横浜
八潮市でこれから行なう「八潮市らしい住まい方」ワークショップの打合せで横浜馬車道のみかん組に行く。1時間半前に家を出たので余裕と思いきや、乗り換えに時間がかかり馬車道駅に着いたのはもう定刻。最後かと思ったが槻橋さんが未だだった。新しい事務所に来たのは初めて。古くて素敵なビル。駅は近く、町並みは歴史を感じ、食べ物屋はいろいろあり、住みよさそうな場所である。打合せ後、曽我部氏が昼飯までの道すがら、あれが○○さんのいるビルでこの先のあそこが○○さんのいるビルと教えてくれる。さながらこのあたりは建築家村である。青空の横浜で少しゆっくりいろんな建築でも見てまわりたいところだが食後すぐに事務所へ戻る。寺内女史と自由が丘まで一緒する。3時にM工務店来所。K-project概算見積りを出すための打合。この工務店には練窓の家#2、projecting rooms、木島氏のK/Tを施工してもらっている。実に丁寧な仕事をしてくれるところである。うまくコストがあえば是非お願いしたいところ。その後出張帰りのナカジから中国の報告を受ける。ゼネコンが決まってほっとしているが、見積り落ちがかなりある。落ちている部分の再見積りをさせているとのこと。しかし着工は決まっており、杭の施工は2週間後。昔、日建時代に中国プロジェクトの胎動期、外野から彼等の仕事を見ていた。超高層なのだが、実施設計が終わっていないのに杭工事が始まるというような事態が起こっていた。そんないい加減なことでいいの?と思っていたが、同じことがここでも起ころうとしている。
happy birthday
1コマ目の大学院の授業の後に研究室の学生が大挙して僕の部屋にやって来た。大作が大きな箱を持ってきて『どうぞ開けてください」と言う。とっさにこれは誕生日かと思い、嬉しいい気持ち半分年齢を厭う気持ち半分。しかし開けて驚く。「角窓の家」が1/50でケーキになっているではないか。rcの部分はチョコレートケーキ。鉄骨の部分はショートケーキである。この感激を何と言ったらいいのやら。英語で言えばwords cannot express it,である。
やばいねえ。これは。もちろん素直に嬉しいのである。ありがとう。記念撮影。
午後の製図を終え東京へ。車中昨日読みかけた『シャネルの真実』を読む。題名どおり今まで隠蔽されていたシャネルの負の部分が明かされていて興味深い。著者の山口昌子氏は産経新聞のパリ支局長である。事務所に戻りk-projectのクライアントから出てきた要望に対して微妙なプラン調整。金箱事務所からは驚くべきことに、軸組みと伏せ図が全てほぼ完璧に届いてる。すごいな佐久間さんは。でも未だ安全目な設計かな??もう少しつめさせてもらいたいところである。
茶室はコケも入ったようで嬉しい。明後日の施主検収でクライアントと一緒にじっくり見よう。
5月9日にオープンハウスをします。見たいかたはメールを下さい。案内を送ります。
運動
昨日は早寝をして今朝は早く起きた。今年のゴールデンウィークは天気が良いようなので、体力挽回を画策。しかし急にやると怪我をしそうなので徐々に体を動かすことにする。今日は自転車で上野に行く。走ってみると30分で着く。こちらか行くとリーテムの傍を通るのが近い。そこからわずかである。早朝サイクリングは快適である。上野は朝9時というのに、動物園前も西洋美術館前も国博前もどこもかしこも大混みである。国博で薬師寺展を見る。感想はコラムをご覧下さいhttp://ofda.jp/column/。帰りがけ四谷のポールで家族と来客のランチを買う。帰宅後、皆でサンドイッチランチ。昼食後、あまりの天気のよさにバルコニーでボーっとする。昨日読み始めたマン・レイ自伝を読む。ニューヨーク時代からパリに渡り、ポール・ポワレやスキャパレリの洋服を撮っていたのを知る。夕刻風呂に入りながら城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』ちくま新書2008を読む。少し前の親父風価値観を昭和的価値観、昨今の若者のそれを平成的価値観と称し後者の特徴を多様性とする。その上でこの多様な生き方の成功例が多々描かれている。のだがもう聞き飽きたような内容ばかりである。
明日は朝一で授業である。またまた本当の始発に乗るために5時半起きである。早々に寝よう。山口昌子『シャネルの真実』新潮文庫2008を読んで就寝(昔からシャネルと名がつく本があるとすぐ買ってしまうのはコルビュジエスピリットを感じるからか?)。
プロジェクトいろいろ
午前中k-projectのクライアントと数回図面のやり取りをしてほぼ基本設計のプランは固まる。その後竹内君と内外部の仕上げについて概略の方向性を決める。木曜日には工務店が来て、基本設計概算をしてもらう。そのための資料作りなど考えるといろいろな図を先行して作らないと間に合わない。更にそれをやりながら、細かなデザインをデヴェロップさせるのはそれなりの時間と根気が必要である。ここからが建築の勝負でもある。枠組みが固まってから何を伸ばせるのかを見つけ出すのは建築の一番難しいところであり、一番面白いところでもある。午後久しぶりにインターオフィスの内田さん来社。某ビルのとある階の内装やり変えで椅子とパーティションとキャビネットを入れてもらうつもり。机はシナベニヤでこれだけはオリジナルに作ろうかと考えいてる。余りお金が無いのでシンプルにやりたいところである。夕刻おにぎりを食べながら茶室のオープンハウスの予定やら案内を担当者と話す。茶室は小さな内装だからあまり大々的に声をかけるのも気が引ける。本物を見て、その見ごたえを感じてから、声をかける範囲を決めよう。中国のナカジから国際電話、ゼネコン入札は予算に納まり一社に決定されたとのこと。いやいやありがたい。これで不調に終わったり設計変更などになったらどうしようかと冷や冷やしていたが無事すんだ。しかしこれからが未知の世界。なんとか現場にいける時間を作り出さないと。始まると同時に終わりそうな気がする。
青山ブックセンター
昨日とうって変わって天気が良くて暖かい。昨日始まったイギリスの現代美術展を森美術館に見に行く。http://ofda.jp/column/帰りがけ青山ブックセンターにより数冊購入。カフェにより買った一冊―森美術館編の『大型美術館はどこへ向かうのか』2008を読む。世界の有名美術館の館長が一同に介して行なったシンポジウムの記録。ポンピドークラスの美術館は年間500万人の集客力があると記されているのには驚いた。しかし帰宅後ネットで見ると新国立美術館も初年度は8ヶ月目で200万人来ている。またmomaもテートもポンピドゥーも分館が作られどんどん巨大化している。そしてどうやって人を集めるかを考えそれを実現させている。一体アートは世界の娯楽足りえているのだろうか?「モダンアートは分からない」と言われていたのはもう昔の話なのかもしれない。帰宅後、読みかけだったカラヤン興亡史を読み終える。カラヤンはまさに政治家だった。ナチ党員であったことがカラヤンをここまで政治的に動かさせたのか?それともこの本の脚色が過ぎるのか???続いて青山で買ってきた『マン・レイ自伝』を読む。マン・レイはいろいろな写真集や写真史の中で登場してきていつももう少し知りたいアーティストだったのだが読むチャンスがなかった。今日は読書三昧である。
三寒四温
代々木公園を散歩した。この公園に入るのは数十年ぶりである。桜の季節ではないがスゴイ人で賑わっている。白とピンクのドッグウッドの花がとてもきれいに咲いていた。公園を抜けて表参道を下る。めがね屋ゾフに併設されているゾフのカフェでコーヒーを飲む。その後また表参道を下る。先日外観だけ見たmvrdvの設計したファッションビルの中に入る。そこでばったり東海大の岩岡さんに遭遇。今日は学生を連れて都内の建築ウォークツアーだそうだ。このビルはトップライトのあるアトリウムにエスかレターが普通についている。先日、ケーキ屋を設計した中国の古いファッションビルに構成はそっくりである。3階のmomaのショップでイサム・ノグチの置き型スタンドを購入。茶室の写真撮影などに使う予定。今日の東京はぐずついた空模様でひどく寒い。
tenorion
4月25日
早稲田の講義に行ったら研究室の学生が二人はるばる長野から来ていた。一緒に考えたコンテンツだから僕がどう話すのか興味のあるところのようだ。講義後彼等と一緒に内藤さんの設計したちひろ美術館に行く。ぼくはこの建物の外装色を見たかったのだが、行ってみるとその構造とかスケールとか様々な工夫に感心する。さすが内藤さんである。事務所にもどり日曜日から中国に行くナカジと中国でのスケジュール等、もろもろ打合せ。夜setenvが主体となって運営準備してきたtenorionhttp://www.yamaha.co.jp/design/tenori-on/というヤマハの新しい楽器の日本でのお披露目コンサートに行く。この楽器は岩井俊雄とヤマハが共同開発したもの。はんぺんの一回り大きいような物体に16×16のボタンがついておりそのボタンと6つのファンクションキーを操ることで様々な音が出る。音が出るだけでなくそれらを記憶させ重ね合わせることでオーケストレーションできる。お披露目では岩井さん自身が一時間かけて開発経緯を説明。ジムオルークを含み4つのパフォーマンスが行なわれた。
エレクトロミュージックのコンサートはコンピューターを相手に演奏(といえるのかどうか分からないが)されるわけでアナログ楽器と異なり演奏者の動きと音に関連性がない。例えば弦を弾けば音が出るというものではない。だから演奏を見ていてもその姿に感情移入できない。視覚性が隠蔽された音楽なのである。だからいつもエレクトロミュージックのコンサートで感じるのはなんとストイックな音楽なのだろうかということである。視覚性を封印した音楽。そしたら岩井氏はまさにそのことを言っていてコンピューターに向き合った演奏ではなく、演奏という動作が音になるような新しいエレクトロミュージックの楽器を考えたという。確かにはんぺんを両手で持ってパネルを操作する姿はピアニカの鍵盤をたたく姿勢を思い出させる。しかしもっと似ているのはゲームボーイを操作する姿である。やはりコンピューターの域を出ていない。
カラヤン
中川右介『カラヤン帝国興亡史』幻冬舎新書2008を読む。小学生のころ、カールベームのモーツァルトの交響曲全集のレコードを買った。音楽好きの叔母さんにその話しをしたら聞きに来たいと言った。しかし叔母さんが来る前に僕はこのレコードの録音が悪いのが気に入らず、ベームからカラヤンに買い換えた。カラヤンのものは最新録音でとても音が良かったのである。レコード屋さんもその頃は気軽に交換してくれた。ベームーを楽しみにやってきた叔母さんはベームがカラヤンになっているのにひどくがっかりしてあまり聞かずに帰ってしまった。まだ9つくらいの子供にはベームーもカラヤンも大差は無く、レコードの録音音質の方が重要だったのである。なんということだろうか?それ以来、カラヤンの演奏はスピーディーなだけで味が無いとなんだかおばさんの受け売りになってしまった。しかしカラヤンの来日の時にはNHKホールに聞きに言った。何を演奏したのかも忘れたので大した感動は無かったのだと思う。この本はカラヤンがいかに世界の音楽を支配したのか。いかにしてフルトベングラーの跡継ぎとなれたのか?そのあたりのカラヤンの立ち回りの上手さを記した本である。まだ読み始めだが興味深い。