不思議な駅舎のコンペ
富山の駅前景観コンペに取り掛かった。これはなかなか難しい。駅舎の景観と言いながら駅前のビルに阻まれて駅舎の3分の1しか見えない。3分の1の見える部分の景観を考えるとは何を考えると言うこなのだろうか?周辺ビルという額縁に切り取られた風景を考えるということなのだが。新幹線の駅舎でそんなプアーな状況ってあるのだろうか???
台風接近。雨がひどくなってきた。雨の音を聞くと気分が悪くなる。早く過ぎ去って欲しいものである。
富山の駅前景観コンペに取り掛かった。これはなかなか難しい。駅舎の景観と言いながら駅前のビルに阻まれて駅舎の3分の1しか見えない。3分の1の見える部分の景観を考えるとは何を考えると言うこなのだろうか?周辺ビルという額縁に切り取られた風景を考えるということなのだが。新幹線の駅舎でそんなプアーな状況ってあるのだろうか???
台風接近。雨がひどくなってきた。雨の音を聞くと気分が悪くなる。早く過ぎ去って欲しいものである。
8月31日
水上バスで二駅乗りGiardiniで降りるとヴェニスでは珍しい緑豊かな公園が目の前に広がる。ここがヴェニスビエンナーレの二つある会場のひとつである。15ユーロの入場料はちょっと高いと思ったが帰るときには安いものだと気が変わるほど面白かった。エントランスすぐ先のベルギーはガラスの迷路、オランダが日常の風景、正面イタリアは地元であり40名余りのアーティストの作品が並ぶ、フィンランドはガラスの海、イスラエルは日本の建具のような紙芝居、アメリカはピストレットがおなじみの飴とポスターを並べている、持って行っていいのかどうか確認せず、ウルグアイは天井からぶら下がるドローイング、フランスはコンセプチャルなドローイング、オーストラリアのパビリオン内を延々と続くベニヤ板のリボンは昔我々が設計した家具のようである、ロシアのビデオインスタレーションは小さい画面の集積で楽しい、イギリスの細い木片を繋ぎとめたタワーは川俣風、ドイツではわざと稚拙なオブジェが所狭しと並ぶ、そして日本は岡部昌生の広島をモチーフとしたフロッタージュ、などなど2時間ほど見て周り庭のカフェで昼食をとると大雨。今回の旅で初めての本格的な雨。会場を飛び出し水上バスの駅で雨宿り。またこの水上バスで島巡りでもしようと思ったのだが、強烈な雨に身の危険を感じ、島巡りは止めて中世の教会(サンタ・マリア・グローリア・ディ・フラーリ)にティツィアーノの聖母被昇天を見に出かける。現代アートを見てからゴシックの教会でルネサンスの絵画を見るというこの感覚はイタリアならではかもしれない。幸せなひと時である。
1985年のヴェニスビエンナーレにUCLAのチャールズ・ムーアスタジオは建築プロジェクトを出品した。僕もそのメンバーの一人だった。プロジェクトはヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム美術館の改修増築であった。どうしてそのテーマを選んだのかは覚えていない。見たことも無いその建物を写真と図面を頼りに模型で再現した。ヴェニスの路地のような細いアプローチと南向きの庭。そのシークエンスがムーアの気にするところであった。既存の建物は1階建てだが、もともとパラッツオとして建てられようとしたものであり、1階というのは未完というのが我々の解釈だった。しかし3層は作りすぎであり中途半端だが2階建てにするというのが我々の回答だった。
その建物をついに22年後に見ることになった。すばらしい美術館である。このアプローチと中庭のスケールとその彫刻の並び方はムーアの力説が本当に正しいことがよく分かる。今まで訪れた世界の美術館の中でも1~2を争うできのよさである。中庭にはヘンリームーアからカプーアまで、モダンから現代までが適度に並んでいる。本当に適度に並んでいる。常設展もピカソ、キリコ、フランシスまで。そして企画展はヨーゼフ・ボイスとマシュー・バーニーである。その全体の量といい間隔といい空間の変化といい。すべてが適度なのである。このバランスは例えば東京の国立新美術館のような展示場型美術館の対極を行く。
ボートに乗って島の周りを一周した。島の裏側に来ると所謂ヴェニスの風景は終り、コンテナと工場の煙突が林立している。ディズニーシーと東京湾が交互に見えるようなものである。
朝の電車でフィレンツェからヴェネツィアへ。フィレンツェ駅で遅れている電車の事情を尋ねるのだが英語は全く通じない。24年前にこの駅からミラノに向かったのだが、そのときも英語が全く通じなかった。イタリアではレストランでもホテルでも英語が通じるのに、駅では通じない。
ヴェネツィアに来たのは初めてである。観光客がとてつもなく多い。暑さと喧騒ですっかり憔悴してしまう。観光で持っている都市なのだろう。為替レートもとんでもなく悪いし、(手数料も入れればフィレンツェは1ユーロ170円くらい、ヴェネツィアは200円である)物価も高い。
サンマルコ広場のカンパニーレは修論の重要な検討対象だった。アメリカのスカイスクレーパーは新たな縦長の形を作るのにヴェネツィアのこのカンパニーレをモデルにしていたのである。サンマルコ広場の脇にあるデュカレ宮にはバロックの画家ティントレットの世界一大きな油絵がある。この部屋は数百㎡の平面形に天高10メートルくらいあるだろうか。バロックの宮廷の大広間でこれだけのものを見たのは初めてである。とんでもないスケールに驚く。
ヴェネツィアはネット環境が無いと言われていたのだが、どこかの無線ランに乗ったようだ。
念願のマザッチョのフレスコ画を見ることができた。ブランカッチ礼拝堂の一角にこのフレスコ画はある。マザッチョの先生であるマンゾリーニとマンゾリーニに呼ばれたマザッチョそしてマンゾリーニがフィレンツェからいなくなってその後を完成させたフィリッポリッピの3人の作なのだが僕から見ればほぼ一人の作である。フレスコ画がこれだけ近くでしかも撮影も自由なのはここぐらいかもしれない。岡崎乾二郎の『経験としてのルネサンス』(だったかな??)で詳細に論じられていたのがこのフレスコ画である。その論考は出版時に読んだのだが、すっかり、まったく忘れてしまった。本物を見ても何も思い出せない。今回やっと本物を見られたので日本に帰ったらまた読み返してみよう。
今日は自由に乗り降りできる観光バスのチケットを買い、自由に乗り降りした。コレのおかげで校外の歴史地区フィエゾーレに行くことができた。イタリアの都市もその中心地にいると時代は1000年も2000年も前に遡ってしまう。が、少し中心を外れるとここ100年くらいでできた町並みが現れる。フィエゾーレに登る町並みは僕が学生時代を少しすごしたバーゼルのように少し新しくしかし古い町に敬意を払ったつくりである。
この2階建てサイトシーングバスにはイヤホーンジャックがあり8ヶ国語のガイドが流れている。このガイドが殆ど建築や都市の話でとても参考になる。メディチ家のパラッツォの前でアルベルティの名前が出て思わず降車。有名な中庭に邂逅。都市型パラッツォのコートはアーチも3連しかなく縦長である。この都市では写真でしか見たこと無いものが次から次へと目の前に現れてくる。
昨日までの運動靴ではなく、革靴を履いて出たのが運の尽き。夕刻にはまるで亀のように歩いて宿に戻った。フィレンツェはタクシー乗り場が見つからない。狭い街だから元気ならタクシーが要らないとも言えるのだが、昔から足の裏が弱い僕には長く歩くのはこたえる。
この街ではドゥモ、ストロッツィ宮、ピッティ宮、洗礼堂が撮影のノルマ。大きな建物がひしめき合って建っているこの街では撮影のためのひきがなかなか取れない。GRの広角は大きな画角でひきが無くともたいていの建物は入るのだが、縦線が大きく歪むのは言うまでも無い。
撮影は行き当たりばったり。美術館のはしごの途中に現れるだろうと楽観的である。朝一でバルジェロにてブルネレスキとギベルティの洗礼堂の扉彫刻のコンペ案を見る。本物よりも全然小さい。ミケランジェロのバッカスは酔っ払いの目をしている。ブルータスは未完。ウフッツィでは余りに多くのものを見すぎてしまった。ボッティチェリはもちろんすごいのだが、それだけではない。ロマネスクのチマブーエ、ドウッチョ、ゴシックのジョット、この3人の金色が印象的である。ボッティチェリとその先生であるフィッリッポ・リッピはそっくり。ダヴィンチの受胎告知はひどく小さく感じられた。
午後ピッティ宮のパラティーナ美術館でラファエロをたっぷり見る。ラファエロは絵が上手い。ここにはヴネツィア派ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレット、も数多くある。そしてタクシーを捕まえ北上。サンマルコ美術館で念願のフラアンジェリコの受胎告知を見て南下してブルネレスキのサンロレンツォ宮に入り、ドゥモ、洗礼堂、そしてストロッツィ宮を見て宿に戻る。足が痛いのと気温の高さにはほとほと参る。東京はコンクリートジャングルだがイタリアはストーンジャングル。街は巨大な輻射暖房機である。