いい天気
いい天気である。朝一で上野にムンクを見に行く。http://ofda.jp/column/上野は天気がいいせいで人である。開館時間に西洋美術館に滑り込んだがすいすいとは見られない。帰宅して昼食をとり午後一にナカジと事務所で打ち合わせ。10畳くらいのビルの内装だがそれなりに難しい。その後新宿で買い物。今日もかみさんは引越しの手伝いなので、夕食は娘と二人。食後は読書。
いい天気である。朝一で上野にムンクを見に行く。http://ofda.jp/column/上野は天気がいいせいで人である。開館時間に西洋美術館に滑り込んだがすいすいとは見られない。帰宅して昼食をとり午後一にナカジと事務所で打ち合わせ。10畳くらいのビルの内装だがそれなりに難しい。その後新宿で買い物。今日もかみさんは引越しの手伝いなので、夕食は娘と二人。食後は読書。
午前中先日竣工した住宅の引渡し。午後勉強会。今日は井上君と二人で静かに行なう。二人でやるのは実に静かで快適であることが分かった。集中できるから進捗も良いし、気が散らないから疲れもたまらない。夕刻帰宅。かみさんが姉の引越しの手伝いに行ったので夜は娘と二人で夕食をとる。食後、以前読んでいた『視覚と近代』の中の尾崎信一郎の「視覚性の政治学ーモダニズム美術の視覚をめぐって」を読んだ。モダニズムの特質である視覚性は触覚性との対比において対象との距離を保つことで一望性があり、それゆえに瞬間的な知覚であることが特徴であるという。そしてマイケル・フリードはポロックを視覚的であるという言うが尾崎はそれに反論し、ポロックの特色は一望性よりも細部へ視線を引き込み、そして瞬間的な把握を拒む物だと言う。この時間性がクラウスによってビートとかパルスという概念に発展されているのだが、この見るのに時間がかかる=持続性という考え方は改めて面白いと感じた。引き込んで離さないというものの魅力は確かにあると思われる。それは建築で言えば単に表面の複雑性ではなく奥行きなのだと思う。
大学の行事を終え、会議・会議も終え、雪の散らつく街を自転車で疾走し2分差で電車を逃す。次の電車は20分後。駅のカレーを食べて電車に乗り込みスコットの本を読む。途中うとうとしながら東京。事務所に着いたら先日撮影いただいた上田さんの写真のポジが届いていた。ありがたい。今回はデジカメでも撮ってもらいdvdもある。ファイルがかなり重く事務所のコンピューターでも一枚一枚の開きが遅い。プリントアウトするのを選びスタッフに指示。ドイツからまたインターンのアプリケーションが届いている。今度は半年。うーんどうしようか?ポートフォリオがいま一つ。今日はいい夫婦の結婚記念日なので荒木町の花屋(この花屋はお店のママに花をプレゼントするたのもの?飲み屋街の入り口にあり夜遅くまでやっている)で切花を買い帰宅。アマゾンから洋書が二冊届いている。function of the ornamentとdigital tectonics。前者は装飾とファサードエンジニアリングの関係を巧みなドローイングで説明している。日本の建物がたくさん載っている。後者は様々な論客を集めてコンピュータナイズされた形状の意味を論じている。ちょっと読むのは大変そうであるが面白そうなものだけつまみ食いしよう。
朝研究室の扉を開けると不吉な雨だれの音。ここは最上階ではないし、雨は降っていないから雨水ではないのだが天井から水が垂れている。ファックスはビショビショ、そばのパソコンにも跳ねている。去年も同じことが起こったのだが、またか。施設課に電話。「蒸気配管から漏ってますよ」雑巾を機械にかぶせ物の移動。いろいろとやることが山ほどある日に限ってこういうことがおこる。マーフィーの法則にこう言うのがある。”Anything that can go wrong will go wrong.”悪くなる可能性のあることは悪くなる。もう全くその通り。もうおんぼろ校舎の老朽化事故には腹は立てない。と理性では分かっているのだが、そういうときに限ってまた面倒臭いメールが舞い込む。またマーフィーだ。ああ午後からゼミだと言うのに。大学を駆け回り手短に打ち合わせして。息せき切ってゼミ。ゼミの途中に明日の行事の段取りなどして、そしてまた次のゼミ。そしてやっと蒸気が止まったので配管取替え本格工事。こんな時間に修理している人も可哀想に思えてくる。まあ事故のおかげで部屋の掃除ができたとありがたく思おう。
朝早く起き、書斎の本の整理。本は溢れる。何かを捨てねばもう入らない。大学に送ることもある。しかし、原則重要な本は身の回りにおいておきたい。ばらばらにしておくとどこに何があったか分からなくなってしまう。そうなると後は捨てるか売るかである。整理を重ねて二つの全集に目をつける現代美術の18巻の全集と開口健の全集。前者は写真はいいのだが装丁がプア。後者はその昔早稲田の古本屋で見つけたもの。12巻くらいあるだろうかサイズがA5くらいのかわいいものである。半分くらい読んだろうか?残りは興味が減って読まなくなっていた。さあ売りに出すぞと思っていたらかみさんが「私が欲しい」と言う。それなら自分の本棚に入れてくれと頼む。すると自分の本棚の古い雑誌を捨てにかかった。これ幸いとそこに移動。そのおかげでトコロテン式に書斎の床と机の上に山となっていた本がやっと片付いた。しかしこんなことをしていてもいつかはどうにもならなくなるのは目に見えている。ああ憂鬱だ。
朝一のアサマに乗る。社中‘What is OMA`toto出版2005を読んでいたら眠ってしまった。原書は評判の本だと聞くし訳も悪くないと思うのだが、なんだか面白くない本だ。午前中3年生のガイダンスをして、午後キャンパスマスタープランのインフラ計画を設備の先生と一緒に検討。ガスか電気か国家的問題なのだなあと改めて感じる。夕刻会議。会議後帰ろうと思ったら、やたら面倒臭いメールがいくつか届き帰るに帰れない。開き直ってゆっくり帰ることにする。メールの返信、℡、ついでに中国からのメールインタビューに英語で答えを書く。次の電車の時刻がせまり答えがいい加減になってきたので雑になる前に止めて帰路に着く。今日の長野は急激に気温が下がった。キャンパスは朝型は雪だったそうだ。今年初めてコートを着込み東京ではやや着過ぎだったが長野では足りないくらい。東京に戻るとほっとする。
僕にとってとても大事な音楽の恩師である故山口元男先生の7回忌の記念コンサートとしのぶ会があった。私と同年代の教え子たちは皆演奏しているのだが私はどうにもこうにも練習時間がとれそうもなく辞退して聞くほうにまわらせていただいた。
教え子の中には大学で美学を教えている0君や筑波で原子力を開発しているT君京都の進進堂の社長をしているT君など皆いろいろなところで活躍している。しかしこうして会うと時間が一気に小中学時代にタイムスリップしてしまう。山口先生の家に深夜までいて先生の酒に付き合いながら音楽談義をしていた頃を思い出す。物事を継続するということを叩き込まれ、音楽を自分なりに表現するということを教えてもらった。それがその後の僕の様々な表現活動の基礎になっていることに改めて気付くのである。
朝から大学の仕事に追われ午後のゼミも遅れた。ゼミが終りに皆で夕食。ビールを一杯だけ飲む。雑用があり夕食後にそれらを片付ける。中国の出版社からインタビューのメールがくる。僕のブログを読み中国で仕事をしていることを知ったという。この雑誌の次の号で`Asian Designers`という特集を組んで7~8人のインタビュー記事と最近作の写真を載せたいとのことである。中国からのこの手のメールはよく来る。しかし彼等はできても雑誌を送らないので最初は断ったのだが、必ずできた雑誌は5部送るということなので受けることにした。しかし韓国とか中国とかからの取材が続く。それが仕事に繋がるならやる気もでるのだが、日本の雑誌に出たって仕事には余り関係ないのが正直なところである。