新橋
4月17日
夕刻UR都市機構のo氏とお会いする。「僕は建築知っている不動産屋だよ」とおっしゃっていたが、確かにそうである。都内全域の駅名を言うと家賃相場がぽんと出てくるのには恐れ入った。町の不動産やの親父だね。これは。一方で南大沢ベルコリーヌで内井昭蔵をマスターアーキテクトに使い、昨今では東雲で伊東豊雄や山本理顕を起用するなど高等な開発企画も練っているというところが面白い。今度何かやりましょうと言って分かれた。
ところでお会いしたのは東京新橋だがこの場所のサラリーマンの多さには目を見張る。何故そう感じるのだろうか?新宿だって西口行けばサラリーマンはたくさん居る。そう思っててよく観察すると、学生と女性が居ないことが分かる。つまり居るのは白いワイシャツで背広の男だけなのである。そういう場所は東京にもそう多くは無い。
祭りの対象
柄谷行人がだいぶ前の毎日の書評で取り上げていたハンス・アビング『金と芸術』グラムブックス2007を読んだ。500ページ近くもある分厚い本である。何故アーティストは貧乏なのかという副題が付いている。様々な分析の結果は頷けるものが多いもののこれだけの枚数を要することとは思え無い。やや読むのに疲れる。ところで、アーティストの勝者は世界のトップクラスの億万長者であり、一方その大部分の収入は圧倒的に低い。こうした現状を著者は問題視してその改善策を提示しようとする。しかし僕はその改善は所詮無理な話と感じている。改善不能だからこそ芸術がかろうじてその存在理由をもつのだと僕には思われる。もちろん全ての芸術にとってそうだとは限らない。例えば応用芸術という分野はこれにはあてはまらない。ここでは所謂純粋芸術が対象である。それらはある社会の中での祭りの蕩尽対象のようなもの、つまりそれらはある種の熱狂の対象であり、強烈な支持を得ることによってその対象となる。そしてその熱狂を勝ち取るものはその市場価値も自動的に上がる。そしてこの祭りの対象は多くては意味が無い。数少ないからこそ熱狂するのである。
建築写真
午前中T邸打ち合わせ、その後工務店の事務所に伺い。都電で王子へ。上野で用事を済ませ、アメ横で買い物。食品等。安い安い。うに500円、乾燥しいたけ1500円、乾燥杏300円、するめイカ10枚2000円、甘栗4袋1000円、などなど。ただイクラは失敗。タッパに一杯入って1000円。安いと思ったがしょっぱいの何のって食べられたものではない。
エクスノレッジのhomeで建築写真という特集号が出ている。その中に「打算のない建築写真」というエッセイがある著者はエレン・フライスその中にこんな文章がある『フラッシュの使いすぎや決まりきった露出過多の写真は好きではない(どの写真の中でもいつも太陽が照り輝き、青空が広がっているという状況はもういいかげんにやめて欲しい)。反対に、そのときの天気のもと、すぎていく時間のなかに存在する、生命のある場所が映っていると感じられる写真が好きだ。」
こういう発想は今のところまだ日本の建築専門誌には無いといっていいだろう。
ワイエス
5月11日
事務所でT邸打ち合わせ、明日は現場で近隣説明。昔のクライアントが家具を選びたいとのことで青山カッシーナでお会いする。数点物色。
カッシーナのそばにコーヒーケータリングなどを行なうユニマットという会社の美術館がある。http://www.unimat-museum.co.jp/collection.html余り知られていないがシャガールのコレクションは必見である。ビルの中だが3層分まるまる美術館で一層がシャガール、一層がエコール・ド・パリ、一層が企画で今は私の好きなアメリカの画家アンドリューワイエスを展示している。その昔ワイエスの絵で「何も無い草原の風景」というのをランドスケープのモチーフにしたことがあり、そのとき以来一度本ものを見たいと思っていた。シャープな色の付き方はテンペラによるのだろうか?独特である。
Robert Frank
平安堂店頭に古本が並んでいる。じっくり見れば2~3冊いい本がありそうだが時間もないのでぱっと目に付いたstudio voice 1991年7月号「写真集の現在」を400円で買ってバスに飛び乗る。字が小さいので帰宅後ぺらぺらめくる。写真集が作った写真史というコーナーがあり、9人の写真家の写真集が並んでいる。その最初にあのRobert Frankの有名な「The Americans」が解説されている。スイス生まれで50年にアメリカにわたりグッゲンハイム奨学金をもらい1年かけてアメリカを旅し田舎町のガスステーションや場末のバーなどを取り続けた。僕の建築のモノサシの親父とオフクロの写真もこの中の一枚である。僕の大好きな写真集である。
フランクが撮った写真をプリントして編集者に見せたとき「これはアメリカじゃない。ロシアだ」と言われたそうだ。この写真集が世に出るのは僕が生まれる前年。当時のロシアは貧困の代名詞だったそうだが僕から見ればプアーな日常が表出しているとも思えない。逆に言えばミッドセンチュリーのアメリカの都市と田舎にはかなりの生活格差があったということなのかもしれないし、日常に対する眼差しが未だ存在しなかったということなのかもしれない。それだけFrankの視点は新鮮だったということだ。