めた。しかし、それはある限度を超えて進み、かつ企業のみならず教育現場にも浸透した。
それは学校同士あるいは教員同士の競争というかたちをとる。そんな競争は教員評価制度を生み、能力、業績給与につながる。民間企業なら十年以上前から始まったことだが、教育現場では最近の話。われわれの大学では一昨年から始まった。そんな実態が刈谷剛彦 他により『教員評価』岩波ブックレット2009という冊子にまとめられている。
評価には評価の基準が必要である。しかしいったいそういう基準は普遍的に存在するのだろうか?そしてそうした基準の遂行は外から見ていて認識可能なものだろうか?アンケート調査によると、大方の教員の答えは普遍的な価値が存在するがそれは外から認識できるものではないというものだった。こうした評価観のずれが存在すると評価はなかなかうまくいかない。このアンケートは小中高の教員になされたものである。これに対して大学での評価は、(少なくとも我々の大学では)「教員に求められる普遍的価値」は掲げられていない。極めて定量的に業績を申告するものである。その意味では客観的で文句の出しようがない。しかし逆に言えば、ひどい論文でも、良い論文でも一個は一個というドライな評価を生み出すことになる。
評価制度はある程度必要なものだろうとは思うものの、これでいいと思うものに出会ったことはない。

武家屋敷

On May 4, 2009
by 卓 坂牛

都内の大きな公園、大学、ホテルなどは武家屋敷の跡地に作られた。東大は加賀藩前田家、日比谷公園は佐賀藩鍋島家である。四谷近辺も武家屋敷だらけである。このあたりは敷地に歴史表示が丁寧に出ている。ジョギングしながらそれらを見ると江戸がしのばれる。四谷駅のそばにある赤坂離宮は紀伊藩徳川家。四谷駅を越えたところにある上智大学は尾張藩徳川家。四谷駅を越えていつもは上智を過ぎたあたりを左折して一番町の方に行くのだが、今日は右折して赤坂方面へ下る。赤坂プリンスホテルとホテルニュー大谷の間を走る。赤プリは紀伊徳川家。ニュー大谷は彦根藩井伊家の跡地である。徳川御三家の二つがこのあたりにあったわけだ(因みにもう一つの水戸藩は小石川後楽園一帯である)。このあたりの住所は紀尾井町、その名前の由来は紀伊藩、尾張藩、井伊家から一文字ずつ取ってできている。午後事務所でスケッチ。夜読書。

憲法記念日

On May 3, 2009
by 卓 坂牛

s.j.グールド鈴木善次、森脇靖子『人間の測りまちがい(下)』河出文庫2008を読む。知能指数の話が延々と続く。一日家にいて娘と勉強したり、会計処理しているかみさんの質問に答えたり、気ままに過ごす。夜皆で近所の中華料理を食べに出たら四谷に引っ越してきた大学の先輩のYさんにお会いした。方南町に住んでいたころは高円寺のあたりに住まわれていた。僕が四谷に引っ越したら後を追うようにこちらに移動してきた。またゆっくりお会いすることを約束して別れる。
今日は憲法記念日だがテレビをつけるとバラエティ番組に元航空幕僚長の田母神氏が登場していた。新聞を開くとやはり田母神ブームについての記事が目にとまった。主張を曲げない頑固な側面と、なかなかのユーモアが多方面で受けているらしい。一方で彼の主張は明らかに史実の認識に誤りがあるとの指摘も多い。既に一般市民となった人が何を主張しようと勝手だが、マスコミが安易にブームを巻き起こすのはうなずけない。

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On May 3, 2009
by 卓 坂牛

朝軽くジョギング。四谷から一番町、女子学院の脇を通り外堀に出て市谷から四谷へ戻る。今日はかなり飛ばした。息が上がり帰宅してシャワーを浴びてもはあはあ言う。事務所に行き模型を作る。
先日大学院の講義でdesignの両義性について話をした。この言葉は概念とできたものの双方を指し、その両義性が古来モノづくりのプロセスで議論されてきた。たとえばモノを作る時に本能的に手が勝手に動きながら絵が、模型が、彫刻ができてきて事後的にそれが概念化(建築なら図面化)されるのか、図面やコンセプトや構想が先ず明快にあってそれが絵や模型や彫刻へと出来上がっていくのか?そんな議論をした。http://ofda.jp/lab/lecture/word2009/bbs/2009/04/post_2.html
模型を作りながらこの議論を思い起こし、今自分の行っていることは手が勝手に動いているのか?それとも明確な構想のもとに行われているのか自問した。答えは以下のようなものとなる。模型を作り始める時にはおぼろげにイメージする形が頭の一部にある。もちろんその全貌は見えない。そして作り始める。1000㎡程度の平均1.5層くらいの建物を1/200で作る。先ず屋根を切り出しカッターでラインを入れて折り曲げる。折り紙細工のようである。そうするとそこで朧げだった屋根の形がより明確に自分の前に現れる。そしてその下に壁を切り出しては接着していく。屋根ができた時点で壁のついた全貌は想像できるのだがそれも朧げである。そして壁が全部ついた時点でそれをじーっと見つめる。
さてそこにあるものは自分が最初におぼろげに構想したものだろうか?もちろん違う。それは作りながら自分の当初のイメージがどんどん変化しているからである。その変化は頭が司令しておこなっていることなのかというと実はそうでもなくほとんど反射的に手とカッターがその状況にあったことをしているのである。そして出来たものを見ながら今度はそれを図面化、あるいは言葉にしてみる。自分のしようとしたことを言語化する。もちろん言葉は当初からなんとなくある。しかしできたものを見てその言葉がそのままでいるはずはなく形に合わして変化するのである。設計をする人ならこんなことは当たり前のことだと思うが、そうした話が前回の授業ではできなかった。
夜、事務所の人を誘って友人のブルースを聞きに神田のライブハウスに行った。行ってみると多くの知り合いに会う。ライブは大いに盛り上がる。飲んで歌って騒いだら気分すっきり。終わって、来ていた友人も誘ってもう一軒。彼はT大を出て一流銀行に勤めているのでゆっくりこの金融情勢について聞きたかった。「仕事どう?昨今厳しい?」と聞くと「6月で退職、転職、職探し中だよ」と想定外の回答。なんと言うことだ。日建の設計による彼の会社のビルも去年外資系に売られたとか。辞めるのは積極的なものではなく、彼のやっていた仕事がクローズされるからだそうだ。彼の実力を持ってすれば次の仕事くらいいくらでも見つかるだろうが、それにしても厳しい世の中になったものである。

装飾と犯罪の時代背景

On May 1, 2009
by 卓 坂牛

アドルフ・ロースなる建築家が1908年「装飾と罪悪」という論考を書き、その題名が示す通り20世紀初頭の無装飾モダニズムデザインの端緒を切り開いていった。当然当時のユーゲント・シュティールその他の様式、装飾デザインを敵に回したものの時代はロースに追い風だった。
デザインをやるものならバイブルのようなこの本は実は思いもかけない言葉で始まる。「人間の胎児は、母の胎内にあるうちに、動物界の発展段階をすべて経験するものだ」。これは19世紀後半に唱えられた進化論以降に進化論が誤って適用され、しかし広く流布した反復説に他ならない。それは「個体発生は系統発生を繰り返す」というもので、簡単にいいかえれば、生物は自らの進化の歴史を成長の中で繰り返すというものである。そしてそれが、劣性(黒人、女性、犯罪者など)な人種の成人は優性(白人など)な人種の子供に等しいという差別理論につながるのである。
さて装飾と犯罪に話をもどすと、反復説で始まるこの論理は反復説で劣性とされるパプア人や犯罪者は刺青をするそして刺青は装飾である、よって装飾は未進化の人間すなわち犯罪者の行為であり装飾は犯罪という具合に展開する。
さてロースは反復説とともに同系ダーヴィニズム理論に大きく影響されたと思われる。それはチェーザレ・ロンブローゾの『犯罪人類学』である。これは1876に著されその内容は、未進化の形質を持った人種は未進化ゆえに現代社会に適応できず犯罪を犯すというもの。そしてその主張は犯罪者の人体計測によって行われた。また彼は医学、生理学的見地からだけではなくやや社会学的見地からもこの主張を行った。すなわち劣等人種の声の質、刺青の有無と罪を犯すことの間に有意の相関関係を主張した。このこともロースの理論には大きな影響を与えただろうことは想像に難くない。
帰宅のバスで『人間の測りまちがい』を読みながらロースを思い出した。

グレー攻撃

On April 30, 2009
by 卓 坂牛

仕事でも、人間関係でも、世界の事件でも、当たり前だが、自分の期待する展開がある。この件はこうなると嬉しいなあと思うことがある。しかし世の中そんな思いどおりになることばかりではない。確率的に半分くらいは想定外に展開する。分かっちゃいるがそうなると気分が晴れない。平均すると年に十回くらいはこのグレー攻撃にやられる。つまり月に一回弱起こる。しかし、今日はそのできごとが三つ一遍に身に降りかかった。なんとも痛ましい。口頭、電話、メール。ものの一時間の間に見事に集中して起こった。神を恨む。まあ一日一つずつ発生するより気分は楽かもしれないのだが。
そういうグレーな気分で東京から8時半のアサマに乗った。するとこともあろうにこういう時に限って悪いことは重なる。大宮で線路に人が降りてどっかに消えたとアナウンスされた。この人が見つかるまで発車できないという。まあそうだろう、それは仕方あるまいと最初は思ったが、このアナウンスが五分に一回、十回は放送されただろうか?出発したのは9時40分。やけ酒でも飲んで気を晴らせればそうしたいところだが、気分の悪い時に酒を飲むとさらに気分が悪くなるのでそういう逃避行動には出ない。そういう場合はこれも一種の逃避だが、本を読んで気分を変える。『人間の測りまちがい』の続きを読む。この本は生物学的決定論を覆そうと言う試みのようであり、その手始めにダーウィン以前の人種多起源論を紹介する。19世紀の中ごろまでは白人と黒人は違う生き物(人種多起源論)という説をハーバード大学の教授が真面目に語っていたという話で始まる。いきなり目から鱗である。モンゴロイドは検討の俎上にあったかどうかは記されていないが、あったらやはりコーカソイドとは別の生物にされていたのかもしれない。おー怖い。

春だが寒い

On April 29, 2009
by 卓 坂牛

最近寝るのも早いが目覚めるのも早い。朝食まで恩田陸の『ねじの回転』を読んでいた。上巻の3分の2を読んだところで食事。読み終わらないので本は娘に返して、残りのストーリーを教えてもらった。2.26j事件だけを文庫本2冊で語ると言うのもなかなかの力技である。食後、同級生のお医者さんにブログのコメントで勧められたスティーブン.J.グールド鈴木善次・森脇靖子訳『人間の測りまちがい(上)』河出書房新社( 1996 )1998を読み始める。まだ序だがおもしろそうである。特に知能指数の話は早く読んでみたい。午後事務所。打ち合わせ。スケッチ。スケールが1/200になってだんだんと実感がわいてきた。連休中にもう少し進化させたい。夜は近所にできたホテルに入ったサルバトーレにピザを食べに行く。このホテル三井系のビジネスホテルだが1階の階高がとても高く足元だけはビジネスを感じさせない(これは三井のマンションにもつながる方法なのか?)ホテルの地下にはになかなかのワインバーがあり販売もしている。質、量ともにこのあたりではかなりの充実。店を出ると外は急に冷え込んでいる。昼夜の寒暖の差が激しいこのごろである。

学校嫌い

On April 28, 2009
by 卓 坂牛

ゼミと製図を終えて夕方のバスに揺られ帰宅。車中奥地圭子『学校は必要かー子供の育つ場を求めて』日本放送協会出版1992を読む。著者は22年間公立小学校教諭を務めて退職しフリースクール(登校拒否児童が勉強する場所)を作り20年という人。その道の草分けである。子供の自治と自由と個の尊重をポリシーにし、カリキュラムから会報誌まですべて生徒が決めて作る。そうやってできたカリキュラムに対しても出席は自主性に任すと言う。22年間の教諭生活で学校がどんどん管理化され効率化されるそのざまを見続け、タイトルである学校が必要かという疑問にぶち当たったようである。
こんな話を聞くと人ごととは思えない。大学でも似たようなことが起こっているからである。われわれのところでも学生だけではなく先生も含めて相談を受けるセラピストとして専任の教員を4月から雇用した。大学側からあまり詳しい説明はないものの、なけなしの金をはたいてこうした方を雇うにはそれなりの事情があるからである。僕の目が届くところでもそういう問題を感じないわけではない。そしてそういう学生たちに我々の学生時代の気分で接するのもはばかられる。僕らの時代は単位を落として下に行く奴はまあいたかもしれないが、大学が好きになれず来られなくなるものはいなかった。だいたい大学なんて言うところをたいそうなものだとは思っていなかったし利用するところだと思っていた。嫌いな学科やつまらないけれど取らざるを得ない単位はいかに楽してとるかを知っていた。それでもうまくいきそうもない奴らはギブアンドティクでレポートなどかきあっていた。まあ簡単に言えば大学に管理されてなるものかと思っていたし、大学なんてなんぼのものよと思っていた。でも今はそうでもない。大学に押しつぶされそうな子たちが散見される。それはいまどきの学生がか弱くなったということでもなく役所、大学、親がどこが始発と言うこともなくみんなでお互いの首を絞め合いながら知らぬ間に管理強化しあっているのである。まあここまで言っといて無責任だが、だからと言って自分が、何かを直接的に行動に移せるわけでもない。しかし少なくともそう言う学生にはそれなりの対処をしてあげたいとは思うところである。

自転車

On April 28, 2009
by 卓 坂牛

バスに揺られて長野に向かう。快晴の関越で車窓からの景色をじっくり見たのは初めて。いつも夜だったり雨だったり。しかも新幹線とはルートが違い険しい山の間を通り抜けていく。この景色はなかなか見ごたえがある。
大学に着くと学生部屋に呼ばれた。何やら異様な雰囲気である。入ると研究室の学生がほぼ全員こちらを向いている。普段の恨みを果たすということか?と思う間もなく正面に自転車が置いてあることに気付く。ん?研究室に自転車?と思う間もなく「おめでとうございます」という言葉。誕生日プレゼントというわけである。
「まじか?」と思わず照れ隠しの言葉。さてこのあまりに嬉しい事態にどう対処したらいいものやら?とっさにいろいろな思考が頭を駆け巡る。
一体教師が学生から金品に相当する物を受け取ってよいのだろうか?もしこれによって教師が学生に利益供与した場合これは立派な贈収賄罪にならないのだろうか?やはりこれは受け取ってはいけないのではなかろうか?と思ったがやはりそんな堅苦しいことを考えるアホはおらんと思ってその考えは頭をもたげた。次にこのことが世に知られるとまずいことになるのではなかろうか?と不安になった。特に友人である某大学の某などにまかり間違っても知られると、あいつは全く持って学生に人気がないから嫉妬してどこかに告知されるかもしれない、家族に知られると、妬まれてご飯を作ってもらえないかもしれない。などと思ったものの喜びを抑えきれず、こうしてブログに書いてしまった。次に昔買った自転車が思い出された。僕が成人以降に買った最初の自転車である黄色いマウンテンバイクは歌舞伎町に飲みに行った時盗まれた。もちろん鍵はしっかりしていたのだが。そして仕方なく無印良品のマウンテバイクを買ったら盗まれた自転車は大久保で見つかった。無印は友達に安く売った。長野で買った無印良品のママチャリはキャンパス内で盗まれた。出てくるだろうと次を買わないでいたら予想通り見つかった。さて2度あることは3度ある。これも同じ運命を辿るかもしれない。やはり油性マジック白でしっかりと住所と名前を書くべきか?ついでにくれた学生全員に名前を書いてもらおうか?と思ったがせっかくの黒光りしている美しい姿に疵をつけてはいけないと思いこの計画は半年くらいたって輝きが薄れた頃に行うこととした。
興奮冷めやらぬ午後、講義とゼミ。今日は仲正昌樹の『現代思想入門』を読む。ビギナー本をゼミで使うなんてとお叱りを受けそうだが門外漢が、ある知識の全貌に触れるには仕方ない。前回の西洋哲学史とあわせてとりあえず、大きな流れがつかめたのでは。今日は早めに帰宅して恩田陸『ねじの回転』という小説を読む。これは一昨日娘から「これ読んでみて」と渡された本。時たま、これどう?と渡されるのだが、なかなかストーリーの好みは異なるものだ。正直僕には難解なものが多い。しかしまた違った世界が開けることもあり面白い。近いけれども遠いと言う意味で僕にとって娘は興味深い他者である。

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