Taku Sakaushi

Diary

コミュニティ批判

On October 25, 2007
by 卓 坂牛

大学へ向かう車中竹井隆人『集合住宅と日本人ー新たな共同性を求めて』平凡社2007を読む。著者は建築畑ではなく法律を専門とする。とはいっても弁護士だとか法学者というわけではなく、あくまで集合住宅やコーポラティブハウジングの研究や建設の実践の場に加わっている方である。彼の主張は一言で言えば、現代のコミュニテイとは強い絆で結ばれた古典的な村社会のようなももではなく弱い絆に組織された統治体であるというものである。そもそも集合住宅が生まれるような都市部において古典的なコミュニティは望むべくも無く自由を謳歌しながら発生すべきコミュニティにおいては他人を尊重するweak tie(弱い絆)が重要である。そしてそれを実現するのは極めてシステマティックな住民熟議の場の設定であると言う。
信州大学にいるからか?当世学生気質か分からないけれど、昨今、コミュニティを渇望する学生をよく見かける。建築家として良いか悪いか分からないけれど僕は個人的には村的な暑苦しい人間関係は好みではない。よってこの手のコミュニティ渇望者に弱い。そもそもコミュニティは建築の問題とは考えにくいと思っている方である。だからと言って公共空間とか集合住宅における中間領域のようなものをデザインすることに意味を見出せないと思っているわけではない。それはそれで建築の空間としての意味を持っている。しかしそうした空間がコミュニティを創出するとは思っていない。それは別の問題だと思ってきたし思っているのである。
そうした自分の苛立ちがこの本を読むと少し解消される。僕の気持ちを多少代弁してくれている。もちろん、では、竹井氏のやり方で100%コミュニティができるのかどうか僕には確信はないし、未だにコミュニティを作ることが集合住宅にとって常に最良のことかどうかは分からない。しかし、少なくとも建築プロパーの人間たちが持つコミュニティ幻想に対してかなり的確な批判を与える良書であるように思う。

自分を支えるもの

On October 24, 2007
by 卓 坂牛

日中、某出版社からの℡である雑誌の廃刊を知る。驚くとともに残念だ。理由は分からないのだが建築界にとってはとても重要な雑誌であると僕は思っていた。少なくとも編集方針が不明な写真だけ綺麗な専門誌よりか僕は好きだった。最後の号への寄稿依頼を快諾した。こういう雑誌が廃刊に追い込まれる日本と言う国はとても悲しい国なのかもしれない。一日出ずっぱりであちらこちらで打ち合わせ。移動の合間に村上春樹の新しい単行本を読んでいた。『走ることについて語るときに僕の語ること』このまどろこっしいタイトルはともかく、読みながらつくづくこの人と僕はフィジカルにもメンタルにもよく似ていると感じた(感じてきた)。彼は小説家になるために必要なことは、才能と集中力と持続力だと言う。そして彼が走るという行為は(彼はフルマラソンを20回以上走り、コンスタントに3時間半で走る)この小説家としての持続力を培う上でプラスに働いてきたのであろう。とにかく週6日欠かさずコンスタントに10キロ週に60キロ月に250キロ走るのだそうだ。これは並大抵のことではない。凄いのはその距離ではなく週に6日欠かさず走るその持続力である。そのためには誘惑を断ち切り、人間関係を狭め、仕事を効率よくこなさなければならない。そうしたビジネスライクと言えるような律儀さがなければこの数字は達成できるものではない。
でも結局才能が溢れている人で無い以上は(村上は自分は凡庸、シェイクスピア、バルザックなどが能力に溢れた人だと言う)そうした方法をとらない限り成長しないのだと思う。と村上が言うことを僕はよく分かる。自分が正にそうだからである。きちんと毎日ちょっとずつでもいいから前に進むために何をしたのか言えることしか自分を支えるものは無い。

愚行

On October 24, 2007
by 卓 坂牛

T邸のスツールと事務椅子と絨毯をショールームでチェックするために新宿、五反田と回る。新宿アクタスを見た後で昼食。このあたりには餃子屋が多い。餃子を食べながら有吉さんのフェルメールを読む。小さい頃に両親が離婚したので父親を知らずに育った有吉さんは25年ぶりに会った父親にフェルメールの話をしたそうだ。日本で初めてピカソ展をやり、ボリショイオペラを呼んだ昭和の嵐と呼ばれた父親はフェルメールを熱く語る娘に静かに聞き入った後で一言こう言ったそうだ「なぜ芸術を説明しようとするのか」。その言葉の余りの正しさに餃子を食べながら涙が出た。僕と言う生き物は恐ろしく単純である。本当のことに弱い。大学の教員等になる前から、そういうものごとの原理をなんとか言葉で説明しようと一生懸命なのだが、そんなことの空しさも一番分かっている。でも原理は好きなのだ。だから哲学的にあるいは科学的に、物事の原理を知りたいと思う。しかし原理を超えた、あるいは原理から逸脱したところに常に美やそれにかかわる物があることが多い。ということもよく知っている。それゆえに自分の原理探求はどこかで常に壁に突き当たるのである。そんなことを見越している人たちが世の中にはいてそういう人たちの素朴な言葉に出会うともう勝ち目が無いという気持ちになるのである。しかしまた舌の根も乾かぬうちに同じ愚行を繰り返すことも分かっているのである。

10月23日

On October 23, 2007
by 卓 坂牛

10月23日
サーバーを変えたらとんでもない量のspamメールが入るようになった。内容は全部同じ英語の宣伝。コンピューターがゴミ箱と化している。辺見からジョフリースコット『ヒューマニズムの建築』英語版の序文が届く(我々が翻訳している原本はアメリカ版であるし初版ではない)。この序文はディビッド・ワトキンが書いている。ワトキンは有名な『モラリティと建築』(SD選書)の著者だが彼がこの本で言いたかったことは次のようなことである。モダニズムが純粋性と自律性を標榜したがために、その正当化のために建築は建築の外から様々な論理を借用してきた。その主要な一つがモラリティであったということだ。もちろんこうした論理の端緒はスコットによって切られていたのである。そのスコットの本をワトキンはどう分析しているのだろうか?興味深いところである。
昨日読み始めた有吉さんのフェルメール。とても面白い。彼女はフェルメールの存在感をこう言う。フェルメールの絵はどれもが少しおかしい、パースが狂っていたり、影が整合してなかったり。でもその狂いが狂いとは見えない。そのときそうとしか見えないだろうというその迫力だと言う。うーん分かるような気がする。もう一つ。彼女はある時東武トラベルの「フェルメールとゴッホに会う旅」というツアーに出かけた。そのツアーのパンフレットに「たった一枚の絵のために出かける旅があってもいい」というコピーが記されていたそうだ。なかなか素敵である。たった一つの建築のために出かける旅というのもたまにはある。

牛乳を注ぐ女

On October 22, 2007
by 卓 坂牛

朝からまた英語漬け。昼からA0勉強会。一生懸命読んでいるつもりなのだが進まない。本当に骨の折れる英文である。二人で5時間かけて2ページ進んだだろうか?それもラフな訳は既にあってのことである。それを前にしてこのざまなのだから情けない。聖書からの引用と思しき言葉やシェイクスピアからの引用やら、その意味合いが掴みきれない。でもこうして建築を忘れる時間(もちろん建築の本を読んでいるので建築の世界の中にはいるのだが、建築を相手にしていると言うよりは英語を相手にしているという感じである)は言ってみれば汗を流して無心に運動しているようなもの。終わったときは疲れるが清清しい。
夕食後先日買った『恋するフェルメール36作品への旅』白水社2007を読む。著者は有吉佐和子の娘、有吉玉青。僕より5つ若く既に著書はたくさんある。東大美学で学者の道を志すも自分には向かないと感じ、物書きに転向したよなことが書かれていた。夫の留学に同行しボストン、ニューヨークと住み換えた。世界に36ある作品のおよそ半分はアメリカにあり、そのうち7つはメトロポリタンにあるそうだ。ここでフェルメールに出会った有吉の旅はヨーロッパへ移り、アムステルダムで牛乳を注ぐ女に出逢う。もちろんその絵を写真では見ていたそうだが、本物を見たときにガツンときたと書いてある。そして全てを見る前に、彼女はこれが彼女のベストオブフェルメールだと感じたそうだ。
牛乳を注ぐ女は先日国立新美術館で見たものではないか。ほー。確かにネットでフェルメールの全ての作品を眺めてみても確かにこれは一番素敵に見える。そうか有吉のベストオブフェルメールを最初に見れた僕はラッキーだったのかもしれない。

英文とにらめっこ

On October 20, 2007
by 卓 坂牛

明日の勉強会のためにジョフリースコットの本を読んでいた。結構面倒臭い本である。昼に中華を食べに出て、夜はうどんを食べに行く。後はひたすら読んでいた。こんな日もある。

ヴィダル・サスーン

On October 19, 2007
by 卓 坂牛

午前中の講義と午後の製図。今年の2年生は去年より元気がありそうな気がして嬉しい。あくまで最初の印象だけど。これが半年続くと豊作なのである。そしてそうした印象があると講義も製図も力がはいるのだが、相変わらず講義では寝ている輩が2割くらいる。そういうやつは来なければいい。別に選択なんだから取らないで欲しいのだ。いちいち寝ているやつに起きろという気も起こらないし。
帰宅の車中で『ヘアー・カルチャー』を読む。読みはじめは余り惹かれない本だったのだが、途中からがぜん面白くなってきた。ヘアデザインにもモダニズムがあったというあたりが興味をそそる。50年代まで、欧米のヘアデザインは彫刻の如くパーマをかけて逆毛を立てて形を作ってスプレーで固めると言うものだったという。60年代になってもビッグヘアーと呼ばれるそうした彫刻のようなヘアーデザインは全盛で一晩寝るともう崩壊とうい代物だった。それを革命的に変えたのがヴィダル・サスーンだった。英国生まれの彼のヘアーデザインポリシーは「ただ正しく切ればいい」というものでその人の髪質と頭の形にあった切り方を目指したものだったそうである。そして彼のカットは一日で崩れる彫刻ではなく、固定的な定型を保つのではなく髪に合った自然の形に戻るような切り方だったそうだ。『ヴォーグ』の編集者グレース・コディントンはモダニズムの理念をヘアデザインに導入したのはサスーンであると主張した。更に『ヴィダル・サスーンとバウハウス』なる本まで出ているとのこと。
確かにカタチ優先から機能的な髪型へのデザインとはいかにもモダニズム。しかしサスーンがアメリカに最初の店を出したのは1965年でコルビュジエが死んだ年である。なんともその時代差は不思議と言えば不思議である。

レートショー

On October 19, 2007
by 卓 坂牛

10月18日
午後一杯使ってやっと科研の資料作りが終わった。強がりではなく、補助金を取るためにやっているわけではなく研究の頭の整理として資料を作っている。意匠の研究は金がかかることはあまりない。地道な肉体労働と頭脳労働で器具や設備がいるわけではない。むしろ金がかかるという意味ではコンペにお金を出して欲しいのだが、コンペに補助金は出ない。8時に資料ができたので少し迷ったがシネコンにレートショーを見に行く。9時からやっているのは「キングダム」というテロの映画だけ。最近のアメリカ映画も少しは考えているのか、アメリカの勧善懲悪で終止すしない、しばしば映るアラブの普通の平和な生活がそのムードを和らげる。ラストシーンは双方の憎悪が解決しないまま終わる。
しかしここのレートショー前回は6人、今日は5人しかいなかった。このまま行くとなくなってしまうのでは?やっと見付けた長野での楽しみなのだが。

優秀建築選

On October 17, 2007
by 卓 坂牛

昨日の焼酎がちょっと残る。朝事務所により、昼のアサマに乗る。車中成実弘至編『モードと身体』を読み終え、グラント・マクラッケン 成実弘至訳『ヘア・カルチャー』PARCO出版1998を読む。最近は成実さんが関わった本を片っ端から読んでいるが、面白いなあ。夕方の会議に出席。たいした内容ではなかった。これなら誰かに代理出席してもらって、大阪でやっている日建会に行くべきだった。夕食後、木島さんからメール。角窓の家とするが幼稚園 両方とも日本建築家協会優秀建築選 2007 に選出されたようである。応募資料を作った労力が報われた。200も選ばれるのだから狂喜乱舞ではないのだがまあ何もないよりはましである。大学などというところでは、こう言う賞が唯一実績の質を保証するものということになるのである。

分からない設計

On October 17, 2007
by 卓 坂牛

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10月16日
ビルの中の茶室の設計を頼まれた。伝統的なそれではなく現代的な茶室が欲しいようである。とりあえず大きさなどは決まったのだが材料が問題である。エコロジーの会社なのだからなるべく少ない材料であまり何もしないで作りたい、例えば布とか、、、シースルー茶室、、、、それじゃあ蚊帳か?
午後日本工業大学の小川先生を訪ねる。来年ワークショップをやろうかという相談。打ち合わせ後に小川先生の設計した日本工業大学の百周年記念図書館を見せてもらう。この建物は設計が終わったころにその設計プロセスを事務所でも信大でもレクチャーしてもらっており内容はよく知るところ。テトラポットの枝が一つ取れたような形をし、断面的な斜め線が様々なところに現れる。単に壁が斜めというだけではなく床や天井も斜めのところが多い。機能的には図書館であるが、一般的な図書館のイメージに比較すればもう少し学生の溜まり場としてのスペースが多く取られている。
この建物は不思議がところがいろいろある、ダブルスキンのようでダブルスキンではないところがある。図書館としての静寂さを作るための材料は殆ど使われてない(床、モルタル、或いは木、壁モルタル、天井ボードリシン)のだが、そんなに煩くない。構造を晒そうとするように見せかけ見えないところもある。などなど、いろいろなことが中途半端なのである。何故だかよく分からないのである。という話を小川さんにするとそういう風に設計したという。すなわち何故そうなっているのかその理由が分からないように設計しようとしたそうである。
こういうのをすごく大雑把に言うと演繹的でない設計というのだろうがどうも昨今この言葉は誉め言葉の常套句のようなので演繹的でなく何なのかを言わなければなるまい。あるいはだから何故いいのか悪いのか?なんて話を、実施設計と現場をまとめた繁昌さんを入れて北千住で延々と語り合った。

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