Taku Sakaushi

Diary

須坂

On October 6, 2007
by 卓 坂牛

10月5日
後期最初の講義と製図。2年生のデザイン論と2年生の製図第2。今年の2年生はどんな学生だろうか興味津々である。製図の敷地は長野から電車で30分の須坂。市といっしょになって蔵のまちキャンパス計画という市の活性化を行なっている。それにあわせて課題もここで行なうことにした。敷地見学は去年はどしゃぶりの雨だったが今年はいい天気である。敷地を見る前にせっかくだから市の有名な蔵や屋敷を見学した。なかなか見ごたえのある屋敷があるものである。天高二間、障子は一間という部屋が続く。つまり垂れ壁一間の部屋の連続である。先日見た若松の別荘のようである。
敷地見学後アサマで東京に、転職した友人と夕食。新しい会社は国際的ヘッドハンティング会社。一人探すと基本料金800万。加えてその人の年収の15%だそうだ。800万ならなかなか発注者のokが出ないだろうと聞くと出ないそうで、連日ひたする人に会うのが仕事。リサーチャーが彼のスケジュラーに人をはめ込んでいくそうである。会社の人材データーベースは膨大でちょっと検索する友人の殆どが出てくるそうだ。オー怖い。どこからデーターが流出しているのだろうか?

倫理としてのモード

On October 4, 2007
by 卓 坂牛

倫理とは平たく言えば「人間のあり方」「世間のありさま」であり、倫理の構造を考える契機は、習俗と道徳と法律だと佐藤俊夫の『倫理学』に記されている。更にこの習俗とは習慣と風俗から構成され、これらは礼儀(marnner)と流行(mode)という対極的概念を両極に持つ型によって生み出されるという。modeなるもの社会倫理を形成する極めて重要な要素であることがよく分かる。こうしたmode研究ではもちろんバルトが有名(『モードの体系』)であるが、もう少し社会学的視点から語られたものがないものか探していたらなかなかよい本を見つけた。ジョアン・フィンケルシュタインというオーストラリアの社会学者が書いた『ファッションの文化社会学』成実弘至訳、せりか書房2007である。ここでは数々のmode研究が紹介されている。その一つ、ソースティン・ヴエブレンの『有閑階級の理論』(1899)はなかなか示唆に富む。「流行とは上流階級の人々が自分たちを下層階級と区別するためにつくったトリックなのだ。・・・流行が下層階級へと『滴り落ちていく』とき、上流階級はまた新しい美学を作らねばならない」。
100年前の階級社会のこうした理論が現代日本に直接当てはまるわけではないのだが、流行の本質は殆ど変わらない。つまり、経済的な格差が小さい日本でも感覚的格差と呼ばれるものが構造化されている。そして流行とはこうした感覚上流階級(として位置づけられている)が生み出し下層階級(と位置づけられている)へ滴り落ちていくのである。そしてある普及をした時点で感覚上流階級は差異化を図る(ことで自らの地位を確保する)ために、新たな美学を創らねばならなくなるのである。結局アートもモードも建築もこの滴り落ちる時間に若干の差があるだけでその基本構造は同じと思われる。

善

On October 4, 2007
by 卓 坂牛

10月3日
ゼミに会議で夕刻。後期の始まりで会議が多く今週はずっと長野である。会議後、研究室で『倫理学』を読む。やっとカントに到着。近代倫理学を完成させたと言われるだけのことはある。「およそこの世のなかで、いなあえてこの世とかぎらず、いかなる限定もなしに善といわれ得るものは、ただひとり善き意思のみである」。善きものはいろいろあれども、善きことを行おうとする意思は一つであるというような意味である。善きことが限定されていたそれまでの倫理思想(プラトン、アウグスティヌス、トマスアクィナス、などなど)からは大きな飛躍である。
8時ごろ研究室を出て今年長野にもできたシネコンに行ってみる。1200円のレイトショー。夕食を売店で買いシアターへ。客は10人くらいしかいないので貸切のようで快適である。

下手な考え、、、、

On October 2, 2007
by 卓 坂牛

夕刻研究室で学生と話す。就職などの進路についてである。設計者になるかどうかの悩み時である。自分の能力との相談をしているようだが果たして建築家の能力など生まれつきかどうか疑わしい。そこで少し自分の話をした。一体自分はどうして設計者になることを決意したのだろうか?都合の悪いことは忘れてしまったから思い出すことは美談にしかならないのかもしれないが、そんな決意をした覚えはない。ということはよほど自分に自信があったのかというとそんな自覚は無い。コンペ荒らしだったわけではないし、製図の成績がいつでもトップだったわけでもない。ただ自分は設計者になると決めただけでそこに判断材料はない。そうただそう決めたに過ぎない。もとより設計がうまいか下手なのかというようなことは時代と適合するかどうかだけの問題などと大それたことをその時代から考えていたのかもしれない。つまりは誰かに上手い下手を判断される言われは無いとおぼろげに思っていたのかもしれない。だから後はやるかどうかだけの問題だったように記憶する。
もちろん最低限の能力は必要だが設計力はむしろ努力である。生まれ持った才能は20%くらいだと思う。それは天才的建築家の生き様を見ているとそう思う。サーリネンは朝食のバター壺の中でバーターをこねくり回して建築の形を作っていて離婚されたとある人が言っていた。これを努力といわずなんと言おうか。むしろ設計者になるための才能がいるとするなら、その努力をする能力である。さらに言えば努力でカバーできる設計力ではなく設計者としての人間力のほうである。それらはコミュニケーション能力とマネージメント能力。これは残念ながら生まれつきであることが多いように思われる。能力との相談をするなら自分のこれらの力と相談するべきだ。しかしこれも誰かのもとで一生やるなら不要である。となると生まれつき持った何かと相談する必要は無い。やるかやらないかを決めるだけの話である。ということは建築と一生付き合う気があるかどうかだけの問題である。ここでまた一生なんていうとやたら気が重くなるだろうが、それもたいしたことは無い。まあ結婚するようなものである。別にいやになったら離婚するだけのことである。そんなしかめっ面して考えるほどのことでもない。離婚が怖い人はやめたらいい。しかしそういう人は結婚だってできないということになる。

古谷さんおめでとう

On October 2, 2007
by 卓 坂牛

10月1日
午前中ナカジから先週の中国滞在中の報告を聞く。相変わらずレベルの低い設計院の無責任な仕事の仕方に腹が立つ。かと言ってレベルが高いというものがどの程度のものかもよく分からない現状では無責任ぶりが改善できるものとして文句を言えるものなのか、それは単に文化の違いだと言うことなのか判断できない。それにしてもこんなことを続けていると単に建物を作って終わってしまう。作るではなく創るムードを全体に築いていかないとまずいのだが。模型材料も売ってない場所だから全部買って持っていくようにナカジに指示したのだが、成田でスチノリと55は没収されたそうだ。やれやれ。
長岡のコンペの落選通知が来た。今回はそれなりに全力投球したのだが5人のヒアリングには選出されなかった。ちょっと悔しい。しかしそれなりに納得する部分もある。お勉強で終わらないコンペにするにはどうしたらよいのだろうか?私の課題である。
夕刻審査員の一人の古谷さんの学会賞受賞パーティーに顔を出す。本当はここで5人に選んでいただいた御礼を言うはずだったが夢叶わず祝辞を述べる。都庁の展望台とうい突拍子もないところで行なわれたパーティーには何百人来ているのだろうか?さすが早稲田人脈である。滅多に会わないみかん組の曽我部や加茂さんなどにも会った(これは早稲田人脈ならぬ青山高校人脈らしいが)。この建築家コミュニティというのは政治家のパーティみたいなものでありなかなか会えない人に会いたいときには出席する価値がある。帰りがけ2次会を誘われるが私は最終で長野に。明日から後期が始まる。

映画を見る

On September 30, 2007
by 卓 坂牛

早起きして昨日アマゾンから届いたM.G.Turner 中越信和他訳『景観生態学』文一総合出版2004を読んでみた。景観生態学とは生態系をもとに考える景観かと思ったが、その逆で景観から考えた生態系のことだった。これは信大の山岳総合研究所の理学系の先生がやっていることに近い。少しは自然景観の把握に役立つかと思ったが少し扱う範囲が大きすぎるかもしれない。しかし使われている概念は結構参考になる。昼頃、居間に家族3人がいることに気付く。家族全員今日は何かに追われているでも無さそうなので皆で映画を見に出かける。こうなると全員の意見が合わないのだが、みんな一斉に妥協しNO RESERVATIONSというエダジョーンズ主演のラブコメディを見る。お涙頂戴型家族愛的恋愛物語。子役が話しに筋を通しているし上手かった。帰宅後翻訳中のETHICAL FALLACYの参考に佐藤俊夫の『倫理学』東大出版会2007を半分読む。結局倫理学史は哲学史。哲学の一分野と考えてよいということか。美学のようなもの。

新たな風景

On September 29, 2007
by 卓 坂牛

とても久しぶりに雨だし、とても久しぶりに寒いという感覚を持つ朝である。雨で運動会の代わりに授業となったアンラッキーな娘を送り出し安彦一恵、佐藤康邦『風景の哲学』ナカニシヤ出版2002を読む。風景の良し悪しとは誰がどのような権利を持って言える事なのか?という問題提起があり、その一つの回答は和辻哲郎の『風土』に記されているところの自己了解というプロセスである。またその自己了解のダイナミズムは自然と人知の接点において生まれるとのことである。大いに共感する。五十嵐氏が批判した「美しい風景を創る会」なるものは普遍的な景観美が前提化されているようだがこう言う考えは私もやや批判的にならざるを得ない。和辻が言うような自己了解のプロセスが欠けている。普遍的な美の前提化とは過去に示された判例のような美に我々が飼いならされていることをよしとしていることに等しい。それはおかしい。午後フェルメールを見に行く。これら新たにオランダに発生した風俗画と同時期に風景画も生まれた。このころ人間の側に強く景観を風景化する自己了解が生まれたと言えるのであろう。しかしこれはあくまで17世紀オランダの自己了解である。21世紀日本にはまた違う何かがあるはずである。その一つが昨日紹介したテクノスケープである。そして例えば宮本佳明の『環境ノイズを読み風景をつくる』彰国社2007はそうした新しい風景の読み方を提示している。

同化と異化

On September 28, 2007
by 卓 坂牛

朝一現場。大工が4人くらい入って急ピッチに進む。色の塗りわけが少々面倒である。現場もこの頃になると毎回どの現場でもそうだが、こうすれば良かったというような気持ちが少なからず起こるものである。まあそれはそれ。
今日は久しぶりに30度を超えて暑い。事務所にもどってもうだっている。大学のゼミスケジュールなど作り雑用を片付ける。夕食後岡田昌彰『テクノスケープー同化と異化の景観論』鹿島出版会2003を読む、この本は著者の博士論文と思われる。シクロフスキーの異化作用を景観に適用している。僕の建築の規則の概念で言えば「協調と独立」。彼はこれを同化と異化と呼ぶわけである。僕の研究室で長野のタウンスケープと山並みの関係性を研究しているものがいるけれど、その評価基準として単なる調和だけでは薄っぺらいので独立とか屹立という概念をいれたらとアドバイスしていたのだが、ちょっと不安だった。しかし景観学者がこういうことを言い出しているのであれば一安心である。若い世代の学者にやっと景観を現代的に見れる人たちが現れた。昨日の五十嵐さんの苛立ちはだんだんと解消されるであろう。

二川さんとジェフリースコット

On September 27, 2007
by 卓 坂牛

午前中大学の書類作り。昼をとってアサマに飛び乗り辺見から送られてきたジェフーリスコットに関する英語の論文を読む。実に読みいい。スコットはリップスの感情移入理論に大きな影響を受けている以上にドイツのフォルマリズム、特にヒルデブラントひいてはカントの影響を受けていると言う(tasteが重要な概念になっているのだからさもありなんだが)。そしてそんなスコットを著者はガダマーと比較する。先日このブログでもガダマーとスコットについて書いた。そこではガダマーが真理奪回に方法主義否定からフマニスムを促したという鷲田の指摘をひき、ガダマーとスコットの共通性を推測したが、本論分はその逆でガダマーの解釈学に対してスコットは対象に意味を見出すことの無意味さを主張したという指摘だった。もちろんこの二つの話は矛盾はしてないのだが、ちょっと頭が混乱する。
事務所で雑用。大武さんに明日の現場の様子を聞いてから帰宅。風呂で五十嵐太郎の『美しい都市・醜い都市』中公新書クラレ2006を読む。一章、二章は面白かったのだがその後は世界旅行という感じでちょっとストーリーが感じられない。GAJAPANの100号を読む。写真が綺麗である。伊東さんと二川由夫さん(息子の方)の篠原インタビューを興味深く読む。伊東さんが二川親父と篠原さんは仲が悪かったのでしょうと質問。「親父は概念より視覚の人」と言っているのが電車で読んだスコットそのもので思わず笑った。上記論考ではスコットのような視角優先のフォルマリストの美学の特質はnonconceptuality of aesthetic judgementと表記されていた。なるほどnoncocepturalityとは正に二川さんにぴったりである。

ソフトと格闘

On September 27, 2007
by 卓 坂牛

やたらと涼しくなってきた。長野に来ると時たま起こるのだが日中の日差しが強いので薄着をしていると夜大学を出る頃(だいたい深夜なのだが)とてつもなく寒くてひどく不幸な気持ちになる。昨夜もそうだった。マンションとの往復は自転車なのだが、とても乗ってられない。歩いて押して体を温めている始末である。今晩もそうだろうか?外は風音が強い。
今日は一日ワードをいじくり出版原稿のチェックをしていた。これが本当に辛いものでワード操作能力不足なのかワードというソフトの限界なのかいろいろと不測の出来事が起こる。本来は内容の精査をしたいところだがなんだかアホなソフトと(アホな人間なのかもしれないが)格闘していた。しかし不備も多少あるものの、数百ページを打ち出して、データーをコピーしてもう梱包した。とにかく今晩中にとりあえず送ろう。これで少しは気が晴れる。
プリントアウトしている間に後期のゼミ本を考えた。
ストーリーその1:徹底して社会学本を読む。そこで僕のアーカイブデーターから社会学系データーをコピーして貼る。更にそれを15冊くらいに限定する。しかし社会学なんていったって余りにジャンルが広い。社会学でも何にするかを絞らないと話にならない。
ストーリーその2:前から気になる80年代論+ポストモダニズムのみを読む。これも上記と同じ作業をしてみるが、これは逆に80年代論がまだ余り無い。一方ポストモダンは余りに多く。収集が付かない。
なんてリストを見ながら、建築を全く蚊帳の外においてしまって良いものか????m1が来年修士設計やるのにこれでは余りに概念的すぎるか?ということで景観論を収集。
というわけで、構築主義+メディア+管理+80年代論+景観論というあたりでとりあえずリスト作成終了。少し脈絡が欠如してそうだが、あまり先入観のあるストーリー作りも良くないと思いこれでよしとする。

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